錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~スポーツ青年で洋画ファン(その4)

2012-10-23 21:28:01 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 では、いったい錦之助はどういう経緯で洋画ファンだったのだろうか。
 最初は兄の梅枝や映画好きの先輩の役者に話を聞いて東劇内の映画館や有楽町や日比谷の洋画専門館で見始めたのだろう。カルチャアショックを受けたことも確かだろうが、凝り性で研究心旺盛な錦之助は、感動した映画を役者の目で分析しながら見るようになった。そうでなければ、『駅馬車』を何度も見ることはないだろうし、カットをすべて覚えてしまうこともなかったであろう。
 錦之助は日記に、見た映画の監督、出演者を記した上でその感想を詳しく書いている。昭和二十七年の日記の写真が「平凡スタア・グラフ」(昭和二十九年十一月号)に載っているが、日記の表紙には「その日その日」という題名が付いている。錦之助が何歳からこうした日記をつけ始めたのかは分からないが、映画の感想を書き始めたのは、恐らく昭和二十六年の後半からではないかと思われる。それは、錦之助が感動したと言って名前を挙げた映画の七作品のうち四作品が昭和二十六年夏以降に公開されたものだからだ。


錦之助の日記「その日その日」(1952年)

 「平凡スタア・グラフ」には昭和二十七年の錦之助の日記から『陽のあたる場所』の映画評が紹介されている。月日は不明だが、『陽のあたる場所』が日本で公開されたのは同年九月十六日なので、それ以降であると言える。監督とキャストを書いた上で、次のような感想を書いている。

――最近のアメリカ映画の中で一番すぐれていると思う。いや僕はこんなスバラシイ映画ははじめてといっても云い過ぎではないことに自信がある。ジョージ・スティヴンスの演出は、どこにもすきがなく、どこのシーンもみな綺麗である。アップもとても綺麗だった。僕の一番気に入ったところは、クリフトとウィンタースが暗いところで二人で踊る、窓からは夜の静かな外が見える、ラジオが小さく鳴る――。このシーンはロマンティックでいても、非常にいや味がなく、おそらくこれはジョージ監督の趣味のものであろう。俳優は、クリフト、エリザベス、ウィンタースの順に現れてくるが、それぞれファースト・インプレッションで、各自のシチュエーションというものを強くにおわせる。
 とくにウィンタースはファースト・シーンで、女工の感じをうまく出していた。
 クリフトとエリザベスのラヴシーンでは、遠くから「モナリザ」を聞かすが、「モナリザ」の音楽がこんなに綺麗に聞けたのははじめてだ。僕は、「モナリザ」をいっぺんに好きになった。
 この映画についてタイム誌の批評などによると「ジョージ・スティヴンスが製作監督した故、シオドア・ドライザー原作『アメリカの悲劇』の現代版は、第一に原作に忠実な映画化であり、第二に映画製作における芸術性を発揮した傑作であり、第三には大衆娯楽としても非常に見ごたえのある作品となっている。」
 右のような映画を作る人は少なかろう。監督の偉大さをつくづく感じさせられた。



「陽のあたる場所」

 この文章を読むと、錦之助が映画の細かいところにも注意を払って見ていることが分かる。私は『陽のあたる場所』を三、四度は見ていると思うが、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーのラヴ・シーンのバックに「モナリザ」が流れていたという記憶はない。「モナリザ」はナット・キング・コールの大ヒット曲で甘美なバラードだが、この映画を見て錦之助が「モナリザ」を好きになったというのが面白い。錦之助は音楽ではジャズが好きで、特にムードのある曲が好みだったようだ。
 また、俳優の登場の仕方とその雰囲気をよく観察しているところなど、いかにも役者の目で映画を見ているといった感じだ。監督の演出法にも注目し、タイムズ誌の批評を引用して、原作に忠実で芸術性と大衆娯楽性を兼ね備えた見ごたえのある作品を作ったジョージ・スティーヴンス監督の偉大さに感心しているが、これなど後年、錦之助が目指した映画とまさに一致しているではないか。

 錦之助は映画雑誌もいろいろ買っていた。「キネマ旬報」「映画評論」「映画の友」「スクリーン」などであろうが、どの雑誌かは分からないが、自分の閲覧用と保存用のため二冊ずつ買っていたという。
 錦之助は、当時「映画の友」の編集長だった淀川長治に手紙を書いたこともあった。それも一度だけではなかったらしい。ずっと後になって錦之助と淀川長治が顔を会わせた時、淀川が手紙をもらったことを覚えていて、錦之助は喜ぶやら恐縮するやらで、楽しく語り合ったそうだ。


中村錦之助伝~スポーツ青年で洋画ファン(その3)

2012-10-23 14:54:56 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
「演劇界」の昭和二十六年十一月号に、歌舞伎役者へのインタビュー記事で、タイトル「20の質問」、第十五回目「梅枝・錦之助の巻」が載っている。梅枝二十三歳、錦之助がまだ十八歳の時だが、恐らく、錦之助が雑誌にインタビューを受けた記事はこれが最初ではなかろうか。


