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この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

マッハ!弐。

2010-01-17 18:22:31 | 新作映画
 トニー・ジャー監督・原案・武術指導・主演、『マッハ!弐』、1/16、ユナイテッド・シネマキャナルシティ13にて鑑賞。2010年3本目。


 どうして二週間限定公開なのか、観て納得。笑。

 ジェームズ・キャメロン監督の『アバター』に、ストーリーが陳腐、人物描写が薄っぺらいとクレームをつけている人を見かけます。
 まぁ確かにその通りだな、とは思います。
 でも、仮にストーリーが陳腐じゃなくなり、人物描写が薄っぺらくなくなっても、それで上映時間が一時間延びたらどうなのよ?とも思います。
 あれだけのヴィジュアルを見せてくれたんだから、それでいいじゃん、そう思うのです。
 少なくとも、映画『アバター』において、ストーリーがヴィジュアルの邪魔はしてないですよね?
 それで充分なのではないでしょうか。

 さて、映画『マッハ!弐』を観に行く者は、自分も含めて、『マッハ!!!!!!!』、『トム・ヤム・クン』のような超絶アクションを期待して観に行ってるんだと思います。
 が、、、アクションシーンがまったくないってわけではないのですが、ストーリーが思いっ切りアクションの邪魔をしてるんですよね。

 例えば、主人公のティンには、幼い頃に生き別れた踊り子の幼馴染みがいます。
 ティンはその幼馴染みとは、ティンが復讐の機会を果たそうとした演舞会において再会を果たすのですが、その際、視線を交わすだけなのです。
 観ている側としては当然このあとティンと幼馴染みが手と手を取り合って逃げ出すもの、そう思うじゃないですか。
 しかし、ティンと幼馴染みはこのとき視線を交わすだけなんです。
 これなら幼馴染みの存在そのものがいらないじゃん、って思いましたね。

 その他、脚本にいろいろ問題がある本作なのですが(捻り過ぎてワケがわからないものになっている)、一番の問題は観終わった後、カタルシスが得られない、ということでしょうか。
 何故カタルシスが得られないのか、、、ネタバレになって恐縮ですが、まぁ本作のネタバレをして怒る人もいないと思うので言っちゃいますが、主人公のティンは最後の最後、親の仇を取ることなく、殺されてしまうんです。
 ありえないですよね。
 普通この手のアクション映画って、主人公が絶体絶命の窮地に陥り、満身創痍になりながらも、ギリギリのところで窮地を脱して、宿敵を倒す、それで観ているものは気分がスカッとなるもんじゃないですか。
 それが主人公が殺されて、主人公のカルマがどうこうって言われても、納得出来るもんじゃないですよ。
 ふざけんな、って言いたくなります。

 それなりに期待するものがあって観に行った本作ですが、期待外れもいいところでした。
 今年何本映画を観に行くかわかりませんが、ワースト5に入ることは間違いないと思います。
 っていうか、これ以下の作品は勘弁して欲しいです。

 お気に入り度は★、お薦め度は★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。 
コメント (4)
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