この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

大晦日は。

2006-08-17 23:17:20 | 戯言
 江原啓之はインチキだと思う。
 のっけからいきなり江原啓之ファン、マニア、支持者、シンパ、その他大勢1000万人ぐらいの人たちを敵に回すような発言をしてしまったけれど、これは何も江原啓之だけがってことではなく、自分は無神論者であり、すべての宗教、占い、オカルト、幽霊、宇宙人、サンタクロース、細木数子、その他諸々すべてのあらゆる非科学的存在を否定するスタンスなので、あぁ、この人は目に見えないものの存在を信じられないかわいそうな人なんだ、ぐらいの優しい目で見守ってやってほしい。笑。
 江原啓之はインチキだと思う、とはいったけれど、インチキと一言で言っても世の中にはいいインチキと悪いインチキがあると思っている。
 例えば最愛の恋人を亡くしたばかりの女性に、
「貴女の恋人は貴女のそばで貴女のことを見守っていますよ。貴女が幸せになること、そして貴女が強く生きることを望んでいます」
 そういって彼女を励ますことはとてもいいことだと思う。自分は霊の存在なんてこれっぽっちも信じてはいないけれど、そういう口上で霊を利用するのは悪くないと思うし、むしろそれこそが本来の宗教の在り方なのではないだろうか。
 江原啓之のスピリチュアル・カウンセリングもおそらくこれに類するものであろうから、否定する気はまったくない。
 江原啓之という人物は人格者なのだろう。人が不快に思うような発言は決してしないというし。ここら辺が存在し続ける限りひたすら敵を増やしていく細木数子とは大違いだ。笑。
 ただ、人が不快に思うような発言はしないけれど、問題発言がないというわけでもなく、聞いた話では彼は和田アキコにレイ・チャールズの霊が(守護霊として)取り憑いているといったらしい。そりゃ歌手を生業とするものに、ソウルの神様が守護霊ですよ、といえば感激もするだろうが、実際和田アキコはレイ・チャールズを尊敬していたらしいし、でもこれはいくらなんでもリップサービスがすぎるというものだろう。
 レイ・チャールズは偉大なミュージシャンである。といっても自分が彼について知っていることといえばせいぜい若い頃の彼がジェイミー・フォックスに似ているということぐらいだけれど(←逆である)。
 ともかく、レイ・チャールズも死後面識のない、東洋の島国の図体と態度がデカいだけの女の守護霊になるためにその一生を音楽に捧げたのではあるまい。
 レイ・チャールズの霊が存在したとしても、彼にも大勢のミュージシャンの親しい知り合いや可愛がっていた弟子がいたであろうから、日本の音楽業界の行く末に興味があるとも思えないし、普通に考えればそちらに取り憑くだろう。
 第一、彼の遺族もいい顔をしないだろう。貴方のご主人は東洋の(以下略)の守護霊になっているらしいですよ、と聞かされたら(レイ・チャールズに妻がいるかどうかは知らないが)。普通に考えれば、うちの主人を勝手に二流の歌手の守護霊になんかにしないで!と抗議をするのではないだろうか。
 江原啓之の今のやり方が拙いとは思わない。実際彼のカウンセリングによって救われた人も多いのだから。彼らにとってその救済のやり方がインチキかどうかなんて瑣末でしかない。
 ただ、生まれ変わりだの、守護霊だのと持ち出す場合には出来るだけ没後歳月を経た人がいいだろう。亡くなったばかりの人だとボロが出るかもしれないから。
 それからこれは自分が興味本位で望むのだが、江原啓之と細木数子の対談を見てみたい。普段自分は二人の出演番組は決して見ないのだけれど、もしこれが実現すれば信条を曲げて見ようと思う。いや、是非とも見たい。
 江原啓之の口からどのような言葉が出るかはおおよそ見当はつく。何しろ彼は人格者であるから、決して細木の悪口は言わないだろう。
 問題は細木数子の方である。彼女は自身の存在を脅かす、というか勢いにおいてすでに自分を遥かに上回る江原のことを決してよくは思っていないだろう。だが仮にも天下のスピリチュアルカウンセラーに対して、例の決め台詞「地獄に落ちるわよ」は使えまい。いや、対談の最中、我を忘れた細木数子がいろいろと暴言を口走ってくれたら面白いのだけれど。
 ともかく、江原啓之と細木数子の対談が実現すれば、その注目度も亀田興毅の初防衛戦の比ではないだろう。実現不可能な企画でもないと思うので、大晦日の夜にでも紅白の裏番組で是非やってほしい。二人の対談を(表向き)不可能だとする理由もないと思うので、テレビ局の方、是非一考願いたい。
コメント (9)
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