錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『千姫と秀頼』

2006-05-02 10:40:23 | 戦国武将

 美空ひばりのお姫様役というのは、どうもいただけない。柄に合わない感じがする。ひばりは、時代劇なら、がらっぱちの町人娘とか、きかなん気な武家娘の方が格段に優る。この映画でひばりが演じた千姫のようなヒロインは、正直言って、似合わないなと思った。
 錦之助の豊臣秀頼役は、凛々しくて良かった。この頃の錦之助にしてみれば、ちょっと力を出せば、この程度は当たり前といった演技である。ただ、秀頼の登場するのは、この映画の最初の20分、大阪城落城のシーンだけで、すぐに死んでしまい、がっかりした。錦之助は、ひばりの映画に友情出演しただけだったのだろう。回想シーンでもいいから、後半のところどころで錦之助の秀頼が出てきてほしかった。幽霊にしてでもいいから、出せよ!と思った。これじゃ、『千姫と秀頼』というタイトルに偽りあり、ではないか!ひばりと錦之助が共演することを楽しみして映画を観たファンはきっと怒ったにちがいない。錦之助ファンなら、「金返せ」と叫んだことだろう。
 映画の出来が素晴らしければ、それでも納得したかもしれない。が、この映画、とても褒められた作品ではない。脚本も不出来だった。監督はマキノ雅弘だが、なんだかひばり親娘に振り回されて作ったような感じで、とんだやっつけ仕事、とても名作と呼べるレベルではなかった。映画スターが自己主張しすぎると、こうした失敗作が生まれるのであろう。

 『千姫と秀頼』(1962年)を観ていて、描き方がまずいなと感じたところがいくつもある。たとえば、落城寸前の大阪城で、とわの別れを惜しんでいる秀頼と千姫の間に、急に気がふれたような淀君(沢村貞子)が現れ、嫁いびりをする場面があったが、まるで取って付けたようで、わざとらしかった。豊臣家滅亡の間際になって、こんなことがあるはずがない。千姫が「自分は最後まで秀頼の妻、豊臣家の女です」みたいな言葉を言って、感極まったかと思えば、突然場面が転じ、坂崎出羽守(平幹二朗)が城になだれ込む。その時、千姫は気絶したのか、倒れていて、城の中でまだ自害もしていない秀頼が敵将坂崎に対面し、千姫を救うように頼む。ここもおかしいなと思った。原作は知らないが、作り話にしても、あまりに不自然である。千姫は幼少の頃人質として秀頼に嫁いだ家康の孫娘だが、千姫を救えと叫ぶ家康(東野栄治郎)と救った後の家康の、その態度や気持ちが不可解だった。徳川家に戻されてからの千姫を中心としたストーリーは、支離滅裂に近く、何を描きたいのか、まるでつかめなかった。美空ひばりは、精一杯美しく撮ってもらっていたが、悲劇の美しいヒロインとは程遠く、うまく見せようとする衒いばかりが目に付いた。千姫の心の葛藤も、狂気も、復讐心も、まったく表現できず、形だけの演技で終わっているのだ。この映画、ともかくお薦めできない。最後の方で、突然高倉健(片桐隼人とかいう役)が出てくるが、この頃の健さんは暗中模索、スターの片鱗すらも感じられなかった。



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