ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 富永茂樹著 「トクヴィルー現代へのまなざし」 岩波新書

2011年09月22日 | 書評
フランス革命時の民主思想の憂鬱とは 第5回

 アレクシス・トクヴィルの祖先は11世紀のノルマンディ候の家臣である貴族につながる。フランス北部コタンタン半島のトクヴィル村の出身で、村には今も彼の胸像が立っているという。父のエルヴェは1774年生まれで、所領の経営を立て直し、国王の軍隊に入ってルイ16世時代の高級官僚の娘を妻にする。この経歴がフランス革命では禍の元になり、1793年ルイの処刑ののち父は反革命の容疑で監獄に収容され、姉一家が処刑された妻は精神に変調をきたした。テルミドールの政変後釈放され、1805年3男としてアレクシスが生まれた。復古王制で内務官僚となった父につきそって、パリ大学で法学を学び裁判所の判事修習生となった。1830年7月革命で、復古王制が打倒され、正統王朝派に属するトクヴィル家は、新たに誕生したフィリップスの立憲君主制に忠誠を誓った。1831年トクヴィルと友人ボーモンは「合衆国における監獄制度の調査研究」を名目に1年近くアメリカに滞在した。帰国後、「アメリカで見聞した新奇な事物のうちで、諸条件の平等ほど私の目を驚かせたものはなかった」と「アメリカにおけるデモクラシー」が執筆された。デモクラシーとは狭い意味での主権在民の政治形態という意味ではなく、平等はひろく社会や文化のありかた全般に影響を及ぼしているという意味である。ただこのことはアメリカで始めて発見したことではなく、10年も前から考えアメリカで確認したという。
(つづく)

環境書評 西岡秀三著 「低炭素社会のデザインーゼロ排出は可能か」 岩波新書

2011年09月22日 | 書評
日本低炭素社会 脱石油・脱原発のシナリオ 第9回

3)地域・企業・住民はどう変わるか (1)

 低炭素社会シナリオで2つの典型的な「活力社会」と「ゆとり社会」を示したが、地域はどう変わるのだろうか。本書では都市の事しか述べていないし、著者らは都市こそ低炭素社会の切り札と考えている趣がある。集約された都市でこそ政策が行き渡るし節減効率がいいと見ている。分散型の地方では官僚が何をやっても政策は実現できないようだ。「活力社会」では利便性・効率性の追求から都心部への人口集中が進む。地方の中核都市は分解し、農村では過疎化が進むというらしい。これまでの都市化・過疎化を是認しむしろ推奨して、皆さん都市に住みなさいというシナリオである。「ゆとり社会」では表現こそマイルドだが実現可能かどうか具体的な社会像が抽象的である。筆者らは実現可能とは見ていないようだ。低炭素社会シナリオでは政策の効率性という点から都市化以外に実現性は無いようだ。職・住・商接近方のコンパクトシティにして、公共交通を張り巡らし、自家用車を追放するという欧州型都市を夢見ているようだ。しかし低炭素社会のライフスタイルだけが価値観のすべてではない。政策立案者はそれ以外は考えない。そして土地は金には換算できない要素を持っている。食品生産基地として、水源として、生態系として、記憶として様々な環境資源が一体となったいわゆる和辻哲郎のいう「風土」という価値である。ところが日本は高度経済成長期から食糧自給を諦め、工業立国を目指した。機械電気製品の輸出から得た金で世界で一番安い食料を輸入するという戦略である。土地は放棄された。中国のように食料生産と燃料生産のため山は丸裸にされないで、おかげで日本は森林面積が世界一という皮肉な結果となっている。
(つづく)

文芸散歩  池田亀鑑校訂 「枕草子」 岩波文庫

2011年09月22日 | 書評
藤原道隆と中宮定子の全盛時代を回想する清少納言 第1回

序(1)
 藤原摂関政治の全盛時代は、道長の「この世をばわが世とぞぞおもう望月の欠けたることもこともなしとおもえば」の「望月の歌」に象徴される。そして道長のサクセスストーリーは「大鏡」に虚実取り混ぜて描かれている。「枕草子」の背景はこの大鏡に書かれた関白位をめぐる伊周(道隆の子、一条天皇后定子の兄)と道長(道隆の弟、一条の母詮子の弟、中宮彰子の父)の闘いを抜きには語れない。一条天皇は皇后定子(伊周の妹)を非常に寵愛していたので、兄の伊周はいつも天皇の近くにはべっており、何かに付けて道長や姉の詮子皇太后(円融天皇の女御で一条天皇の母)の悪口を云うのであった。こう云う事情で兄粟田殿道兼公の死後、道長が関白となって政治をとることに一条天皇は難癖を付けて許可しなかった。道長の長兄道隆公(定子の父)がなくなった後定子の後ろ盾がいないことを天皇は憂慮されたことによるものであった。しかし姉の詮子はわが子の一条天皇に迫り、道隆の死後道兼公には宣旨を出しながら、道長に宣旨を出さないのは「関白は兄弟順に」と云う道理に合わないと強く意見をした。天皇は詮子をうるさく感じたのか避けていたが、詮子皇太后はある夜天皇の夜の御殿に出かけて泣き落としの説得を続けた。こうしてようやく道長公に内覧(関白扱い)の宣旨がおりた。道長はこのことをいつまでも恩義に感じ、詮子皇太后の葬儀をねんごろに執り行った。この後伊周は大宰府権師に、弟隆家は出雲権守に左遷になった。ついに道長は政敵の一族を一掃して最高位の左大臣に昇進した。そして一条天皇には道長の娘彰子を中宮に入れ、定子を皇后に祭り上げた。その直後定子は失意のうちに亡くなった。権力闘争は天皇の愛人の位置関係にまで及ぶのである。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「江村落日」

2011年09月22日 | 漢詩・自由詩
空外秋聲吹稲梁     空外秋聲 稲梁を吹き

長江水痩隔斜陽     長江水痩せて 斜陽を隔つ

一村熟柿多先墜     一村の熟柿 多く先ず墜ち

三径黄柑只暫香     三径の黄柑 只暫く香し


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(韻:七陽 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)