子供の頃映画館で観た映画の感動というのは、不思議なもので、年をとっても消えないでずっと残っているような気がする。もちろん、ストーリーや内容などはすっかり忘れてしまっている。いつどこで観たのかもはっきり覚えていない。ただ、いちばん印象的だったシーンや主人公のイメージだけは記憶の中にあって、その時受けた感動みたいなものはずっと尾を引くように残っている。もう半世紀近くも前に観た映画のことを今になって私は時々思い浮かべてみることがある。
私の場合、邦画では錦之助の『源義経』『曽我兄弟 富士の夜襲』『風雲児 織田信長』と『忠臣蔵』(昭和34年)、三船敏郎の『日本誕生』(昭和34年)、洋画では『ベン・ハー』(昭和34年)『荒野の七人』(昭和35年)を観た時の感動が呼び起こされる。なんだか大作ばかりだが、こうした映画を観て、小さな胸をときめかし、ハラハラしたり、ドキドキしたり、ワクワクしたり、あるいはショックを受けたりしたのだろう。
私は現在54歳だが、映画館で映画を集中的に観ていた時期が二度ある。物心ついてから小学校に上がった頃までの時期と、中学から高校を経て浪人までの時期である。幼年期とティーンエイジャー期にあたると言っても良いだろう。私の幼年期は、昭和30年代前半であるが、テレビなんかなかった時代である。というか、まだテレビは一般家庭に普及していなかった。テレビをどうしても観たい時には近所の金持ちの家へ行って見せてもらったのを覚えている。テレビが鎮座してある居間に近所の人たちが集まって大相撲やプロ野球の中継などをブラウン管に張り付くようにして観ていたものだ。我が家でテレビを買ったのは、確か私が小学2年の頃だと思う。昭和35年のことのようだ。
テレビが家庭にない時代は、映画が何よりも子供の楽しみだった。怪獣映画もウルトラマンもない頃で、ディズニーの映画は女の子かいいとこのお坊ちゃんが観る感じで、ガキの男の子が観る映画といえば、もっぱら東映の童子物か忍術物だったと思う。こういうガキ向けの映画は大人向けの時代劇と二本立てだったから、大人の映画もいっしょに観たのだと思う。もちろん一人では行けないから、父親か母親に映画館へ連れて行ってもらい映画を観ていた。父親と観に行った方が多かったと思う。というのも父親は千恵蔵や右太衛門の東映時代劇が好きだったからだ。母親は阪東妻三郎と長谷川一夫(林長二郎の頃から)のファンで、阪妻は私が生まれてすぐに亡くなっていたし、長谷川一夫の映画は子供には向いていなかった。母親は家事で忙しかったこともあり、たまにひばりとかチエミの歌謡映画をいっしょに観に行くくらいだった。
錦之助の映画は多分『獅子丸一平』か『新諸国物語 七つの誓い』あたりから観始めたと思うのだが、タイトルも内容もきれいさっぱり忘れてしまっている。『紅孔雀』というタイトルだけはずっと覚えているので、これは幼少の頃観たのかもしれない。ただ、『紅孔雀』は昭和29年から30年にかけての公開ということだから、私は2歳にもなっていないので、変だなと思っている。封切りではなく、二、三年後に二番館か三番館で観たのかもしれない。錦之助の童子物は最近ビデオを購入したが、まだ観ていない。どうも観る気がしないのだ。『笛吹童子』の第1部だけ観たが、これが不思議なことに、いくつか観た記憶のあるシーンが出てきたのには我ながらびっくりした。東千代之介がお面をかぶせられ、それが取れなくなってしまうところと大友柳太朗が大鷲に乗って空から現れ、お姫様(田代百合子)を救って舞い上がるところである。『笛吹童子』は昭和29年封切りの映画だから、リアルタイムで観たわけがない。この映画もきっと後になって観たのだろう。小学生になってテレビで観たのかもしれない。いつどこで観たのかまったく覚えていないのだが、観たことだけは確かである。まあ、そんな次第で、今度、錦之助の子供向けの映画をまとめて観ようと思っている。
ところで、東映時代劇は、子供の頃の私には、日本史の教科書みたいなものだった。難しい本など読む前に、映画から歴史についての予備知識や人物像を学んだ面が大きかった。中世・近世の歴史上の武将やその親族、断片的とはいえ重大な事件などを描いた時代劇映画が、史実に即していたかどうかは知らない。ただ、歴史上の人物の名前やイメージや、彼らが係わる事件のあらましを映画でつかみ、頭に入れたことは確かである。義経、頼朝、巴御前、静御前、信長、秀吉、家康、斉藤道三、今川義元、伊達政宗、水戸黄門、家光、綱吉、吉宗、柳沢吉保、大岡越前、由井正雪、天一坊などなど、挙げればきりがない。東映時代劇を観て少年少女時代を過ごした人たちなら、私と同じ感想をお持ちの方も多いことだろう。(つづく)
