錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『本覚坊遺文 千利休』

2006-04-19 05:42:12 | 戦国武将

 『本覚坊遺文 千利休』(1989年)は、錦之助が出演した最後の映画だった。いや、錦之助ではなく、萬屋錦之介の最後の映画だったと言うべきだろう。このとき、錦之介56歳、亡くなる8年前であった。主役の本覚坊(利休の弟子)は奥田瑛二、千利休が三船敏郎で、錦之介は織田有楽斎(織田信長の弟)を演じていた。原作井上靖、脚本依田義賢、監督熊井啓である。依田義賢と言えば巨匠溝口健二の数々の名作のシナリオライターである。熊井啓は、私の好きな監督の一人で、『忍ぶ川』『海と毒薬』『サンダカン八番娼館 望郷』などの傑作を残している。撮影栃沢正夫、美術木村威夫、音楽松村禎三も名スタッフである。
 それで、この映画、どうだったかと言うと、正直言って、何を訴えようとしているのか分からないというのが私の感想だった。この作品は娯楽映画ではない。明らかに芸術映画を目指して作った作品である。画面も美しい。音楽も素晴らしい。奥田瑛二もさりげないが最高の演技をしている。錦之介も巧みで癖はあるが見事な演技である。三船も武士のような利休だが、威厳があって良い。その他、俳優陣(男優ばかりだった)は、上条恒彦も加藤剛も芦田伸介も内藤武敏も皆良かった。それで、映画を観て感動したかというと、ノーと首を振らざるをえないのである。映画の中に引き込まれないまま、見終わってしまったのだ。傍観者のように客観的に画面を眺め、美しい映像だなーと感心し、俳優のセリフを聴き、演技を眺めて、うまいなーと感服し、回想シーンが錯綜するストーリーにもしっかり付いて行き、途中で長い映画だなーと思い、それでも我慢して見続けていたら、終わってしまった。

 翌日、この映画をまた観た。テーマは何か、この映画で脚本家と監督は何を伝えようとしているのかをもう一度確かめようと思ったからだ。まず、この映画は、推理小説の謎解きのようなストーリーである。なぜ千利休は死ななければならなかったのか、なぜ秀吉が利休に死を命じたのか、利休はどういう心境で死に赴いたのか。利休の死後27年経ってから、利休の共鳴者織田有楽斎が利休の弟子の本覚坊にこの疑問を投げかけ、二人でその答えを探り出そうとする。そして、本覚坊の回想を手がかりにして、この疑問が解明されていく。それは、戦国乱世における茶の湯の本質に根ざしていた。茶の湯というのは、武将の死への餞(はなむけ)であり、死地へ赴く武将が自らの死に対峙するのと同様に、茶の湯の道に赴く茶人も死に対峙している。利休は自らそのことを実践し、秀吉に茶人の心構えを示したのだ。二人の間にこういった結論が導き出される。有楽斎は、自決もできず茶の湯の精神をまっとうできなかった自分に対し忸怩たる思いを抱くが、ついに病に倒れる。そして、死の床で、切腹を演じ、幻の刀で本当に切腹した気になって息絶えるのだ。それを看取る本覚坊。利休や、利休の高弟たちは自決して死んだ。そして有楽斎もまがりなりにも自決の道を選んで死んだ。だが、自分はどうすればよいか。死んだ利休の幻影を追いかけていき、ここで映画は終わる。
 テーマはどうやら掴める。が、この映画によって何を訴えようとしているかが、まだ私には分からない。死に対峙する心構えを忘れた現代人に警鐘を鳴らそうとでもいうのか。戦国乱世、創生期の茶の湯の精神に帰れとでも言いたいのか。なにも映画は人に感動を与えなくともよい。しかし、観る者になにかを痛感させるインパクトがなければならない。でなければ、映画は、表現者の独白になってしまうし、何も伝わらずに終わってしまう。この映画からは、表現者が訴えかけようとする何かが(思想であれ感情であれ)、どうしても私には伝わって来なかった。

