錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『尻啖え孫市』

2006-04-04 21:55:14 | 戦国武将

 『尻啖(くら)え孫市』(1969年)は、錦之助にとって初物づくしの映画だった。まず、大映作品に出演したことが初めてだった。まだ倒産する前の大映で、製作者はもちろん永田雅一。監督は三隅研次で、雷蔵の『眠狂四郎』や勝新の『座頭市』シリーズなど大映で数々のヒット作を手がけた鬼才。東映のライバルだった大映京都の時代劇を支え続けてきた監督の一人で、東映にとっては敵将のような人である。この三隅監督の映画に錦之助が出演したのだから驚きだった。錦之助が東映を辞めて、フリーになったから実現したわけだ。そして、勝新太郎とも初顔合わせ。錦之助と勝とは酒飲み友達だったらしいが、これまで映画で共演したことはなかった。加えて、脚本が菊島隆三、撮影が宮川一夫といえば、黒澤明の名スタッフである。この映画の製作は昭和40年代の半ば、時代劇は言うまでもなく映画界全体が斜陽の時代(いや落陽の時代か)を迎えていた。だから実現したことでもあった。
 まだ、ある。『尻啖くらえ孫市』は司馬遼太郎の時代小説が原作だが、錦之助が司馬作品に出演するのも初めてだったと思う。この作品は、織田信長の時代に活躍した紀州の武将雑賀孫市(さいかまごいち)が主人公である。彼は精鋭の鉄砲隊を率いて独立不覇の道を歩んでいく。一時は信長に加勢し戦果を上げるが、信長に約束を破られたと知ると、今度は反旗を翻し、信長に抵抗している本願寺派の味方につく。 
<司馬遼太郎の『尻啖え孫市』>


 さて、『尻啖え孫市』は大変面白い映画だった。見せ場もたっぷりあって、見飽きることがなかった。槍を使ったアクションや鉄砲隊による襲撃シーンも見どころだが、武将同士の腹の探り合いがあり、美しい女とのロマンスあり、さらにはユーモラスな場面まで盛り込んで、十二分に楽しめる作品に仕上がっていた。
 登場人物もみな個性的で、生き生きとしていた。
 まず、孫市という主人公が大変ユニークである。槍の使い手で鉄砲の腕も抜群、権謀術数に長けた、まさに一騎当千のツワモノなのだが、実は酒乱で色魔でもある。暇な時は複数の遊女を周りに侍らせ、金をばらまいたりしている。孫市は、清水寺で一目惚れした或る女を探している。女の顔を見たわけでもないのに、ただ足があまりに美しいのでこの女に惚れてしまったのだ。。今風に言えば「足フェチ」で、この女が信長の妹と聞いて、単身信長のところへ押しかけて行く。女をくれれば、信長に味方すると申し出るのだ。
 錦之助はこの一風変わった孫市役に意欲的に取り組んでいた。これまで演じたことがない錦之助の役柄である。「英雄、色を好む」と言うが、孫市はそんな感じの武将だと言える。従来、錦之助は女に対してはオクテな役が多かった。しかし、この孫市は、平気で女の胸元や裾の中に手を突っ込んだりする。積極的に女をものにしようと迫る男なのだ。孫市のいでたちも変わっていた。真っ赤な袖なしの陣羽織に、白いズボン。なんとも派手な衣装である。
 信長の前で孫市が部下の鉄砲隊の腕前を披露するシーンは特に印象的だった。標的の扇子を手にして、舞いながら、銃弾の前に身をさらすのだ。この場面の錦之助が格好良い。それと、槍を使った立ち回りがあるが、錦之助が槍で戦うのも珍しい。が、この槍さばきが実に見事なのだ。私は思わずうなってしまった。

 勝新太郎の信長は豪放磊落、荒削りだが、大胆な演技は相変わらず。ほかに、共演者では、木下藤吉郎の中村賀津雄が良かった。ひょうきんだが思慮深い腹の据わった策士の役を巧みに演じていた。錦之助と勝新という強烈で個性的な俳優の間に賀津雄が入るところが良いのだ。クッション役とでも言おうか。錦之助と賀津雄のツー・ショットは他の映画でも多いが、孫市と藤吉郎というこの組み合わせは、息が合っていて、絶妙だなと思った。
 孫市に一目惚れされる栗原小巻はあでやかで美しい。ねね役の梓英子も清楚で良かった。