私の場合、邦画では錦之助の『源義経』『曽我兄弟 富士の夜襲』『風雲児 織田信長』と『忠臣蔵』(昭和34年)、三船敏郎の『日本誕生』(昭和34年)、洋画では『ベン・ハー』(昭和34年)『荒野の七人』(昭和35年)を観た時の感動が呼び起こされる。なんだか大作ばかりだが、こうした映画を観て、小さな胸をときめかし、ハラハラしたり、ドキドキしたり、ワクワクしたり、あるいはショックを受けたりしたのだろう。
私は現在54歳だが、映画館で映画を集中的に観ていた時期が二度ある。物心ついてから小学校に上がった頃までの時期と、中学から高校を経て浪人までの時期である。幼年期とティーンエイジャー期にあたると言っても良いだろう。私の幼年期は、昭和30年代前半であるが、テレビなんかなかった時代である。というか、まだテレビは一般家庭に普及していなかった。テレビをどうしても観たい時には近所の金持ちの家へ行って見せてもらったのを覚えている。テレビが鎮座してある居間に近所の人たちが集まって大相撲やプロ野球の中継などをブラウン管に張り付くようにして観ていたものだ。我が家でテレビを買ったのは、確か私が小学2年の頃だと思う。昭和35年のことのようだ。
テレビが家庭にない時代は、映画が何よりも子供の楽しみだった。怪獣映画もウルトラマンもない頃で、ディズニーの映画は女の子かいいとこのお坊ちゃんが観る感じで、ガキの男の子が観る映画といえば、もっぱら東映の童子物か忍術物だったと思う。こういうガキ向けの映画は大人向けの時代劇と二本立てだったから、大人の映画もいっしょに観たのだと思う。もちろん一人では行けないから、父親か母親に映画館へ連れて行ってもらい映画を観ていた。父親と観に行った方が多かったと思う。というのも父親は千恵蔵や右太衛門の東映時代劇が好きだったからだ。母親は阪東妻三郎と長谷川一夫(林長二郎の頃から)のファンで、阪妻は私が生まれてすぐに亡くなっていたし、長谷川一夫の映画は子供には向いていなかった。母親は家事で忙しかったこともあり、たまにひばりとかチエミの歌謡映画をいっしょに観に行くくらいだった。
錦之助の映画は多分『獅子丸一平』か『新諸国物語 七つの誓い』あたりから観始めたと思うのだが、タイトルも内容もきれいさっぱり忘れてしまっている。『紅孔雀』というタイトルだけはずっと覚えているので、これは幼少の頃観たのかもしれない。ただ、『紅孔雀』は昭和29年から30年にかけての公開ということだから、私は2歳にもなっていないので、変だなと思っている。封切りではなく、二、三年後に二番館か三番館で観たのかもしれない。錦之助の童子物は最近ビデオを購入したが、まだ観ていない。どうも観る気がしないのだ。『笛吹童子』の第1部だけ観たが、これが不思議なことに、いくつか観た記憶のあるシーンが出てきたのには我ながらびっくりした。東千代之介がお面をかぶせられ、それが取れなくなってしまうところと大友柳太朗が大鷲に乗って空から現れ、お姫様(田代百合子)を救って舞い上がるところである。『笛吹童子』は昭和29年封切りの映画だから、リアルタイムで観たわけがない。この映画もきっと後になって観たのだろう。小学生になってテレビで観たのかもしれない。いつどこで観たのかまったく覚えていないのだが、観たことだけは確かである。まあ、そんな次第で、今度、錦之助の子供向けの映画をまとめて観ようと思っている。
ところで、東映時代劇は、子供の頃の私には、日本史の教科書みたいなものだった。難しい本など読む前に、映画から歴史についての予備知識や人物像を学んだ面が大きかった。中世・近世の歴史上の武将やその親族、断片的とはいえ重大な事件などを描いた時代劇映画が、史実に即していたかどうかは知らない。ただ、歴史上の人物の名前やイメージや、彼らが係わる事件のあらましを映画でつかみ、頭に入れたことは確かである。義経、頼朝、巴御前、静御前、信長、秀吉、家康、斉藤道三、今川義元、伊達政宗、水戸黄門、家光、綱吉、吉宗、柳沢吉保、大岡越前、由井正雪、天一坊などなど、挙げればきりがない。東映時代劇を観て少年少女時代を過ごした人たちなら、私と同じ感想をお持ちの方も多いことだろう。(つづく)
昭和31年生まれです。
ものごころつくかつかないうちから小学校3年頃まで毎週母親に連れられて兄弟5人と映画館で東映時代劇を見てました。
東京から埼玉に引っ越して近所に映画館がないので行かなくなりましたが、映画館は大人たちで満員でした。 良い時代でした。
おかげで私も高校生から25才くらいまで年間100本くらい見る映画好きになりました。
映画は何よりも私の教師でした。