映画『ダークナイト・ライジング』の結末についての記事を書くのはこれで三度目なので、人によっては「またかよ!」と思われるかもしれません。
実際自分もそのことについてもう書く気はなかったのです。
自分の解釈の正しさについては絶対的な自信がありますが、絶対的に正しいと思うことであっても、その正しさを主張しても無駄であること(が多いということ)を経験で知っているからです。
にもかかわらずなぜ懲りずに同様の記事を書くに至ったかというと、それは『ひたすら映画を観まくる日記アルティメット・エディション』という映画ブログの【完全ネタバレ!『ダークナイト ライジング』映画レビュー】というタイトルの記事の中で、管理人のタイプ・あ~るさんが「ブルース・ウェインは生きていた」という主旨の発言をされていたので、自分がコメント欄でいくつか質問をぶつけたんですよね。もちろん「ブルース・ウェインは死んだ」という解釈の元での質問です。
自分はてっきり軽く流されるものとばかり思ってました。「ま、そういう考えも出来なくはないですよね」みたいな。
しかしタイプ・あ~るさんはきちんと反論をしてくださったのです。
初コメントの自分に対して、かなりの文字数を費やして「ブルース・ウェインは生きていた」という自身の考えを述べられました。
これにはちょっと感動しましたね。
それまで面識のなかった相手にきちんと反対意見を述べることは簡単なようでいて、なかなか出来ることじゃないですから。
だから自分もタイプ・あ~るさんに対して再反論するべきだろうと思ったのです。全力で再反論することが、礼儀であると思うのです。
日本人って議論をすることが苦手ですよね。下手くそだと言ってもいいですが。
そのことを以前ミクシィのある作家のコミュで痛感しました。
その作家の新作のトピックで、自分はこの作品の○○についてはこう思う、と自論を主張したら、流れで議論になったのですが、議論の相手から、自分の考えを他人に押し付けるな、とひどく非難されました。
なぜ自分の考えを主張することが自分の考えを他人に押し付けることになるのか、まったくもって理解できません。
自分は何かを議論することってとても有意義なことだと思うんですけどね。
議論をすることによってその対象に対して理解が深まればこれに勝る喜びはないじゃないですか。
自分と考えの違う相手であっても別に軽蔑なんてしないし、自分と考えの違う相手がいることってむしろ面白い。
しかしそういうふうに考えるのはごくごく少数のようで、ミクシィの件の相手からは悪しざまに罵られましたよ。
自分はその人のことを貶める発言など一切していないのに…。
悲しかったし、ガッカリもしました。
そういうこともあって、何であれ、議論をすることって空しいなと思うようになっていました。
なので、今回議論をする機会を与えてくださったタイプ・あ~るさんには感謝の意を表明したいと思います。まぁ意図的に機会を与えたというわけではないでしょうけれど。笑。
これから論破しようという相手のことを紹介するのもなんですが、タイプ・あ~るさんのブログは数多くある映画関連のブログの中でもっともマニアックで、ユーモアに満ちていて、情報に通じているブログだと思います。何だか自分が言うと褒め殺しをしているかのようで心苦しいんですが。。。
前置きが長くなったので、本格的な再反論、最終考察は明日から始めたいと思います。
最終考察、その二へ。
実際自分もそのことについてもう書く気はなかったのです。
自分の解釈の正しさについては絶対的な自信がありますが、絶対的に正しいと思うことであっても、その正しさを主張しても無駄であること(が多いということ)を経験で知っているからです。
にもかかわらずなぜ懲りずに同様の記事を書くに至ったかというと、それは『ひたすら映画を観まくる日記アルティメット・エディション』という映画ブログの【完全ネタバレ!『ダークナイト ライジング』映画レビュー】というタイトルの記事の中で、管理人のタイプ・あ~るさんが「ブルース・ウェインは生きていた」という主旨の発言をされていたので、自分がコメント欄でいくつか質問をぶつけたんですよね。もちろん「ブルース・ウェインは死んだ」という解釈の元での質問です。
自分はてっきり軽く流されるものとばかり思ってました。「ま、そういう考えも出来なくはないですよね」みたいな。
しかしタイプ・あ~るさんはきちんと反論をしてくださったのです。
初コメントの自分に対して、かなりの文字数を費やして「ブルース・ウェインは生きていた」という自身の考えを述べられました。
これにはちょっと感動しましたね。
それまで面識のなかった相手にきちんと反対意見を述べることは簡単なようでいて、なかなか出来ることじゃないですから。
だから自分もタイプ・あ~るさんに対して再反論するべきだろうと思ったのです。全力で再反論することが、礼儀であると思うのです。
日本人って議論をすることが苦手ですよね。下手くそだと言ってもいいですが。
そのことを以前ミクシィのある作家のコミュで痛感しました。
その作家の新作のトピックで、自分はこの作品の○○についてはこう思う、と自論を主張したら、流れで議論になったのですが、議論の相手から、自分の考えを他人に押し付けるな、とひどく非難されました。
なぜ自分の考えを主張することが自分の考えを他人に押し付けることになるのか、まったくもって理解できません。
自分は何かを議論することってとても有意義なことだと思うんですけどね。
議論をすることによってその対象に対して理解が深まればこれに勝る喜びはないじゃないですか。
自分と考えの違う相手であっても別に軽蔑なんてしないし、自分と考えの違う相手がいることってむしろ面白い。
しかしそういうふうに考えるのはごくごく少数のようで、ミクシィの件の相手からは悪しざまに罵られましたよ。
自分はその人のことを貶める発言など一切していないのに…。
悲しかったし、ガッカリもしました。
そういうこともあって、何であれ、議論をすることって空しいなと思うようになっていました。
なので、今回議論をする機会を与えてくださったタイプ・あ~るさんには感謝の意を表明したいと思います。まぁ意図的に機会を与えたというわけではないでしょうけれど。笑。
これから論破しようという相手のことを紹介するのもなんですが、タイプ・あ~るさんのブログは数多くある映画関連のブログの中でもっともマニアックで、ユーモアに満ちていて、情報に通じているブログだと思います。何だか自分が言うと褒め殺しをしているかのようで心苦しいんですが。。。
前置きが長くなったので、本格的な再反論、最終考察は明日から始めたいと思います。
最終考察、その二へ。