『本覚坊遺文 千利休』(1989年)は、錦之助が出演した最後の映画だった。いや、錦之助ではなく、萬屋錦之介の最後の映画だったと言うべきだろう。このとき、錦之介56歳、亡くなる8年前であった。主役の本覚坊(利休の弟子)は奥田瑛二、千利休が三船敏郎で、錦之介は織田有楽斎(織田信長の弟)を演じていた。原作井上靖、脚本依田義賢、監督熊井啓である。依田義賢と言えば巨匠溝口健二の数々の名作のシナリオライターである。熊井啓は、私の好きな監督の一人で、『忍ぶ川』『海と毒薬』『サンダカン八番娼館 望郷』などの傑作を残している。撮影栃沢正夫、美術木村威夫、音楽松村禎三も名スタッフである。
それで、この映画、どうだったかと言うと、正直言って、何を訴えようとしているのか分からないというのが私の感想だった。この作品は娯楽映画ではない。明らかに芸術映画を目指して作った作品である。画面も美しい。音楽も素晴らしい。奥田瑛二もさりげないが最高の演技をしている。錦之介も巧みで癖はあるが見事な演技である。三船も武士のような利休だが、威厳があって良い。その他、俳優陣(男優ばかりだった)は、上条恒彦も加藤剛も芦田伸介も内藤武敏も皆良かった。それで、映画を観て感動したかというと、ノーと首を振らざるをえないのである。映画の中に引き込まれないまま、見終わってしまったのだ。傍観者のように客観的に画面を眺め、美しい映像だなーと感心し、俳優のセリフを聴き、演技を眺めて、うまいなーと感服し、回想シーンが錯綜するストーリーにもしっかり付いて行き、途中で長い映画だなーと思い、それでも我慢して見続けていたら、終わってしまった。
翌日、この映画をまた観た。テーマは何か、この映画で脚本家と監督は何を伝えようとしているのかをもう一度確かめようと思ったからだ。まず、この映画は、推理小説の謎解きのようなストーリーである。なぜ千利休は死ななければならなかったのか、なぜ秀吉が利休に死を命じたのか、利休はどういう心境で死に赴いたのか。利休の死後27年経ってから、利休の共鳴者織田有楽斎が利休の弟子の本覚坊にこの疑問を投げかけ、二人でその答えを探り出そうとする。そして、本覚坊の回想を手がかりにして、この疑問が解明されていく。それは、戦国乱世における茶の湯の本質に根ざしていた。茶の湯というのは、武将の死への餞(はなむけ)であり、死地へ赴く武将が自らの死に対峙するのと同様に、茶の湯の道に赴く茶人も死に対峙している。利休は自らそのことを実践し、秀吉に茶人の心構えを示したのだ。二人の間にこういった結論が導き出される。有楽斎は、自決もできず茶の湯の精神をまっとうできなかった自分に対し忸怩たる思いを抱くが、ついに病に倒れる。そして、死の床で、切腹を演じ、幻の刀で本当に切腹した気になって息絶えるのだ。それを看取る本覚坊。利休や、利休の高弟たちは自決して死んだ。そして有楽斎もまがりなりにも自決の道を選んで死んだ。だが、自分はどうすればよいか。死んだ利休の幻影を追いかけていき、ここで映画は終わる。
テーマはどうやら掴める。が、この映画によって何を訴えようとしているかが、まだ私には分からない。死に対峙する心構えを忘れた現代人に警鐘を鳴らそうとでもいうのか。戦国乱世、創生期の茶の湯の精神に帰れとでも言いたいのか。なにも映画は人に感動を与えなくともよい。しかし、観る者になにかを痛感させるインパクトがなければならない。でなければ、映画は、表現者の独白になってしまうし、何も伝わらずに終わってしまう。この映画からは、表現者が訴えかけようとする何かが(思想であれ感情であれ)、どうしても私には伝わって来なかった。
その後私は、この映画に関する評論家の批評を探してみた。双葉十三郎の評価は四つ星(ダンゼン優秀)で最高点。(文春新書『日本映画 ぼくの300本』)しかし、コメントには何が良かったのかについて漠然としたことしか書いていない。「暗いムードの場面を基盤に重々しく古風な格調を盛ることに成功した演出も賞賛に値する。」これでは、無内容な言葉の羅列だ(耄碌じいさん!)。淀川長治も大絶賛しているわりには、下らないことしか書いていない。(河出書房新社『究極の日本映画 ベスト66』)「清水で洗うその大根の白さが目にしみる」とか、「男の花道のせい揃いの感じである」とか、「武士を知り日本を知りサムライを知らせるこの映画に私はハラキリの日本を見、事実この映画、三態の切腹をも覗かせた」なんてもう支離滅裂な文章である。こんな感じで、熱にでも浮かされた調子で、5ページにわたって長々と書いているが、淀川さんも晩年は節操がなく、外国で賞なんかもらうと(『本覚坊遺文 千利休』はベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞したそうだ)、途端に意見を変えるから信用がならないと思った。