 その後私は、この映画に関する評論家の批評を探してみた。双葉十三郎の評価は四つ星(ダンゼン優秀)で最高点。(文春新書『日本映画 ぼくの300本』)しかし、コメントには何が良かったのかについて漠然としたことしか書いていない。「暗いムードの場面を基盤に重々しく古風な格調を盛ることに成功した演出も賞賛に値する。」これでは、無内容な言葉の羅列だ(耄碌じいさん!)。淀川長治も大絶賛しているわりには、下らないことしか書いていない。(河出書房新社『究極の日本映画 ベスト66』)「清水で洗うその大根の白さが目にしみる」とか、「男の花道のせい揃いの感じである」とか、「武士を知り日本を知りサムライを知らせるこの映画に私はハラキリの日本を見、事実この映画、三態の切腹をも覗かせた」なんてもう支離滅裂な文章である。こんな感じで、熱にでも浮かされた調子で、5ページにわたって長々と書いているが、淀川さんも晩年は節操がなく、外国で賞なんかもらうと(『本覚坊遺文 千利休』はベネチア映画祭で銀獅子賞を受賞したそうだ)、途端に意見を変えるから信用がならないと思った。



伊豆の乙女椿、桜町弘子

2006-04-19 02:19:14 | 監督、スタッフ、共演者
 桜町弘子は、東映三人娘(ほかに丘さとみ、大川恵子)の中でいちばん息長く東映映画に出演し続けた女優だった。お姫様役というより町娘役が多かったが、時には殺され役や汚れ役もこなし、演技力に光るものがあった。私の独断と偏見による評価から言うと、この三人娘の美人度は、大川恵子、桜町弘子、丘さとみの順だが、演技力から言うと、桜町弘子が頭一つを抜いていた。努力して進歩したと思う。ただし、この中で私が最も好きな女優は、丘さとみだった。(彼女は天性の女優のようだった。)
<桜町、丘、大川の東映三人娘>
  
 
 桜町弘子は、伊豆半島の下田の出身である。高校までずっと下田で暮らしていたのだが、卒業と同時に東映に入社する。そのきっかけが面白い。高校3年の秋、同級生が雑誌広告を見て、「全国美人写真コンクール」に無断で送った桜町の写真が東海地区第一位に選ばれてしまった。その後すぐに「ミス丹後ちりめん」に選ばれ、伊豆下田に美女ありといった評判を呼んだ。そんな折、南伊豆に『剣豪二刀流』のロケハンに来ていた東映スタッフの一行がその噂を耳にする。タクシーの運転手が最初に教えたらしい。スタッフの一行には監督の松田定次が居て、彼が興味を示したというのだから、人生分からないものだ。松田監督の紹介で、桜町は京都の東映撮影所でテストを受け、合格する。そして、東映女優の道を踏み出すことになった。(以上、前掲書『明星』の「スタア小説、ああ乙女椿の花咲けば 桜町弘子物語」からの要約である。)
 
 桜町の熱演で特に私の印象に残っているのは、伊藤大輔監督の『徳川家康』の中で演じた三河武士の後家の役である。百姓同然の質素な暮らしをしながら、女手一つで男の子を育て、主君家康による徳川家の再興を願っている、そんな年増の後家役だった。河原のような所で足が痛くて歩けない息子を少年の家康が助けておんぶしてくれる場面があった。この少年が主君家康だと知って、桜町は心を打たれるのだが、この時の桜町の表情が良かった。この貧しい後家役で、桜町は眉を剃り、確かお歯黒だったような気がするが、粗末な着物姿で、私の知る限り彼女が演じたいちばんの汚れ役だったと思う。また、荒れ果てた屋敷で、武士たちが意見の違いで争い、取っ組み合いを始めようとするときに、桜町が割って入る場面があった。男たちの料簡の狭さをなじり、貧しい暮らしを支えてきた女たちの苦労と我慢強さを訴えるのだが、そのときの桜町の形相と迫力は、凄かった。しかも同時に長いセリフをまくしたてるようにしゃべるのだ。伊藤大輔が書いた脚本のセリフは長くて難しいが、桜町はそれを見事にこなしていた。
 そういえば、伊藤監督の『反逆児』でも、桜町は悲惨な目に遭う娘役を演じていた。舟で花を運んでいる途中、偶然信康(錦之助)に見初められ、身を委ねなければならなくなる。それが悲運の始まりで、信康の母の築山殿(杉村春子)によって、嫁の徳姫に対するつら当てに利用されてしまう。信康から邪慳にされると、今度は築山殿から拷問を受け、焼きごてまで当てられて、放り出される。復讐に燃えた桜町は、徳姫に願い入る。これは、実に難しい役だったと思う。初々しい処女の花売り娘から、切ない恋心を抱く女、つらい仕打ちに耐える女、恨みを内に秘めた女、そして精根尽き果て抜け殻のようになった女まで、多分伊藤監督にしごかれながら、演じ切った。
 桜町弘子は、映画で主役になったことがない。常に脇役だった。ほんのチョイ役から、主演男優スターの相手役まで、幅広い役柄を全力で演じた。いろいろな作品に出ていたが、錦之助との共演作では、『ちいさこべ』での商家の品の良いお嬢さんが奇麗だった。後年のヤクザ映画では、『総長賭博』(山下耕作監督)で鶴田浩二の女房役が慎ましく、しかも情愛がこもっていて、とても良かった。



