この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

そしてブライアンはいなくなった  Bryan,far away その1.

2013-04-05 23:14:56 | そしてブライアンはいなくなった
 Dr.エイブラハム・ジェイコムズの独白


 ブライアンがいなくなった。

 ブライアンは私が飼っていたウサギである。
 いや、飼っていたという言い方は正しくないかもしれない。
 だが私とブライアンの関係を端的に言い表すのは難しい。

 ブライアンは殺処分されるところを衛生管理課から私が譲り受けた。外見は小学校で飼育されているような、よく見かけるタイプのウサギである。 
 ただ、よく見かけるタイプのウサギに比べるとブライアンは頭がよい。
 どれぐらい頭がよいのかというと私とチェスの勝負をして互角に戦えるぐらいである。
 ちなみに私はチェスの全米チャンピオンだったことがある。
 もちろんブライアンは生まれつき天才ウサギだったというわけではない。
 彼の大脳皮質に私が開発したαチップを埋め込んだのだ。
 そうすることでブライアンの知能は飛躍的に向上した。

 ブライアンが普通のウサギでないことは誰も知らない。助手のアイリーン・キャンベルでさえも知らないはずだ。
 ブライアンは私以外の第三者がいるときは完璧に自らをどこにでもいるウサギに見せかけることが出来た。

 ブライアンは彼自身の意思で私の元から逃げ出したのだと見て間違いあるまい。
 外部からの侵入者がわざわざウサギ一匹を盗み出すとは考えにくいし、何らかのアクシデントによりゲージの外に出たのだとしても、普通のウサギのようにそのまま気紛れにどこかへ行ってしまうということもやはり考えられない。
 ブライアンは逃げ出したのだ。

 その結論に私は少なからぬショックを受けている。
 なぜなら私とブライアンの関係は極めて順調であると私は思っていたのだ。
 私はブライアンの三度の食事に、有機栽培された最高級のニンジンを毎日用意した。
 今どきの最高級のニンジンは決して安くない。
 私の日々の食事であるヌードルよりもよっぽど高級なぐらいだ。
 ブライアンはそのニンジンをいつも私の手から受け取って貪るようにボリボリと美味しそうに食べていた。

 それにチェスだ。
 私がチェスをブライアンに教えたのは無聊ゆえだったが、ブライアンには天賦の才能があった。
 好敵手とのチェスほど心躍るものはない。
 ブライアンも私同様楽しんでいるものとばかり思っていた。

 ブライアンは今どこにいるのだろう?
 研究室の中にいないことは間違いない。
 研究所の中にもおそらくいないだろう。
 だとすれば研究所の外ということになるが、それについては考えたくない。
 ブライアンは外の世界がどれほど危険なのかわかってないのだ。
 それに彼一人では食事もままならないだろう。
 彼は今無事でいるのか?彼の身が心配でならない。



                         アイリーン・キャンベルの懺悔へ続く
コメント (4)
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