掲載写真 錦之助と梅枝

 後年映画スターになってからの錦之助とは違い、この時は何の気兼ねなくハキハキと答えて、錦之助の率直な性格を窺わせている。兄の梅枝の慎重な話し振りに対し、錦之助は興奮していたのか、答えなくてもいいようなことまで話していて、大変興味深い内容になっているのだが、映画の話は後回しにして、少し紹介してみよう。
 
「将来はどんな方向に進みますか」という質問に対して、二人はこう答えている。

梅枝―立役も大いにやってみたいのですが、自分の体の事を考えたりすると、どうも女形になってしまうのではないかと思います。
錦之助―僕は女形が嫌いなんです。その為には体が第一に立派にならないと駄目だというので、播磨屋の伯父さんの勧めで、最近明治座の側まで弓を習いに行っています。技の方は一向に駄目で、免許皆伝には程遠いのですが、大変精神修養になりますし、体の上でも、殊に胸とか肩、腕の辺りが丈夫になるらしいのです。当分通ってみるつもりで、今はすっかり弓に夢中になっています。


 以下、かいつまんで質問と錦之助の答だけ書いていくと、

質問―お父さん似だと自分で思うところは?
錦之助―僕は大変せっかちです。お父さんそっくりですし、自分でも大変気になります。声の出し方なんかも似ているらしいです。

質問―兄弟の多いことはいいと思いますか?
錦之助 (小さい頃は)喧嘩をよくしました。梅枝兄さんはひどいんだ、獅童兄さんと二人で僕にかかって来るんだから。僕はいつも一人で戦うんです。え?今ですか、今はもうしなくなりました。何故ってもう僕の方が強くなりましたからね。腕力でいきますから。

質問―明治座の「勧進帳」はどうでした?(昭和二十六年七月、千秋楽の翌日、錦之助が義経をやった時のこと)
錦之助―普段、ああしたら、こうしたらと考えていた事が、実際になったらちっとも出来なくて、もう一度でいいからやってみたいと思いました。一遍きりという事があんなに残念だった事はありません。

質問―着物とか洋服とかを作る時は、誰にねだりますか?
錦之助―そりゃあ、お母さんに決まってますよ。

質問―ニキビで悩んだ経験の有無は?
(梅枝が「目下錦之助がその最中ですよ。自然現象で仕方がないんだから、なにもそう気に病まなくったっていいと思うんだけど……」と言った後で)
錦之助―小さいのだと問題はないのですが大きいのがオデコに出来たりすると、鬘が当ってそれは痛いのです。「どくだみ」「黒龍」「ニキビ取り美顔水」等々、効くという薬や化粧品は全部試しましたが、ちっともよくならないから、今ではほったらかしです。


 こんな具合である。さて、好きな映画、好きなスターを質問されると、

錦之助―ビング・クロスビーやミッキー・ルーニーがよいと思います。最近では『邪魔者を殺せ』が印象に残っています。

 後年、錦之助は好きな映画俳優を訊かれると、カーク・ダグラスとスーザン・ヘイワードを挙げていたが、この時点では彼らの主演作を見ていなかったのだろう。『チャンピオン』はこの時点ですでに公開されていたので、このインタビューの後、二番館か三番館で見たと思われる。
 それにしても、ビング・クロスビーとミッキー・ルーニーの名前を挙げたのは、どうなのだろう。映画通なら挙げない名前である。
 察するに、錦之助は昭和二十六年の秋頃までは、まだそれほどたくさんアメリカ映画を見ていなかったのではあるまいか。
 ビング・クロスビーは、この頃、ボブ・ホープと珍道中物の娯楽喜劇で売っていて、まだ『ホワイト・クリスマス』も『喝采』(二作とも昭和二十九年製作)も撮っていない。錦之助が良いと思った映画は、どこかの名画座で見た『我が道を行く』(昭和二十一年十月公開)だったのではあるまいか。
 ミッキー・ルーニーの主演映画ではちょうどこの頃(昭和二十六年七月)、『緑園の天使』(昭和二十年製作)が日本公開され、エリザベス・テーラーとの共演作ということでそれなりにヒットしているから、この映画を見てルーニーの名前を挙げたのかもしれない。ルーニーは戦前の名子役だが、昭和二十六年頃はアメリカではすでに落ち目になっていたはずだ。
 『邪魔者は殺せ』(一九四七年製作)はイギリス映画でキャロル・リードの監督作品。主演はジェイムズ・メイソンだが、製作年より四年遅れて、昭和二十六年(一九五一年)八月に日本で公開され、一部の識者から絶賛を浴びた作品だった。この映画を錦之助が挙げたのは、納得できる。
 昭和二十六年度に日本で公開された主なアメリカ映画を挙げておこう。
『わが谷は緑なりき』、『黒水仙』、『月世界制服』、『レベッカ』、『バンビ』、『ジャングル・ブック』、『陽気な幽霊』、『チャンピオン』、『イヴの総て』、『白昼の決闘』、『サンセット大通り』、『黄色いリボン』、『白い恐怖』、『バグダットの盗賊』など。