錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

錦之助映画祭り2010日誌(11月17日)

2010-11-17 21:25:25 | 錦之助映画祭り
 12時半開始の『浅間の暴れん坊』から観る。トーク・ゲストの稲野實さんはすでに来館なさっていて、最初の『瞼の母』からご覧になっていたとのこと。今日の聞き手は円尾さんに任せてあるので、私はゆったりしていられる。
 『浅間の暴れん坊』は、東映ビデオがDVDを製作した時に作ったニュープリントで、すでに昨年3月に上映している。色調のコントラストがやや甘い感じがするが、焼き方が悪かったのか、ネガが劣化していたかのどちらかだろう。
 河野寿一監督の娯楽時代劇で、錦ちゃんが浅間の伊太郎という旅人(たびにん)やくざを演じている。シネスコのカラー作品で、1958年(昭和33年)製作。この年は映画館の観客動員数がピークに達した時で、錦ちゃんの人気も出演作品数も絶頂期の作品である。錦ちゃんの年齢は25歳から26歳、演技も自信にあふれ、勢いがいちばんあった頃だったといえよう。河野寿一も東映の青年監督としていちばん充実していた頃で、河野監督は、『里見八犬伝』5部作以来、錦ちゃんのヒット作を連作し、また錦ちゃんをカッコ良く撮ることでは、当時ナンバーワンの監督だった。
 『浅間の暴れん坊』は、私の大好きな作品で、若い頃の錦ちゃんの魅力が十分発揮されている映画だ。チャンバラが随所にあり、錦ちゃんがやくざを何人斬ったか、数え切れないほど。親分だけでも三人斬っている。冒頭で瀬川路三郎、途中で原健策、最後に山形勲。それと、親分ではないが、片岡栄二郎も斬っている。女優陣も、丘さとみ、大川恵子、長谷川裕見子が共演し、見せ場を作っている。東映後期の長谷川伸三部作ほど、内容の深みはなく、また錦ちゃんの役柄に対する表現力もまだ発展途上ではあるが、スターの魅力と輝きという点では、ピカ一の作品の一本である。
 
 午後の1時過ぎから、稲野實さんのトーク。『瞼の母』の美術デザインに関し、中身の濃いお話を聴くことができた。キャメラマンの宮坂健二さんがいらしていて、客席からビデオ撮影していたので、トークの模様は収録済み。聞き手の円尾さんは、美術監督とかキャメラマンとかいった映画の製作スタッフへのインタビューはお手のもんなので、安心して聴いていられた。ただ、彼は声がでかく、突っ込みが鋭く、またゲストの話を奪って解説過多になる傾向があるので、前もって忠告しておくのだが、最近は私も慣れてしまい、お客さんがどう思おうと、円尾さんの好きなようにやればいいと思っている。今回は、稲野さんのお話も十分聴けたので、大変良かったと思う。『瞼の母』は、加藤泰監督が15日間という短期間にセットだけの撮影で作った映画なので、美術デザイナーの稲野さんも必死でセット作りに励んだそうだ。川の水を一切使わず、橋と、川面を通る舟や川端の風景で、江戸の町を表現したという。この映画のセットデザインは素晴らしく、15日間でおそらく30シーン以上のセットを作った稲野さんの仕事ぶりは特筆に値する。弁慶橋(山形勲と原健策が雨の中を渡る橋)と、ラストの開閉式のはね橋についての話は貴重だった。この橋を忠太郎が渡って去っていくラストシーン、あのシルエットの情景は、稲野さんの美術デザインの傑作だと思う。
 トークが終って、稲野さん、円尾さん、大川さんと私で昼食をとりに、近くのすし屋へ行く。一時間ほど歓談。『瞼の母』の脚本や、稲野さん(現在は絵描き)の風景画の絵葉書を見せていただく。稲野さんに内田吐夢監督回顧のパンフレットと記念本を差し上げる。
 途中で、円尾さんのケイタイに電話があり、月形龍之介の付き人だった東千恵子さんが亡くなったという連絡が入る。信じられない。東さんは、9月の月形特集でトークゲストにいらして、面白いお話をたくさんしてくださったばかりなのに、あれからまだ二ヶ月しか経っていないのに、亡くなってしまうとは……。あの時、すでに舌ガンで手術をされ、また検査をするとおしゃっていたが、トークの日が一期一会になるとは、思ってもみなかった。悲しい。トークの日、娘さんとお孫さんといっしょにいらして、その後、ホテルのロビーで月形家の門田さん親子と久しぶりで対面し、喜んでいらした。記念写真も撮った。あの時が最後の別れのお導きだったのだろう。東さんは月形龍之介の付き人をずっとやっていらしたのに、大の錦ちゃんファンで、錦之助映画ファンの会にも協力してくださり、寄付金やお手紙をいただいていた。もちろん今回の映画祭りのリーフレットもお送りし、ぜひ観に来てくださいと添え書きをしておいたのに……。
 
 みんなと別れて、私一人で2時間ほど暇をつぶす。喫茶店で読書したり、いろいろなことを考える。亡くなった東さんのこと、これからのことなど。
  新文芸坐へ戻り、『瞼の母』を観る。泣く。高校時代の友人の北くんが観に来てくれていた。少しだけだったが、北くんと話す。彼も泣いたそうだ。また、別の日に観に来ると言っていた。
 ロビーに古林さん(弟さんの方)と杉山さんが居たので、小一時間ほど映画談義に花を咲かす。
 新文芸坐の事務室に寄って、チーフの矢田さんとちょっと話す。お客さんの入りはどうかと尋ねる。思ったほどでもない(つまり、少ない)とのこと。雷蔵特集の方がずっと多かったと言う。それを聞いて、ガッカリ。
 夜の9時ごろ、飯田橋に帰る。でも、今日も充実した一日だった。



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