『徳川家康』のクレジット・タイトルを見ると、出演者では、中村錦之助の名前がまず最初に出る。次が、北大路欣也で、あとはずっと複数の名前が並んで、いちばん最後に一人有馬稲子の名前が出る。つまり、キャスティングから言うと、信長を演じた錦之助と家康の母・於大(おだい)を演じた有馬稲子が主演ということになる。
が、もちろん、この映画は、そのタイトル通り、徳川家康が主人公である。正しくは、家康の幼少年期が話の中心なので、松平竹千代が主人公である。そこで、竹千代を演じる子役が三人登場するのだが、二番目と三番目の子役は演技が大変上手で、この二人が出る場面は彼らが主役と言っても良い。そして、竹千代が元服し、松平元信を名乗るようになって初めて北大路欣也が登場する。後半の後半からだ。 これは、前回も書いたことだが、『徳川家康』という映画は、出演者がみな熱演しているため、シーンごとに主役が替わっていくようにも見える。
出演者のことを書き出したらキリがない。家康の父・松平広忠に扮した田村高廣、松平家の重臣の清水元、家来の後家で汚れ役を演じた桜町弘子、そして今川義元の西村晃と木下藤吉郎の山本圭などは、特に印象に残った。北大路欣也も凛々しい若武者ぶりで、若き日の徳川家康がこれほどカッコ良くていいのかと感じるほどだった。
ここでは特に私の好きな有馬稲子と錦之助について書いてみたい。
話は飛ぶが、有馬稲子と錦之助が共演した映画は、『徳川家康』を含め、三作ある。他の二作は、二人が初共演して婚約にまでいたった『浪花の恋の物語』(昭和34年)、七話あるオムニバスの第四話で有馬稲子が錦之助の妻を演じた『武士道残酷物語』(昭和38年)である。本当の意味で二人の共演作は『浪花の恋の物語』だけであろうが、『徳川家康』は二人が一緒に演じた場面こそ少ないが(確か2シーンだけ)、映画を観終わった時の印象では、有馬稲子も、錦之助に負けないほど引き立って見えた。まあ、こんなことは、映画とは関係ないが、『徳川家康』(昭和40年正月公開)で共演した後、1年も経たないうちに二人は離婚してしまう(昭和40年7月)。錦之助も有馬稲子も大好きだった私はそのニュースを聞いて少なからずショックを受けた。実を言うと、有馬稲子という女優ことを、錦之助と結婚してから私は知り、彼女の写真を雑誌で見ては、美しい女優だなーと思っていたが、映画で有馬稲子を観たのは『徳川家康』が初めてだった。そして、この映画を観て私はこの女優がすっかり気に入ってしまった。錦之助と離婚後、残念ながら有馬稲子はずっと映画に出演しなかったと思うが、吉田喜重監督の『告白的女優論』(昭和46年)で久しぶりに彼女を見た。が、その時は失望したのを覚えている。こんなはずはないと思い、それから何本か彼女の古い映画を観た。小津監督の『彼岸花』『東京暮色』、松本清張原作の『ゼロの焦点』『波の塔』、田坂具隆監督の『はだかっ子』、今井正監督の『夜の鼓』などである。どれも錦之助と結婚する前の作品で、映画女優として輝いていた頃の有馬稲子だった。
話を『徳川家康』に戻そう。この映画で於大を演じた有馬稲子は何しろ美しい。悲しみを湛えた情感のある美しさとでも言おうか。崩れそうな気持ちを武将の娘の気丈さで支えている。そんな女の魅力である。小学六年の昔感じた気持ちは、五十歳を過ぎた今も変わらない。舟に乗って輿入れするファースト・シーンの回想場面で、嫁入り前の於大が登場する。病床の父親の前で嫁いで行く決意を述べる於大の有馬稲子はやや若作りだが、束髪に飾りを付け、朱色の着物をまとった姿があでやかで、目に焼きつく。労咳で血を吐く夫(田村高廣)の口に自らの口をつけ、血を吸い取る場面の有馬稲子の表情はなぜか悩殺的である。夫に離縁され、実家に戻れず、そのまま織田家に連れて行かれ、新しい夫をあてがわれた時の有馬稲子の涙ぐむ表情も良い。竹千代の無事を祈願するため熱田神宮に詣でた時、境内で吉法師(信長)に出会うのだが、錦之助と有馬稲子のこの場面はさすがに引き付けられる。吉法師に案内されて、於大が成長したわが子竹千代を庭先から覗き見る場面は感動的だった。この時、竹千代の作った金の折鶴を、吉法師から於大はもらうのだが、竹千代を殺さないと吉法師から約束された時の感謝と安堵の気持ちが混じった於大の表情も良かった。映画の後半で、この折鶴が母と子を結ぶ絆を象徴する重要なモチーフとなる。有馬稲子がこの金の折鶴を手にのせて、眺めるシーンも思い入れたっぷりで素晴らしかった。
