塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 写真週報 衣料切符

2016-10-31 05:38:23 | ミュージアム巡り_2016
 繊維製品配給消費統制規則に基づく衣料の総合切符制が、1942年
2月1日より実施された。
 展示資料は、衣料切符の見本で、当時の商工省が作成した公文書に
綴り込まれていたもの。
 1から5の数字が書かれている左半分の「小切符」には、二通りの
有効期間が書かれており、総点数80点のうち50点分は1942年8月1
日にならなければ使用できない。
 加えて、手拭いや足袋などを購入する際は、右側に配列されている
“制限小切符”も必要だった。この措置は、必需品の買い占めを防ぐ目
的でもあった。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 写真週報 国民服_標準服

2016-10-30 03:47:23 | ミュージアム巡り_2016
 1940年11月1日、「国民服令」が公布され、“国民精神ノ高揚
ト軍民被服ノ近接ヲ図ル“目的で男子の国民服が制定される。

 また、女子の服装については1942年4月に“婦人標準服普及ニ
関スル件“が閣議決定される。

 展示されていた資料は、婦人標準服の制定について伝える記事
が1942年4月29日号の「写真週報」で紹介されている。そして、
厚生省生活局が作成した小冊子に掲載された“婦人標準服姿図”も
展示されていた。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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Weekendの麺処巡り 白河そば で 刻み饂飩

2016-10-29 13:18:01 | 麺_2016
 ハロウィンだそうで、それにちなんでちっちゃな怪物が沸き放題。
ならばと、早朝、渋谷のスポットと日比谷公園でゲット。入れ食い
状態で少々疲れた。ポケモンGO。
 その後、新宿原町へ。少し早めのランチを頂きましょう。

 向かった先は、牛込柳町駅近くの「白河そば」。こちらは蕎麦屋
ではなく、饂飩や中華そば、ご飯物もある立ち食い店。朝7時から
の営業で、ガテン系の方やタクシー運転手の常連さんも多い。

 オッ、今日は店主さんが麺揚げ担当だ。「刻み饂飩」570円と玉
葱のかき揚げ150円をトッピングオーダー。

 その一杯をカウンター越しに受け取り、いつもの位置へ。刻みと
は油揚げが細かく刻んであり、饂飩はといえばきしめんよろしく
“紐かわ饂飩麺”、それに塩出汁のお汁で、これが旨いこと。この
出汁にかき揚げが染み込み、旨ウマに変身。ご馳走様。

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ミュージアム巡り 写真週報 時の立札

2016-10-29 03:36:52 | ミュージアム巡り_2016
 「写真週報」の表紙裏面(表2)は、創刊以降多くは広告で占めら
れており、1941年11月5日号から「時の立札」が新たに設けられ
ている。

 同年12月10日号までは、新聞記事風の体裁をとっていたものの、
翌週号では写真と標語を用いた檄文風に変更。また、1943年3月
10日号は「撃ちてし止まむ」は、文字の大きさが変えられ、音が
迫ってくるような効果を出している。

 また、1943年2月10日号では読者から寄せられた「時の立札活
用の事例」の中で、学校や地域を媒介して「時の立札」が人々に浸
透していった様子が伺える。例えば掲示板に貼ったり、生徒に書写
させたり、朝礼で朗読したことが紹介されている。

国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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ミュージアム巡り 写真週報 貯蓄奨励

2016-10-28 05:40:21 | ミュージアム巡り_2016
 1940年4月24日号には、国民貯蓄目標額として年間120億円が
掲げられており、「新東亜百二十億の貯蓄から」という特集が組ま
れていた。

 見開きページを縦において、さらに引き算に見立てた当時にして
は斬新なデザインで、現状からどのくらい節約すれば120億の貯蓄
が達成できるかについて、写真と漫画を組み合わせて解説されてい
た。

 イラストの展示には、子供から大人まで各人が120円と書かれた
袋を持っている。当時の人口は約7,300万人で、120億円の貯蓄を
達成するには、一人当たりの年間負担額は160円であったと考えら
れる(当時の東京・公立小学校教員の初任給は50円程)。

 その後、貯蓄目標額は1941年に135億円、42年には230億円、
43年は270億円、44年は410億円、さらに45年は600億円と増加の
一途を辿っている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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