この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

嘘についての考察。

2013-04-02 21:58:13 | 戯言
 断るまでもないことなんですが、昨日の記事はすべて嘘です。
 嘘を思いつかなかったというのも嘘ですし、申し訳ないと思ったというのも嘘です。
 エイプリルフールに騙される人も最近はあまりいないかと思いますが、仮に騙されたとしてもそれは恥ずかしいことではないと思います。
 騙されにくいというのと疑り深いというのは紙一重ですし、何よりエイプリルフールに騙される人が一人もいなくなってはエイプリルフールそのものの存在意義がなくなってしまいますからね。笑。

 さて、私たちが生まれてから初めて出くわす嘘は(おそらく)親から言われた「嘘をついてはいけない」ではないでしょうか。
 本当にいついかなる時も嘘をついてはいけないのか?
 そんなことはないですよね。
 私たちは成長するにつれ、時と場合によっては嘘をつかなければならないことを学ぶものです。大人になるというのは嘘をつくべき時を知ることであると言い換えてもいいぐらいです。
 例えば高校の同級生に子供が生まれて、週末に会いに行ったとします。赤ん坊がビックリするぐらいブサイクだったら正直に「ブサイクな赤ちゃんですね」と言いますか?言わないでしょう?「可愛い赤ちゃんですね」と思ってもないことを言うはずです。
 また、彼女が初デートの時にこれまで食べたことのないぐらい不味いサンドイッチを作ってきたらどうです?正直に「不味いサンドイッチだね」と言いますか?やっぱり正直な感想は言わないでしょう。
 そしてこれらの嘘は正しい選択なのです。偽りのない言葉だからといってそれが正しい言葉であるとは限りません。
 思うに、嘘であれ、本当であれ、相手を傷つけるようなことは言っちゃいけないんですよね。
 よく子供が、相手の容姿などを誹謗する言葉を吐き、「本当のことだから(言ってもいいはずだ)」などと減らず口を叩きます。
 これは親に常日頃から「嘘をついてはいけない」と教育され、「嘘をついてはいけない」→「本当のことであれば何を言ってもよいのだ」と曲解するようになったのでしょう。
 
 無論、親が子供に「嘘をついてはいけない」と教育することにも真理はあります。
 子供のつく嘘のほとんどは自己保身のための嘘です。
 自己保身のための嘘ほど醜いものはありません。
 しかし幼い子供には自己保身のための嘘か、そうではない嘘なのかの区別はつかないでしょうから、一括して嘘はいけないものであると教えることも強ち間違っているとは言えないと思います。 

 最後にもう一度なぜ嘘をついてはいけないかについて考えてみましょう。
 倫理面からの理由ではないことは既に述べました。
 自分はこう考えます。なぜ嘘をついてはいけないか、それは嘘をついていることがバレたとき、相手からの信用を失うから。
 誰だって平気で嘘をつく人間は信用できないはずです。
 信用を失う恐れがあるから、嘘はつくべきではない。

 バレたときに信用を失うから嘘をつくべきでないというなら、バレさえしなければ嘘はついてもいいのか?
 答えは「Yes」です。
 嘘はバレさえしなければついても良い。

 しかし言うまでもなくバレないように嘘をつくことは至難の業です。辻褄を合わせ、不自然さを排し、そして何より嘘をついたことを長く記憶しなければなりません。
 それだけの労力を費やし、つく価値がその嘘に果たしてあるのか、私たちは嘘をつくとき常に考えるべきでしょう。

 ここから先はおまけです。
 以前「嘘」を題材にしてショートショートを書いたことがあります。
 何だよ、すべては自分が書いたショートショートを読ませるための前振りかよ!などと言わず、よかったら読んでみて下さい。こちら
 嘘でもいいから面白いと言っていただけたら幸いです。
コメント (4)
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