最後になってしまったが、この映画で錦之助が演じた信長の印象を述べておこう。貫禄があって、人を威圧するような雰囲気が漂う畏れ多い信長とでも言おうか。自信に満ち、もう天下を取ってしまったような信長だった。安土城の天守閣に立たせてもサマになる信長で、どうせならこのまま本能寺の変まで信長を演じきってほしかった、と思うのは私だけではあるまい。
錦之助の目の演技がすごい。眼技(がんぎ)という言葉があるが、この映画の錦之助の目の演技はまさにそれである。らんらんとした眼光に、突き刺すような鋭さと未来を見据えたような輝きがある。敵を射止めんとする強い意志と生死を賭けて戦いに臨む決然たる覚悟がこもっている。桶狭間の戦いに出陣しようとする時の錦之助の信長の姿は、観ている者が息を飲むほどの迫力があった。それは若さの迫力ではない。壮年の充実した迫力である。この時錦之助はまだ32歳なのに。観ていると、40歳くらいの印象を覚える。
出陣前に「敦盛」を舞う信長は、天下を取る風格が体全体に溢れていた。薄い黄色の着物に黒い袴をはき、天守閣から階段を降りて黒塗りの板の間で力強く「敦盛」を舞う錦之助には見惚れてしまう。
この映画で、錦之助は何度も衣装を替える。桶狭間の戦いを前にした信長だけで四度も違う着物をまとって登場する。初めは、模様の入った銀ねずみ色の着物、次が紺色に近い青い着物、そして薄い黄色の着物で、最後の出陣の時には黒い着物だった。有馬稲子の衣替えも多く、二人の豪華絢爛な衣装比べも、この映画の見どころだった。
感じたままを書いております。
花柳錦之輔について、調べてくださりありがとうございました。竜子さまのおっしゃるように
仕舞をアレンジして日舞で振付されたんでしょうね。信長の立志への想いが、力強く表現されて、本当にすばらしいですね。観世静夫は、錦之助信長の謡の吹替えは、何度かされたかもしれませんね。
有馬稲子の演じられた「於大の方」の一生についても知りたくなりますね。家康、築山御前との関係も。その描かれる作者によって、歴史上の人物像も、いろいろに変化されて、見る者の
想像を掻き立てますね。この映画も会社側の考えでカットされたということを読んだ記憶がありますが、もしかすると信長と於大のシーンはもっとあったかもしれませんね。
伊藤監督の意図はどうもよく分かりません。
歴史物を観ていると、確かに興味が尽きないので、あまり深入りしないように気をつけなくちゃ、と思っています。次の映画に進めませんからね。
実を言うと、今読みかけの本が三冊あって、アップアップ状態です。大佛次郎の『炎の柱』と土師清二の『大久保彦左衛門』がまだ途中なのに、林不忘の『新大岡政談』を読み始めてしまいました。丹下左善、これがまた面白いんですね。
どうしん様は「築山御前」に興味がおありのようですが、大佛次郎の『炎の柱』で初めの方に登場しますよ。もちろん信康もですが…。『反逆児』の原作は彼の『築山殿始末記』ですが、これは戯曲でしたよね。まだ、見つけていません。(大佛次郎全集に収録されているのですかね?)阿井景子という作家の『築山殿無残』は買いました。まだ未読です。今後読もうと思っているのは、火野葦平の『花と龍』と吉川英治の『親鸞』です。
ともかく、私の仕事部屋は、目下、時代小説に加え、映画の本と雑誌とビデオが山ほどあって、古本屋と貸しビデオ屋みたいになっています!
ところで、『任侠清水港』はビデオで何度か観ている映画なので、テレビでは観ませんでした。そう言えば、会報の「お目見え情報」の所で、日時を間違えて書いちゃいましたね。会員で怒っている人がいるんじゃないかと…気にしています。ここだけの話ですがね。後からコピーした分は訂正しておきました…。