リドリー・スコット監督、マット・ディモン主演、『オデッセイ』、2/6、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞。2016年6本目。
リドリー・スコットの監督作品はすべて観ているというわけではないのですが、2012年の『プロメテウス』がゴーリキの声優起用もあって本当にリドリー・スットコどっこいな映画でこの先彼の監督作は観なくていいや、と思いました。
それでもとりあえず『エクソダス:神と王』は観たのですが、これもまた微妙な作品で、この『オデッセイ』がそれに続くようであれば、本当に観るのは止めるつもりでした。
が、『オデッセイ』、とても面白かったです。
火星に取り残された男のサバイバルを描いた作品です。
主人公であるマーク・ワトニーを演じたのはマット・ディモン。
クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』でも確かどっかの星に取り残された男を演じてましたよねぇ。よく似たような役柄のオファーを受けたものだと感心します。
このマークがこれでもかっていうぐらいポジティブなんですよ。水なし、酸素なしというほとんど生き残る可能性がゼロに近い逆境においてもめげない。
しかもただポジティブなだけでなく、博学があり、さらにユーモアも備えているのです。
これはマークというキャラクターだけでなく、ポジティブで、知的で、ユーモアがあるというのは作品全般にも言えます。
SF映画って宇宙の未知の部分や恐怖を描くことが多いですが、知恵と勇気で困難を乗り切る、そんな冒険的要素があってもいいと思うのです。
自分はそういう映画の方が好みですね。
某映画サイトのレビューを読むと結構否定的な意見も見受けられます。
映画では後半マーク救出のためにNASAが中国の航空局に協力を仰ぐのだけれど、それが現実的ではない、っていうんですよ。
わかってないなぁ、わかってない。
確かに現段階ではアメリカと中国が宇宙開発において協力体制を築くことはあり得ない。
でもそんなことは映画の作り手だって充分わかってることだって思うんですよね。
現段階ではあり得ない、でも将来にあってはそうあって欲しくない、そういう思いが作品の中に込められてるってことでしょう。
その証拠に、幾多のSF作品において、敵対する国同士が未知の脅威に対抗するために結束したり、絶望的なミッションをこなすために協力する、そういう展開は決して珍しくないですから。
宇宙においては国境はないというのが多くのSF愛好家の間で共通の認識なのではないでしょうか。
何だかべた褒めしているようですが、必ずしも欠点がないというわけではないんですけどね。
例えば、マークの火星でのサバイバル生活を見ていても火星の重力が地球の1/3のようには見えなかったですから。
またクライマックスの「アイアンマンジェット」はさすがにないなと思いました。
まぁそこら辺はエンターティメント作品ということで目をつぶりましたが。笑。
ただ、一つだけどうかと思ったのが他でもない『オデッセイ』という邦題ですよ。
オデッセイというのは日本語に訳せば「叙事詩」ということになりますが、本作は別にそんな壮大な作品ではないのです。舞台こそ火星ですが、内容はサバイバル劇、要は『ロビンソン・クルーソー』ですからね。
ロビンソン・クルーソーの冒険譚のタイトルが『オデッセイ』だったら変でしょう?
原題は『THE MARTIAN』(小説の邦題は『火星の人』)で、個人的にはそちらの方がピッタリだと思うのですが、『オデッセイ』というタイトルになったのは「martian」という単語が日本人には馴染みがないからなのでしょう。
そういった事情は分からないでもないですが、内容に沿わない単語のタイトルと、馴染みのない単語のタイトルだと前者が優先されちゃうかぁと日本人としては少しばかり落胆せずにはいられません。
まぁよくあることではあるのですが。
お気に入り度★★★★、お薦め度★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)。
リドリー・スコットの監督作品はすべて観ているというわけではないのですが、2012年の『プロメテウス』がゴーリキの声優起用もあって本当にリドリー・スットコどっこいな映画でこの先彼の監督作は観なくていいや、と思いました。
それでもとりあえず『エクソダス:神と王』は観たのですが、これもまた微妙な作品で、この『オデッセイ』がそれに続くようであれば、本当に観るのは止めるつもりでした。
が、『オデッセイ』、とても面白かったです。
火星に取り残された男のサバイバルを描いた作品です。
主人公であるマーク・ワトニーを演じたのはマット・ディモン。
クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』でも確かどっかの星に取り残された男を演じてましたよねぇ。よく似たような役柄のオファーを受けたものだと感心します。
このマークがこれでもかっていうぐらいポジティブなんですよ。水なし、酸素なしというほとんど生き残る可能性がゼロに近い逆境においてもめげない。
しかもただポジティブなだけでなく、博学があり、さらにユーモアも備えているのです。
これはマークというキャラクターだけでなく、ポジティブで、知的で、ユーモアがあるというのは作品全般にも言えます。
SF映画って宇宙の未知の部分や恐怖を描くことが多いですが、知恵と勇気で困難を乗り切る、そんな冒険的要素があってもいいと思うのです。
自分はそういう映画の方が好みですね。
某映画サイトのレビューを読むと結構否定的な意見も見受けられます。
映画では後半マーク救出のためにNASAが中国の航空局に協力を仰ぐのだけれど、それが現実的ではない、っていうんですよ。
わかってないなぁ、わかってない。
確かに現段階ではアメリカと中国が宇宙開発において協力体制を築くことはあり得ない。
でもそんなことは映画の作り手だって充分わかってることだって思うんですよね。
現段階ではあり得ない、でも将来にあってはそうあって欲しくない、そういう思いが作品の中に込められてるってことでしょう。
その証拠に、幾多のSF作品において、敵対する国同士が未知の脅威に対抗するために結束したり、絶望的なミッションをこなすために協力する、そういう展開は決して珍しくないですから。
宇宙においては国境はないというのが多くのSF愛好家の間で共通の認識なのではないでしょうか。
何だかべた褒めしているようですが、必ずしも欠点がないというわけではないんですけどね。
例えば、マークの火星でのサバイバル生活を見ていても火星の重力が地球の1/3のようには見えなかったですから。
またクライマックスの「アイアンマンジェット」はさすがにないなと思いました。
まぁそこら辺はエンターティメント作品ということで目をつぶりましたが。笑。
ただ、一つだけどうかと思ったのが他でもない『オデッセイ』という邦題ですよ。
オデッセイというのは日本語に訳せば「叙事詩」ということになりますが、本作は別にそんな壮大な作品ではないのです。舞台こそ火星ですが、内容はサバイバル劇、要は『ロビンソン・クルーソー』ですからね。
ロビンソン・クルーソーの冒険譚のタイトルが『オデッセイ』だったら変でしょう?
原題は『THE MARTIAN』(小説の邦題は『火星の人』)で、個人的にはそちらの方がピッタリだと思うのですが、『オデッセイ』というタイトルになったのは「martian」という単語が日本人には馴染みがないからなのでしょう。
そういった事情は分からないでもないですが、内容に沿わない単語のタイトルと、馴染みのない単語のタイトルだと前者が優先されちゃうかぁと日本人としては少しばかり落胆せずにはいられません。
まぁよくあることではあるのですが。
お気に入り度★★★★、お薦め度★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)。