錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~東千代之介誕生(その4)

2013-01-10 13:55:55 | 【錦之助伝】~東千代之介
 東映入社が決まると、年の暮れまで孝之は稽古場回りに明け暮れた。京都、名古屋、浜松、そして小浜にいる弟子たちに最後の稽古をつけた。みんな名残を惜しんだが、孝之の映画界入りを祝って送別会を開いてくれた。
 明くる年(昭和29年)の1月、孝之は太秦の東映京都撮影所へ通い始めた。新しい芸名はまだ決まっていなかったので、東映関係者からは坂東さんと呼ばれていた。宣伝用の写真を撮ったあとは、撮影の見学をしていた。新入りでスタッフにまだ顔も知られていないので、セットへ入っていくのはなんとなく気が引けた。それで、撮影見学は適当に済ませ、宣伝部の部屋で時間を潰すことが多くなった。
 ある日、何かの用事で宣伝部へ月形龍之介がやって来た。孝之は月形龍之介に紹介された。天下の名優の前で孝之はコチコチになり、直立不動の姿勢になった。
「君が今度入った人かね」と言うと、月形はじろっと孝之を見た。
「はい、坂東伊三郎と申します」
「ミッちゃん(マキノ光雄)からそれとなく話は聞いているが、クランクはまだなんだな」
「はい、三月からであります」
「で、今は何をやっとるんだ」
「初めはスタジオをまわって撮影見学しておったのですが、知らない方ばかりでどうも居づらいものですから……」
 それを聞いて月形は顔を曇らせた。
「そうか。しかし、こんなところでブラブラしていてはいかんな。君はこれから役者になるんだろ。現場で勉強しなきゃダメだよ」
「はい」
「ぼくの名前を使っていいから、もっと中へ入って、しっかり勉強したまえ」
「わかりました」と孝之は頭を下げた。
 月形は去っていく時に、また孝之の方を見て声を掛けた。
「それから、君、終ったらぼくの部屋へ遊びにきたまえ」
 孝之は月形龍之介の温情に胸が熱くなった。その後、東千代之介になってからも彼はずっと月形を慕うようになっていく。
 この数日後、大川博社長が上洛し東映京都の新年会があった。三嶋亭という老舗のすき焼屋だった。知らない人ばかりに囲まれ、着物に袴姿の孝之は話もできずにかしこまって坐っていた。ふと見ると、月形龍之介が向こうで手招きしている。
「まあ、一杯」と月形がお流れをくれた。
 近くに女優の高千穂ひづるがいたので、月形は孝之を紹介してくれた。
「君たちは今度共演するって話じゃないか。まあ、仲良くやりたまえ」
 高千穂ひづるは、孝之の整った顔立ちと堂々とした着物姿をちらっと見ると、そばへ来て、孝之にお酌をした。
「あっ、どうも」と言うと、孝之は恐縮して、言葉が継げなかった。若い女性の着物姿は踊りの稽古場で見慣れていたものの、あでやかな女優の振り袖姿は格別で目にまぶしかった。初めて会ったスター級の映画女優である。孝之は、盃を前に出したまま硬くなって、相手の顔を見る余裕もなかった。
「ご一緒にお仕事するの、楽しみですわ」と言うと、高千穂ひづるはほほえんだ。
 二次会は月形龍之介のお供をして祇園のお茶屋へ行った。ここで孝之は何合酒を飲んだことだろうか。が、緊張していたのでいくら飲んでも酔わなかった。
「今度の新人、大物やないか。一升飲んでも乱れもせんわい」と月形はスタッフに言った。
 後日、孝之の酒豪ぶりが京都撮影所の人々の噂に上った。




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