懐かしの雑誌『明星』から

2006-04-18 20:41:10 | 錦之助ファン、雑記

 雑誌『明星』の1958年正月増刊号を古本屋で入手した。オール時代劇の特集で、当時の時代劇映画やスターの記事が満載で、実に面白い。読みごたえも十分である。私はビデオ鑑賞や読書に飽きると、この雑誌を覗き、あちこち拾い読みしながら、楽しんでいる。スターたちの座談会あり、インタヴューあり、近況報告あり、さらには脇役たちの奥さんの苦労話もあったりして、この頃の雑誌記者たちがいかにスターとファンを大切にし、その橋渡しに苦心していたかが手に取るように分かる。その楽しさと明るさに私は思わずほほ笑んでしまう。
 もちろん、この雑誌の中には、中村錦之助に関する記事も多い。あっ、そうだ、忘れていた!この号のカバー写真が、なんと、錦之助なのである。粋なやくざの着流し姿で、にっこり笑ってこっちを見ている。その顔の晴れやかで素敵なこと!女性ファンが見たら、身体中にビリビリ電気が走るにちがいない
 では、錦之助の記事をちょっとご紹介しよう。なんだか、ミーハー的な気分だが、堅い映画論だけでは、このブログを読んでいる方も飽きてしまうので、たまにはこんなのもイイんじゃないかと思って…。

 まずは、「錦ちゃんのクリスマス」から。6枚のモノ・トーン写真で綴るクリスマス・イヴのカップルのひと時。3ページ構成で、ロマンチックな映画のシーンのようだ。錦ちゃんはバシッとしたスーツ姿で、頭髪はオールバック。金持ちのお坊ちゃん風。相手の恋人役は大川恵子。ヘップバーン・ヘアで、大きな白襟の付いた藍色(?)のツー・ピースを着ている。目鼻立ちくっきりで、モダンな美人だなー。お姫様姿よりずっと可愛いじゃないか!二人で窓の外を眺めるショット、プレゼントを交換するショット、恵子ちゃんのピアノに錦ちゃんが寄り添うショット、シャンペンで乾杯するショット、雪の中に相合傘でたたずむショット。錦ちゃんの女性ファンなら、恵子ちゃんの場所に自分を置き換えて、夢のような空想をするのだろう。

 おつぎは、「青春対談 ゆく年くる年」。錦之助と浅丘ルリ子の対談である。二人の写真もあちこちに入って、5ページにわたる目玉記事。でも、錦ちゃんはほとんど聞き役で、ルリちゃんの一人喋りといった感じ。ちょうどルリちゃんが『禁じられた唇』の撮影で京都へ来たおりに対談のセッティングがなされたらしく、まずは京都の感想から。映画で演じる舞妓さんの話、共演者津川雅彦の話などなどあって…。
<『禁じられた唇』のルリ子と津川>

 この対談ではルリちゃんの少女っぽい省略の多い話し方に錦ちゃんが付いていけない部分も。そして、初めてのラブ・シーンのことに話が及ぶ。
 ルリ子「私ネ、最初の恋人は津川さんのお兄さんなのよ。」
 錦之助「えッ?」
 ルリ子「ウアッ。(笑)また、本気にしてるのね。これも映画の中のお話よ…。『愛情』って映画の中で、長門さんとの初恋の役をやったのよ。梅の花がいっぱい咲いているの、初春ね。その梅林の中で、肩に手をかけられるシーンがあって…私、まだ子供…いまでも子供だけど、そんときは、ほんとうの子供だったから、撮影だか、ほんとうなんだか、胸がドキドキしちゃった。夢かうつつかってところなのね。あんなこと初めてだったわ。だけど、長門さんが、演技の上で、いろいろ教えてくださったでしょ。感激したわ。」
 錦之助「それはよかったね。僕にも経験あるけど、最初は、もう、なにがなんだか分からないことだらけで、ずい分まごついたけど、このごろはやっと慣れた。」
 まあこんな感じで進んでいく。当時浅丘ルリ子は芳紀17歳だった。(錦之助は八つ上の25歳。)

