この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

通りすがりに一言。

2020-11-24 22:22:19 | 戯言
 昨日、こちらの記事に次のようなコメントがつきました。

>驚くほどくだらない記事ですね。
>時間の無駄でした。

 くだらないと言われても特に腹が立つということはありませんでした。
 ただ、くだらない記事に「くだらない」と書くことはくだらないことではないのか?とは思いました。
 そんなことを書きこむ暇があれば部屋の掃除でもすればいいのに。

 もう10年以上ブログを運営しています。
 その間、それなりに荒らしもやってきました。
 しかしどのような荒らし行為にも自分は腹が立ったことはないし、恐怖したことも、落ち込んだこともありません。
 荒らし行為に心が動くことがないと言うとメンタルが強いですね、と言われるのですが、そうじゃないんですよ。
 自分は言葉には正しいか、正しくないかとは別に、重さがあると思っています。
 荒らし連中の言葉は限りなく軽いんです。
 だから彼らの言葉で心が動くことも傷つくこともないのです。
 くだらないと言われても、だから何?ぐらいにしか思いません。

 ただ、コメントの内容とは別のことで腹が立つ、というか、うんざりすることはありました。
 それは名前が「通りすがり」であることです。

 例えば「yuki」というHNの方からコメントがあったとします。
 そして一ヶ月後、同じく「yuki」という人からコメントをつけられた。
 当然管理する側からすれば同じ人がコメントしてくれたと思いますよね。
 でも必ずしも同一人物だとは限らないのです。
 別々の人がたまたま同じHNを用いただけかもしれないからです。
 ただ、偶然HNが被ってしまったとしてもそのことを責めたりはしません。
 それは不可抗力ですからね。
 でもHNが被るようなことは出来るだけ避けて欲しいとは思います。
 そう思うのは別に我が儘ってわけではないですよね?

 「通りすがり」と名乗る人からコメントがつき、その一週間後また「通りすがり」と名乗る人からコメントがついたら、最初の「通りすがり」と次の「通りすがり」は同一人物なのだろうかと余計なことを考えなければいけません。
 同一人物だろうと思って対応したら別人だったということもあるだろうし、逆もまた然りです。
 ですから通りすがりにコメントをする人でも「通りすがり」と名乗ることは避けて欲しいのです。

 「通りすがり」と名乗ることが禁止行為であるなら、その旨、ブログのトップに注意書きをしておけばいい、と仰る方もいるかもしれません。
 そのことについては「通りすがり」と名乗る方がコメントをするたびに考えます。
 注意書きをすること自体は簡単ですが、踏み切れないでいます。
 踏み切れない理由は主に二つあります。

 例えば幼稚園の前に横断歩道があって、園児が手を挙げることなく横断歩道を渡るのを目にすれば、「横断歩道は手を挙げて渡りましょう」という立て看板を立てようかという気になりますよね。
 けれど、大学の前に横断歩道があって、大学生が手を挙げることなく横断歩道を渡っていたとしても、「横断歩道は手を挙げて渡りましょう」という立て看板を立てる気にはなれません。
 上手い例えかどうかはわかりませんが、そんな感じです。

 もう一つの理由は、「このブログではunknown、もしくは「通りすがり」というHNでのコメントは禁止します」と注意書きをして、皆が皆、それに従ってくれればいいですよ。
 しかし従わない人が現れたら?
 注意書きをしていない今でさえ「通りすがり」と名乗る人が現れたらうんざりした気分になるのに、注意書きをした上でそういう人が現れたら、さぞかしガックリした気分になるだろうなぁと思うと、とても注意書きをする気にはなれないのです。
 実際過去にこちらが注意をしてもしつこく「通りすがり」を名乗る人がいましたからね…。

 まぁそういうわけで注意書き等はしていないのですが、そんなことを言ってられない時が来るかもしれませんね。。。
コメント (2)
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