次は、「96文字の石板」(Tablet of the 96 glyphs、マヤ文明・
783年、バレンケ・王宮の塔付近出土、石灰岩、59×135cm)。
この石版は、西暦783年にキニチ・クック・バフラムの即位20周年
を記念して彫られたもの。654年にパカル王によって"白壁の宮殿"
と呼ばれる建物が王宮の中心に建てられ、その王座で歴代の王が即
位したことが述べられている。
これは他の多くのマヤ都市と同様にバレンケも衰退期に入り、そ
の最盛期をもたらしたパカルの繋がりを強調することにより、バフ
ラムの権威を誇示しようとしたと考えられる。80歳代まで生存した
バフラ王が見守る中で、本石版に96項目の文章文字を彫って完了し
たと語られている。
この石版は、マヤ文字の中でも最高峰の価値と意味を持ち、本来
は紙に筆で書かれるものであったのだろう。
トーハク(台東区上野公園1-3-9)
783年、バレンケ・王宮の塔付近出土、石灰岩、59×135cm)。
この石版は、西暦783年にキニチ・クック・バフラムの即位20周年
を記念して彫られたもの。654年にパカル王によって"白壁の宮殿"
と呼ばれる建物が王宮の中心に建てられ、その王座で歴代の王が即
位したことが述べられている。
これは他の多くのマヤ都市と同様にバレンケも衰退期に入り、そ
の最盛期をもたらしたパカルの繋がりを強調することにより、バフ
ラムの権威を誇示しようとしたと考えられる。80歳代まで生存した
バフラ王が見守る中で、本石版に96項目の文章文字を彫って完了し
たと語られている。
この石版は、マヤ文字の中でも最高峰の価値と意味を持ち、本来
は紙に筆で書かれるものであったのだろう。
トーハク(台東区上野公園1-3-9)