 「あなたの知りたい錦ちゃんの七つの秘密」も面白い。錦之助の魅力の謎をとくカギとして、門外不出の七つの秘密が3ページにわたり書いてある。(1)食事の秘密(2)人気の秘密(3)魅力の秘密(4)演技の秘密(5)結婚の秘密(6)お洒落の秘密(7)秘密のヒミツであるが、ちょっとだけ紹介すると…。
 (1)食事の秘密から。「錦ちゃんはゲテ物趣味なんです。といっても、蛇や蛙などを食べる悪食家ではありません。大好物はホルモン料理。牛のタンとアバラ肉をニンニク入りのタレに漬けたのを、炭火で焼き、唐辛子で食べる朝鮮料理です。」
 なんのことはない。単なる焼肉料理だが、当時は韓国レストランが今ほどなかったことを考えれば、錦ちゃんは変な食べ物が好きなんだなーとファンは思ったはず。
 (2)人気の秘密から。「後援会『錦(にしき)』の現会員数が二万二千名。会員の層に親子が多いという点も不思議な点です。子供がファンになる、そうするとお母さんやお姉さんたちもファンになる。中には一家全部が会員だというファンもあります。」
 いやー凄かった。あの頃のファンはいったいどこへ行ってしまったのか?
 (私は『錦』の会員にはならなかったけれども、今は『錦友会』という錦之助を偲ぶ会の会員になっています。)


 「東映スタジオは野球ブーム」は2ページの写真記事。野球のユニフォームを着たそうそうたる東映スターたちの写真を見ていると楽しい。集合写真のほかに錦ちゃんがバットを構えている写真がデカデカと載っている。錦ちゃんが中心となって、映画『任侠東海道』の俳優陣を集めてチームを編成したそうだ。チーム名は「次郎チョーズ」。その主なメンバーを紹介すると…。監督片岡千恵蔵、ピッチャー中村錦之助(背番号1、打順は4番)、キャッチャー加賀邦男、ファースト大川橋蔵、セカンド東千代之介、ショート里見浩太郎、ライト大友柳太朗…。

 「花形スター初春の恋占い」は、藤田小女姫(さおとめ)が占っている。そう言えば、この霊媒少女、今はどうしたのだろう。昔はよくテレビにも出ていたが…。
 錦之助の恋占いはと言うと…。
 「この人は心のやさしい人ですから、真に人のことをよく思う方です。この人の見つける女の人は、表面あかるく見えても心の中が淋しいような、また何か個人的に問題を持っているような人に縁があるようです。沢山の人に思われても、すぐ、ふらふらする方ではありません。ご自分がよく思うと、とっても真剣になり、仕事にもさしつかえますが、これからも沢山噂をたてられそうです。しかし、来年とさ来年は、異性にハッキリした態度をとらなければならない年のようです。」
 錦之助が有馬稲子と大ロマンスのすえ婚約するのは、1959年だからちゃんと当たっている。ただ、有馬稲子が「表面あかるく見えて心の中が淋しそうな」人かどうかは分からないが、なんだかそんな女性のような気もしてくるから不思議。


 

『ゆうれい船』

2006-04-18 00:12:14 | 美剣士・侍

 前にも書いたが、私は物心つくかつかない頃からずっと東映の映画ばかり観ていた。が、いつ何を観たのかがもうはっきり分からなくなっている。先日『笛吹童子』の第一部だけを半世紀ぶりに見直してみたのだが、幾つかのシーンで「ここ、憶えている。あっ、ここも見たことがある」と感じ、不思議な気持ちになった。『笛吹童子』第一部は昭和29年4月公開、私は二歳になったばかりで、封切りのとき観たのではないことだけは確かである。リバイバル上映をどこかで観たにちがいない。情けない話だが、幼ないのころ観た東映の映画はそんな感じの映画ばかりである。
 
