錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~若手のホープ(その5)

2012-10-14 12:38:44 | 【錦之助伝】~若手歌舞伎役者時代
 昭和二十六年春、錦之助に思いがけない役の出演依頼が来た。菊五郎劇団からだった。
 歌舞伎座三月公演の「源氏物語」で若き日の頭中将の役をやってもらいたいという話である。当時人気ナンバーワンの海老蔵が光源氏、その親友にして義兄また恋の競争相手でもある頭中将に松緑が扮し、その若き日の役を錦之助に、というのだ。松緑が若手では錦之助を一番買っていたことは前に書いたが、きっと松緑の推挙があったにちがいない。それにしても紫式部の古典「源氏物語」の舞台化は演劇史上初めてのことであり、大変な話題を呼ぶことはほぼ確実であった。平安時代の王朝物で、それまでこうした歌舞伎はなく、画期的な作品でもある。舟橋聖一の脚色、谷崎潤一郎の監修、久保田万太郎の演出だという。今回の上演は、桐壺、空蝉、夕顔、若紫、紅葉賀、賢木までの六幕。「源氏物語」の劇化は、戦前の昭和8年秋に坂東簑助たちによる若手歌舞伎で一度企画されたが、宮中を背景にした物語のため、当局によって上演禁止になっていた。
 その「源氏物語」に、しかも錦之助の所属する吉右衛門一座とはライバルの菊五郎劇団からの出演依頼。姫君でも侍女でもなく、若き貴公子の役である。錦之助が二つ返事で快諾したことは言うまでもない。この上演には猿之助一座も加わり、若き日の光源氏は市川笑猿(昭和二十六年十月、十代目岩井半四郎襲名)が扮するということだった。


錦之助(若き日の頭の中将)

 「源氏物語」のほかに夜の部の「暫」でも渡辺小金丸という役をあてられた。これも男役である。
 錦之助はこの公演に単身加わった。同じ三月、吉右衛門一座は明治座に出演、兄の梅枝はこちらへ参加。一方、父時蔵と長兄種太郎は大阪歌舞伎座へ出向き、十三世仁左衛門襲名興行へ加わった。兄弟三人がバラバラになったのだった。錦之助だけがいわばよその道場へ他流試合に出た感じになった。
 「源氏物語」は四時間以上の大作で昼の部に上演されたが、予想を上回る大ヒットになった。海老蔵人気によるところもあったが、「源氏物語」という日本の古典を分かりやすく劇化したことが観客動員につながった。「松竹七十年史」にはこう書かれている。
「セリフをすべて当世風に直し、例えば高等学校の学生が見ても、原作の扱っている世界がよく理解できるように劇化された。企画はもとより、笑猿や海老蔵の演技は、端麗で美しく、歌舞伎ファン以外にも大量の観客動員に成功し、興行的にも大成功だった」

 残念ながら錦之助のことには触れてない。
 「源氏物語」の主な配役を書いておこう。(「歌舞伎公演データベース」より)

 光君=市川海老蔵、桐壺の更衣・四の宮後に藤壺・藤壺女御=尾上梅幸、桐壺の御門=市川猿之助、比叡の僧都=市川三升、橘典侍・六条御息所の生霊=市川男女蔵、頭中将=尾上松緑、紀伊守=坂東彦三郎、惟光=市川段四郎、空蝉=市村羽左衛門(十六代目)、山の座主=河原崎権十郎、兵部卿宮=市川八百蔵、更衣の母(按察大納言の北方)=尾上多賀之丞、光君(若き頃)・紫君=市川笑猿、頭中将(若き頃)=中村錦之助、葵の上=大川橋蔵、夕顔=中村福助(七代目)、滝口の武士=坂東光伸、供侍=片岡大輔、小君=市川団子
 
 (注)男女蔵はのちの三代目左團次、彦三郎は十七代目羽左衛門、八百蔵は八代目中車、福助(七代目)は七代目芝翫、光伸は八十助、簑助から九代目三津五郎、大輔は六代目芦燕である。団子は三代目猿之助で、当時まだ十一歳。祖父の猿之助(二代目)、父の段四郎とともに出演。先ごろ亀治郎に四代目猿之助を譲り、二代目猿翁になったことは周知の通り。また、葵の上の役で大川橋蔵が出演している。

 錦之助は後年「あげ羽の蝶」の中で、「歌舞伎座での『源氏物語』で、若い時代の頭中将を、これも若い時代の光君にふんした岩井半四郎さんと組んで一生懸命にやったのも懐かしく思い出します」と書いている。
 「源氏物語」は好評のため、同年十月に「須磨明石」の巻を加えて七幕で再演された。その時、錦之助は、吉右衛門、時蔵とともに大阪歌舞伎座へ行き、勘三郎、歌右衛門、幸四郎関西襲名披露に参加したため、出演しなかった。若き頭中将は大川橋蔵に替わっている。
 また、「源氏物語」は昭和二十七年に第二部(八幕)、昭和二十九年に第三部(六幕)と続演された。