 ちなみに、タイトルにある「尻啖え」とは、孫市が相手に尻を向け、羽織をまくって相手を翻弄する時につかう言葉である。


『雨の花笠』

2006-04-04 00:16:46 | 旅鴉・やくざ

 島倉千代子の古い歌は今でもたまにカセットで聴いている。聴いていると目頭が熱くなり、涙がにじむこともある。私は島倉千代子の歌に弱い。特に『からたち日記』と『東京だよ、おっかさん』がダメだ。条件反射的につい涙腺が緩んでしまう。か細いようで芯がある、明るいようで物悲しい、あの透き通った声が、いつも胸にしみる…。

 『雨の花笠』(1957年)は、錦之助が島倉千代子と最初で最後に共演した映画だった。美空ひばりとは錦之助のデビュー以来数作共演しているが、ひばりは姐御肌の陽性タイプ。どちらかと言えば、明るい錦之助の恋人役には可憐で控え目な島倉千代子の方が合うようだ。この映画を観ていて、そんな気がした。昭和30年代には島倉千代子も数多く映画に出演していて、私は子供の頃母に連れられて何本か映画を見たことがある。昔の彼女は女優としても好きだった。お姉さんにしたい女性のように感じていたが、それも今では懐かしい思い出だ。

 股旅物のこの映画、錦之助が人情味あるやくざを演じた作品だった。監督は内出(うちで)好吉で、錦之助の映画デビュー作『ひよどり草紙』(1954年松竹作品)でメガフォンをとった監督でもある。撮影は名手三木滋人。スタンダード・サイズの白黒映画だった。行方不明になった母親を探しながら旅をしている姉弟を島倉千代子と子役時代の松島トモ子が演じていたが、錦之助とこの二人とのからみがほほえましい。島倉千代子が歌を披露する場面は、情感がこもっていて味わいがあった。松島トモ子も演技がうまいなと感心した。さて、話の筋はこうだ。峠の新太郎という名のやくざが錦之助で、もとは江戸の料亭の息子だったが、タチの悪い客をあやめたため、江戸を発ってずっと股旅をしていた。しかし、まっとうな道に戻ろうと、刀を封印し、真面目に働いて貯めた金を持って今母親に再会する帰途にある。それが、やくざに難癖を付けられた島倉と松島の姉弟を救ってやってから、思わぬ展開に向かう。彼らの母親探しを手伝っているうちに、新太郎は極悪非道なやくざの一家との争いに巻き込まれ、我慢していた封印をついに解く。

 『雨の花笠』は、大人向けに作られた映画だが、子供が見ても分かる簡明な内容だった。悪い意味ではない。いかにも古き良き時代に作られた娯楽映画とでも言おうか。勧善懲悪のストリーに、母親への思慕と男女の恋心を織り込み、明るく見終わってすっきりとする作品だった。
 最初のお祭りの場面で主人公の新太郎はひょっとこのお面をかぶって登場する。お面の中からもぐもぐ話すので声も違う。それが、やくざをやっつけようとする直前、さっとお面を取る。顔を見せた錦之助の若くて晴れやかなこと!そして、歯切れのいい言葉が口をついて出る。昔なら映画館でも待ってましたとばかり、観客の歓声と拍手が起こるところだ。ここで立ち回りが始まるが、錦之助は封印した刀を決して抜かない。刀を振り回すやくざたちに素手で対抗し、次から次へと投げ倒し、蹴り倒す。映画の途中にもまた立ち回りがあるが、ここでも刀を抜かない。同じようにやくざをなぎ倒す。刀を使わないで暴れ回る錦之助が実に格好良い。ダイナミックで、しかも颯爽としているのだ。しかし、最後はやくざの家に乗り込み、あまりの悪辣ぶりにとうとう刀を抜き、堰を切ったように大暴れする。二十数人を相手に斬りまくるのだ。東映末期高倉健が演じたやくざ映画の殴り込みと図式は同じだが、立ち回りが全然違う。この映画のラストは、暴力的で凄惨な感じがまったくしなかった。人の斬り方、斬られ方に段取りがあって、流れるような動きの中にも振り付けられた所作なようなものを感じるからなのだろう。
 この映画の悪役では、親分役の佐々木孝丸が良かった。原健策は、腕の立つ浪人で、女に愛想を尽かされ、錦之助を逆恨みする役だったが、これがまた良かった。この二人、最後に錦之助に斬られるのだが、死に方も様になっていたことを付け加えておく。