 『ゆうれい船』(昭和32年)も昔観た覚えがあった。が、錦之助が犬を連れていたことと、船に乗って海に出ることだけが、記憶の網に引っかかっている程度だった。ビデオを観る前に、子供だましの安っぽい冒険映画ならイヤだなと思っていた。前篇と後篇があって全部で3時間近くになる。前篇がつまらなければ、途中でやめようと思っていた。ただ、原作が大佛次郎、監督が娯楽映画の巨匠松田定次なので、ちょっとは期待していたが…。ところが、見始めて10分もしないうちに面白くなり、寝転んで眺めているどころではなくなった。起き上がり、画面の前に座って私はこの映画を見続けた。前篇を見終わると、すぐに後篇のカセットを入れた。そして3時間一気に観てしまった。

 『ゆうれい船』は、少年の夢と冒険心を十二分に満たしてくれる楽しい映画だった。何を隠そう、初老の私がこの映画を観て「少年」の気持ちに帰ることができたのだから、嬉しかった。もちろん、純粋な「少年」ではないので、ハラハラ・ドキドキ、手に汗握って見たわけではないが、それに近いものがあった。当時封切りでこの映画を観た少年たちの感動は推して知るべし、だと思った。『ゆうれい船』は、昭和32年9月公開作品だが、総天然色でしかもシネマスコープである。シネスコが初登場するのは同じ昭和32年の初めだから(松田定次監督、大友柳太朗主演の『鳳城の花嫁』がその記念碑的映画)、シネスコがまだ珍しい頃のことである。この映画にリアル・タイムで接した人たちはその迫力に圧倒されたにちがいない。とくに『ゆうれい船』後篇は、海でのロケ・シーンも多く、東映が製作費を相当つぎ込んで作った映画でもあった。
 主人公は、次郎丸という剣士まがいの美少年である。剣士まがいと言うのも、実は次郎丸は船乗りの息子だからで、武士になりたくて京都にやって来たのだった。白い着物にモンペのような朱色の袴、刀を一本差して登場、これが錦之助である。次郎丸は一匹の白い犬を連れている。中型の紀州犬(?)で、名前はシロ。この犬がなかなか良い。時代は、戦国乱世の初期。松永弾正が権勢をふるい、京都は荒れている。主家を滅ぼされた残党が跋扈し、貧民は暴動を起こしている。京都に出て、次郎丸は、悪人・善人、さまざまな人たちに出会い、いろいろな体験をする。


 『ゆうれい船』前篇は、世間知らずの次郎丸が京都で雪姫をめぐる争いに巻き込まれ、善悪の分別に目覚めていくストーリーである。次郎丸は15歳という設定で、錦之助は実際の年齢(25歳)よりずっと若い役をやっている。『笛吹童子』の菊丸、『紅孔雀』の小四郎といったキャラクターの踏襲である。私は錦之助の少年美剣士役を今ではあまり買っていない。個性のない操り人形のようで、頼りなさを感じるからである。ただし、この映画の錦之助は、ちょっと違っていた。成長の跡が明らかに見られ、主人公次郎丸を意識的に演技していた。そこに好感を持った。この映画には当時新人の桜町弘子が女中役で出演していたが、この娘を救う次郎丸の錦之助の演技がなかなか良かった。美しい雪姫が長谷川裕見子、次郎丸の面倒を見る武将の左馬之助が大友柳太朗だった。大友柳太朗は、大根役者と呼ばれることが多いが、そんなことはない。東映のスターの中ではむしろ芸達者な方で、私の好きな男優の一人である。ほかに、いつもは悪役ばかりの三島雅夫が百姓くずれの善良な浮浪児役(若作りだった)、山形勲も味方の武士役で(後篇では悪い海賊)、これにはいささか面食らった。

 さて、後篇は、船に乗って海に出る話だ。次郎丸は武士になることを諦め、父の後を継いで立派な船乗りになろうと決心している。そして、沈没したとばかり思っていた父の船を海で目撃したことから話が展開していく。この「ゆうれい船」を追いかけるうちに、海賊が現れたり、雪姫がさらわれたり、奇想天外な冒険ストーリーが始まる。琉球の離れ小島で、竜宮城のような平和のユートピアが現れたのには驚いた。そこに遭難して死んだはずの父(大河内伝次郎)が生きていたのだ。この島の王様が仙人みたいな老人(薄田研二)で、海賊がこの島にもぐり込んだあたりからは、予想もつかない展開になる。いったいこの話の結末がどこにたどり着くのか、私はむしろ作品自体の方が心配になり、ハラハラしてしまった。が、さすが、娯楽大作のプロ、松田定次が監督した映画である。最後は、このユートピアの王様が海賊もろとも島を爆破し、次郎丸は父に再会して、めでたし、めでたし。父を連れ、仲間や島民とともに島を脱出し、ゆうれい船に乗って海へ出て行く。海のどこかに平和の国を再建する新たな島を求めて……。



