錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『股旅 三人やくざ』

2006-04-22 20:13:48 | 旅鴉・やくざ

 オムニバス映画というのは、厳密には、複数の監督が一定のテーマに基づき中篇ないし短編を競作し、それらを一本の映画にまとめたものである。が、広い意味では、一人の監督が一定のテーマで作った複数の中篇ないし短編を集めた映画も言うようだ。どちらにせよ、観客が複数の作品をまとめて同時に鑑賞できるという点では、お徳用とでも言おうか、それらが選りすぐりの逸品揃いの時には、おいしい料理を何皿も味わったような充足感を得ることができる。オー・ヘンリーの短編集をハリウッドの名うての監督たちが映画化した『人生模様』(1953年)、古くはジュリアン・デュビビエの『舞踏会の手帖』(1938年)は、見どころたっぷりの名作だった。しかし実際には、逸品揃いの優れたオムニバス映画というのは珍しく、たいていは、個々の作品に出来不出来の差がある場合が多い。そして、不出来な作品が余計つまらなく見えて、妙に白けた気分になってしまう。これならまともな長編映画を一本観た方がましだったと後悔の念すら感じることもある。『世にも怪奇な物語』(1967年、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェリーニが競作したエドガー・アラン・ポー原作の三部構成)はそんな映画だった。なかにはどの作品も退屈で鑑賞に耐えないオムニバス映画もある。そんな時は怒りも作品の数だけ掛け合わさって、製作者や監督に絶縁状を投げつけたくなる。

 さて、錦之助が出演したオムニバス映画は、確か全部で三本あった。今井正監督の『武士道残酷物語』(1963年)、田坂具隆監督の『冷飯とおさんとちゃん』(1965年)、沢島忠監督の『股旅 三人やくざ』(1965年)である。すべて60年代に作られ、一人の監督によるオムニバス映画であったが、幸い、いずれも期待を裏切らない素晴らしい映画であった。私が観た感想を言わせてもらえば、順番に、力作、名作、佳作といった評価であろうか。今回は、その中の一本、佳作『股旅 三人やくざ』について書いてみたいと思う。

 この映画は、三人のシナリオ・ライター(中島貞夫、笠原和夫、野上龍雄)が書いた脚本を沢島忠が監督して作り、一本にまとめたものだった。いずれも股旅物で、やくざが主人公である。第一話は、お尋ね者のやくざ(仲代達矢)と女郎(桜町弘子)との人情話、第二話は、親を失くした若いやくざ(松方弘樹)と年老いた博打打ち(志村喬)の関係に、博打打ちの娘(藤純子)を交えた親子愛の話、第三話は、村人に役人殺しを頼まれた意気地なしでお人よしのやくざ(錦之助)の話であった。どの話も、起承転結があり、しっかりとした構成で、見ごたえがあった。ただし、第一話と第二話は股旅物にはよくある古典的なドラマ、第三話はオリジナリティのある喜劇的なスートリーだった。

 第一話の主役は仲代達矢である。腕の立つ一匹狼のやくざで、お尋ね者らしいニヒルな暗さはそれなりに良いのだが、あの能面のようなマスクが人情話の男主人公にはふさわしくないようにも感じた。女郎役の桜町弘子は熱演だった。なりふりかまわぬ気性の激しさと恋した女の情愛を巧みに演じ分け、女郎の絶望感や哀感を滲み出させていた。男の腕に思い切り噛み付いたかと思えば、今度は饅頭をかじりかかって、ふと自分のはしたなさに気づき、男に分けてやるところなど、対比のある見事な描写だった。

 第二話では、松方弘樹の若いチンピラ役がなかなか良かった。ひねくれたようで、素直な面をちらつかせ、こすからそうで、無邪気な面ものぞかせていた。古漬けの長細い沢庵をぼりぼりかじりながら酒を飲む場面があったが、見ていると20センチは本当に食べていたようだ。(この映画、何かをかじるということが空腹感を表す共通のモチーフになっていた。ちなみに第三話では錦之助がナマの大根をかじる。)志村喬はちょっと老けすぎかなと思った。娘役の若い藤純子との取り合わせが、父と娘というより、祖父と孫娘といった感じに見えてしまうのだ。また、志村喬という名優には善人や人徳者といった役柄のイメージが拭い切れない。十年も妻子を置き去りにした極道者の博打打ちにはどうも見えない印象を受けた。どうせなら島帰りの罪人にでもこの役を設定すべきだったのではないか。藤純子は初々しく、まだ牡丹の花のつぼみといった感じだった。(この時藤純子は19歳で、『緋牡丹博徒』のヒロインお竜で一躍スターダムに上がるのはその三年後であった。)
 
 第三話は、沢島忠の演出が冴えわたるコメディータッチの逸品だった。これが、たまらなく面白いのだ。嘘だと思ったら、ぜひ観ていただきたい。錦之助がとんだ三枚目を演じるのだが、その表情といい、セリフ回しといい、もう笑いが止まらない。後年の寅さんを見ているようなのだ。この作品、『やくざはつらいよ』とでもいった感じなのである。
 錦之助が演じるヘナチョコやくざ、名前を風の久太郎(きゅうたろう)といい、格好だけは一丁前、粋がってはいるが、実は喧嘩の腕もおぼつかない半端者のやくざである。腰抜けだが、お人よし。村人たちから至れり尽くせりの饗応を受けた久太郎は、村人たちのたっての申し出を断りきれない。悪役人を一人殺してくれと頼まれるのだが、久太郎にはちと荷が重過ぎる。村人が去り、黙って逃げようとすると、寝間には夜伽にあてがわれた可愛いおぼこ娘(入江若葉がいい!)がいて懇願する始末。久太郎、人を殺したこともなければ、女にもウブらしい。素人娘に手を出しちゃならぬと勝手にこじつけ、再度トンズラしようと外に飛び出すが、これが大失敗。
 その前に「タヌキ汁」が出て来て、次に「タヌキ狩り」の話が出て、何かと思っていたが、それがとんだ伏線だった。ここでタヌキ狩りの仕掛けが現れ、久太郎が夜中逃げようとした途端、本当にタヌキが掛かって、鳴子が響き渡る。村人たちがあちこちから現れ、逃げ道を失った久太郎、「タヌキがつかまった!」と村人たちといっしょになって大騒ぎする体たらく。このタヌキ狩りの仕掛け、久太郎がいざ凄腕の悪役人(タヌキ顔の加藤武が演じていた)と戦うことになり(錦之助のへっぴり腰が愉快!)、絶体絶命の窮地に追い詰められた場面でも重要な役目を演じる。これは見てのお楽しみ。
 この作品には、タヌキ狩りの仕掛けだけではなく、プロット上の仕掛けもところどころに置かれて、実に手が込んでいた。久太郎のキャラクターも、いつものカッコいい錦之助とは大違い!その予想外のギャップが、錦之助ファンには格別に楽しく、受けに受けた。まさにエンターテイナー沢島忠の面目躍如、「してやったり」という顔が浮ぶよう。それに応え、沢島監督と共謀し、ファンの期待を見事に裏切った(?)錦之助のエンターテイナー精神も、見上げたものであった。参った!