錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

近況と雑感~夏に向けて

2014-05-24 06:39:48 | 錦之助ファン、雑記
 3ヶ月近く、間が空いてしまった。
 有馬さんの上映会は、予想以上に盛況だった。10日間で確か3,200人ほど入場数があったと新文芸坐のチーフの矢田さんから聞いた。有馬さんは10日のうち4日、新文芸坐にいらして、トークをしたり、本にサインをしたり、映画を見たり……。

 
新文芸坐での有馬さんのトーク
 
 私は、トークの聞き手を務めたほか、有馬さんの住んでいる新横浜のマンションへ朝、車でお迎えにいき、終るとまたお送りした。私の杉並の自宅からは、車で行くと40分くらいだった。環八を南下して、高速の第三京浜へ入り、新横浜の出口を出ると、有馬さんの住んでいるマンションへは5分で着く。高齢者専用マンションというが、老人ホームのようなものとは全然違う。入居資格が、確か60歳以上の元気な方というだけで、住んでいる方はみんな、自由に生活している。大きなマンションで400室ほどあると聞いた。マンション内に食堂があって、学校の給食のように1ヶ月のメニューが配られ、昼食と夕食が出るそうだ。ただし、これは食べても食べなくてもいいが、食費は払うとのこと。マンションの玄関の近くに私は車を停めて、待っていると、仕度をした有馬さんが出てこられて、出発する。新横浜から横浜新道へ入って、環八の東京出口までは15分とかからないのだが、そこから池袋までが1時間近くかかる。駒沢通りから山手通りを北上して、という経路。
 車の中で、有馬さんとはいろいろ話した。上映する映画のことや錦ちゃんのことより、世間話が多かった。公にはできない話もお聞きした。
 有馬さんには、3日間、トークとサイン会をお願いした。1日はお忍びで、土曜日に「かあちゃんしぐのやだ」と「わが愛」を見にいらした。なにしろ、有馬さんはこの2本の作品が好きで、どうしてもまた見たいとおっしゃって、マンションの住人の方の車に乗せてもらって、わざわざいらしたほどだった。
 上映会の10日間は、私も大変だったが、楽しく過ごした。1日は、石濱朗さんのトークがあり、1日は、高千穂ひづるさんのトークがあった。私が聞き手を務めた。
 高千穂さんからは、たまたま有馬さんの上映会が始まる2週間ほど前に電話があり、有馬さんの上映会なら是非トークをなさりたいということだったので、急きょ、お願いした。高千穂さんとは確か半年ぶりにお会いしたが、お元気で安心した。有馬さんとはまったく違って、飄々としたトークがお客さんに受けたようだ。サイン会では、高千穂さんと私が共同で作った「胡蝶奮戦」が30冊も売れて嬉しかった。収益は全部、高千穂さんに差し上げたが……。


新文芸坐の前で高千穂さんと

 そんな次第で、上映会中は私も気が張っていたのだろう。終ると、その反動で、疲れがどっと出た。
 しかし、そうも言ってられない経済的事情もあって、すこしお金を稼がなければならないなと思い、私の出版社から出した本でただ1冊のロングセラー「ダジャ単」を重版した。3000部である。
 まず1000部くらい売らないと重版の印刷製本費が払えないので、4月からウィークデイは毎日ずっと、電話で書店営業をしている次第である。午前中1時間、午後3時間くらい、自宅の机にへばり付き、全国の書店(販売データがある)へ電話を掛けまくり、在庫の確認と補充の依頼をしている。一日、平均30冊は注文が取れる。この50日間で、販売目標の1000冊は到達したので、これからようやく儲けが上がってくることになった。
 夕方からは暇になるので、読書と、私のもう一つのブログ「背寒日誌」に「写楽論」を書いてきた。そっちをご覧になった方はご存知かと思うが、32回ほど書いて、あと5回ほど書けば、一段落するような気がしている。
 
 そろそろ、錦之助の方へ戻りたいと考えている。
 「中村錦之助伝・上巻」は、2000部作ったが、今のところせいぜい400冊くらいしか売れず(そのうち120冊は新文芸坐での錦ちゃん祭りで売れたもの)、錦之助映画ファンの会から資金援助をしていただいたので、やっと制作費がまかなえたものの、私のもろもろの費用はまったく回収できていない。おそらく回収できないと思うが、それでも仕方がないと諦めている。
 取次店(問屋)へは書店からの返品もあり、ダンボール箱にいっぱい入った「錦之助伝」を持って帰るときの悲しい心境は、著者で出版元の私でないと分からないかもしれない。深いため息が出る。
 時々、書店から下巻はいつ出ますかと電話が掛かってくる。上巻を買ってくれたお客さんが書店員に尋ねるらしいが、「あと1年くらい先になると思います」と答えることにしている。しかし、自分ではどうなることか現在のところまったく見当がつかないでいる。
 集中すれば、また書けそうに思うが、下巻は、大変だなあと思うと、気が重くなる。しかし、最近は、なんでもいいから錦之助映画のことをまた書き始めようかなと思い始めている。

 4月17日に私は62歳になったが、その翌日に悲しいことがあった。愛犬(柴犬)の駒子(通称ココ)が急死したのだ。数えで13歳だった。昨年は、愛猫の小夏が亡くなり、半年も経たずに、ココが亡くなった。今でも思い出すと、胸が締め付けられる。
 庭にお墓を掘って、埋葬した。火葬は嫌だった。
 私の仕事机はすぐ目の前に庭が見える窓に面していて、小夏とココの二つの墓が並んでいるのが見える。仕事の合間に時々眺めては、いろいろな思い出にふけっている。
 また、猫を飼おうかなとも思うが、どうしようかと思案に暮れている。

 私がずっとこのブログを書かなかったので、心配なさっていた方もいらしたかと思うが、ボチボチ書いていくので、またご愛読のほど、よろしく。





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1 コメント

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錦之助さんの早がわり (吐夢吐夢)
2014-06-02 22:40:18
「一心太助が下手に引っ込むと、上手から将軍の姿で登場する。その早変わりがみごとでしたよ。」と語って下さったのは、この舞台で一心太助の仲間を演じて、大阪、四国、九州を錦之助さんと一緒にまわられ方です。
おはなし、もっと聞いてみたいですか?
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