『大菩薩峠』

2006-04-16 20:11:16 | 美剣士・侍


 内田吐夢の大作『大菩薩峠』(昭和32年、33年、34年)のビデオをぶっ通しで観た。データによると、第一部119分、第二部105分、第三部(完結篇)106分とあるので、全部で330分、つまり5時間半観たわけだ。夜の11時半ごろから見始め、見終わった時にはもう夜が明けていた。が、見終わってこれほどの充足感に満たされたことも久しぶりだった。今更ながらこれは凄い映画だと思った。
 『大菩薩峠』の第一部だけはどこかの映画館で観た記憶があった。確か封切りの時ではなく、リバイバル上映の時だったと思う。その頃私は小学生であり、こうした映画を鑑賞できる年頃でもなかった。暗くて気味の悪い映画だったという印象しか残っていない。ただ、四十数年経った今でも幾つかのシーンは覚えていた。たとえば、机竜之助が奉納試合の相手の許婚を縄でしばり汚辱するシーンや、亡霊を払おうと狂ったように御簾に切りかかるシーンなどである。が、これは子供心にショッキングだったから覚えていただけの話で、たいしたことではない。
 『大菩薩峠』の凄いところは、完全に従来の東映時代劇を越えていたことにある。この映画は、カッコいいヒーローが登場する勧善懲悪の娯楽時代劇ではない。片岡千恵蔵扮する机竜之助という主人公は決して観客が感情移入できるヒーローではない。共感も抱けなければ、同情のかけらも感じられない殺人鬼である。無抵抗な老人や女を単なる気まぐれで斬り殺すような狂人である。彼が生き地獄へと落ちていくのも自業自得と言える。こうした主人公に魅力を感じる人がいるとしたら、異常で危ない人なのではないかと思う。

 では、なぜこのような残酷非情な狂気の物語にわれわれはえも言われぬ感動を覚えるのか?この映画を見終わって、しばらくの間私はその理由を考えてみなければならなかった。まず何よりも私が心を揺さぶられたのは、生死の境を行くあてもなくさまよう孤独な男(机竜之助)がいやがおうにも巻き込まざるを得ない女たちの生きざま、そして死にざまであった。この男が生きている限り、何かの宿縁で係わっていく女たちが現れ、極限状況にある男と女の間にドラマが生じる。竜之助にすがり、ほんの一時期でも関係を持った女たちは、さまよえる殺人鬼に身も心も捧げようとする。自分の住む社会から見捨てられ、行き場のない女たちなのである。地獄の果てまで男に付いて行く覚悟をした女はすさまじい。
 竜之助と深い関係を持つ女たちは、指折り数えてみると、お浜、お豊、お絹、お銀、お徳の五人いる。なかでも第一部で登場するお浜(長谷川裕見子)は強烈な印象を与え、その残像が頭にこびりついた。お浜は、武家の娘で、竜之助の試合相手となった宇津木文之丞の許婚であったが、竜之助に試合に負けてくれるよう頼みに行って、女の操を奪われてしまう。それを知った文之丞からは足蹴にされ、離縁状まで突きつけられる。しかも文之丞は試合で竜之助に打ち殺される。お浜の生きる道は、自分を奪った竜之助にすがりつき、この男に自らの運命をゆだねるほかにない。お浜はすべてを投げ打ち、竜之助とともに放浪の旅に出る。そして、竜之助との間に子供を産む。人目を忍ぶ窮乏生活のなかでの子育て、次第にお浜は不満を募らせ、竜之助の甲斐性のなさを罵り始める。お浜の最後はあわれだった。義理の弟になるはずだった宇津木兵馬(中村錦之助)を助けようとして、竜之助に刺し殺されてしまうのだ。

 お豊(長谷川裕見子が二役を演じる)もあわれな女で、男と心中を試みたが運悪く生き延びてしまう女だった。薬の入った印籠をくれた竜之助がお豊にとっては地獄に仏で、これが縁でお豊は竜之助に深情けをかけることになる。病身に鞭打ち旅籠の女中までして竜之助に尽くしていたが、悪旗本に見初められ、犯されてしまう。お豊は自害する。
 お銀(喜多川千鶴)は名家の娘だが、顔に醜いアザがあるため、嫁に行けない女だった。名刀の鑑定で竜之助を訪ねたことが縁で、目の見えなくなった竜之助に身をゆだねる。お銀は初めてこの上ない女の至福を味わったことで、竜之助のそばを離れられなくなる。
 お絹(浦里はるみ)は無聊をかこつ妾であり、お徳(木暮美千代)は幼少の息子をかかえた山里の後家だった。

 もちろん『大菩薩峠』には、直接間接、主人公机竜之助にかかわる老若男女さまざまな人間が登場する。しかし、竜之助とこの女たちの濃密なドラマに比べれば、他の人間模様はうす味である。兄の仇である竜之助を追いかける宇津木兵馬(錦之助)と竜之助に殺された巡礼の孫娘お松(丘さとみ)とのロマンスは、この狂気の物語に並行するサブ・ストーリーとして描かれるが、淡い印象しか残さない。とはいえ、この濃淡あざやかな描写があるから、作品に重層的な厚みが加わったと言えなくもない。濃密だが殺伐としたドラマだけでは、きっと見飽きてしまっただろう。喩えは悪いかもしれないが、私がこの大作を見終わって感じた充足感は、贅沢なコース料理を食べた後の満腹感に似ていた。メインディッシュはこれまで味わったことのない濃厚なゲテモノ料理だったが、うす味の各種サブディッシュを添え、消化良く食べさせてもらったような気がした。

 『大菩薩峠』三部作は、『宮本武蔵』五部作に匹敵する東映映画史上の傑作であった。その両方を内田吐夢が監督して作ったという偉業はどんなに評価してもしすぎることはないと思う。
 余談になるが、『大菩薩峠』を観て、内田吐夢という監督は、女性に相当苦労した男だったのではないかと察した。女性を持て余し、女性を内心恐れていた男だったのではないか。机竜之助が、ある意味で吐夢の分身だとするならば、女との修羅場で、竜之助の態度にその様子が伺えた。お浜に悪態を付かれた竜之助が「おまえとは悪縁だ!」と叫ぶ場面は、妙に生々しく感じた。また、子供が仏壇から飛び出したネズミに首を噛まれ、お浜が医者を呼んで来てほしいと竜之助に必死で懇願する場面があるが、この時、面倒くさがってごろ寝を決め込む竜之助の態度は、吐夢自身の体験をもとに演出しているように思えてならなかった。きっと吐夢は恐妻家だったのだろうと思ったほどだ。

 最後に出演者たちのことに触れておこう。
 片岡千恵蔵の机竜之助は、私にはどうしてもはまり役と思えない部分を感じた。立ち回りはさすがに迫力満点で見ごたえがあった。また、狂乱して剣を振り回す姿や盲目になった後のうらぶれた姿も良かったが、何気ない普通の場面での千恵蔵の演技には私は不満を覚えた。ありふれた好々爺に見えてしまうところがあって、いただけなかった。たとえば、お徳の子供を抱きかかえる場面があるが、その時の竜之助など、単なる子煩悩なおじさんにしか見えなかった。たとえ一時的に正気に戻っていても竜之助は常人とは違うわけで、絶えず虚無的な雰囲気を漂わせてほしかった。
 長谷川裕見子は最高の演技だった。お浜とお豊の二役だったが、違いもうまく表現し、存在感がひと際目立っていた。お浜の睨みつけるようなあの恨めしい目は、今でも私の脳裏から離れない。セリフ回しといい、立ち居振る舞いといい、長谷川の色気とその芸達者ぶりにはいつも感心してしまう。女優陣では、ほかに喜多川千鶴のお銀が良かった。
 錦之助の宇津木兵馬は、錦之助ファンから見れば、不満であろう。精神的に未熟な若い剣士の役では、錦之助の良さも発揮できず、正直言って私はあまり魅力を感じなかった。錦之助自身、この役にはどうも打ち込めないと漏らしていたと言う。 それと、お松(丘さとみ)の親代わりになる怪盗役が月形竜之介だったが、若い兵馬とお松のロマンスを常に遠くから見守っている姿が印象的だった。大河内伝次郎の剣豪島田虎之助は、貫禄十分、立ち回りも際立っていたことを付け加えておこう。