福島第1原発事故はチェルノブイリ級、日本政府のいう事を信じてはいけない 第5回
1)福島第1原発事故発生、避難 (2)
住民の安全に関係する事項を整理する。3月11日午後3時14分政府に緊急災害対策本部は設置され、菅首相が「原子力緊急事態宣言」を出したのが午後7時3分であった。この時点で枝野官房長官は「放射能が現に漏れているとか漏れ湯ような状況にはなっていない」といった。午後8時50分福島県は第1原発から2Km以内の住民に避難指示を出した。午後9時23分政府は原発から3Km以内に避難指示を出し、10Km以内に屋内退避指示をだした。この時点及び午後10時50分で枝野官房長官は「念のための避難指示です。放射能は炉の外には漏れていません」といった。3月12日午前4時原発から放射能が漏れ出した。原発正門前で4.9マイクロシーベルトになった。政府派午前5時44分避難指示を10Km件に拡大した。午前10時17分格納器の圧力を逃がすため放射性蒸気のベント(放出)が行なわれた。午後3時36分1号機が水素爆発を起こして建屋が吹き飛んだ。午後6時25分避難区域は20Kmに拡大された。避難指示を受けた人は午後10時前には避難を終了した。放射線量計を持った取材班三人は郡山には入り宿泊所がないので隣の須賀川市のホテルに入った。3月13日午前5時10分3号機の冷却機能が停止しベントが放出された。取材班は双葉町の常磐線近くで6マイクロシーベルト/hを計測し、県立双葉高校で60マイクロシーベルト/hに跳ね上がった。通常の1000倍である。そしてこの事を連絡しなければと思い双葉町役場についたが無人であった。そこでは最大の計測幅1000マイクロシーベルト/hを振り切ってしまった。この1mSv/年の値は一般の人の年間許容量を1時間で超す値である。双葉構成病院にも誰もいなかった。川内村の避難所について副村長に会い測定結果を告げて、妊婦と子供をさらに遠くまで避難するようにと伝えた。川内村1200人は16日に郡山へ向けて避難したという。3月14日に南相馬市に向かった。午前11時3号機が水素爆破をした。午後1時25分には2号機の冷却機能が停止した。午後9時枝野官房長官は「炉心溶融は1,2,3号機との可能性は高い」と発言、原発正門前で3.13ミリシーベルト/hを観測し、プルームにのって放射性物質は北西へ拡散した。ここで東電は「全員退去したい」と告げたが、枝野長官と海江田経産相は認めず対応に当たるように指示した。3月15日午前0時2号機のベントを実施した。午前4時、40Km離れたいわき市でも23.7マイクロシーベルト/hを示した。事故対策本部を東電内に設け,菅首相は清水社長に「東電撤退は認めない」と申し入れた。午前6時4号機の使用済み核燃料プールで爆発が起り、屋根が吹き飛んだ。そして2号機のサプレッサープール付近で爆発が起きた。午前9時の正門付近では11930マイクロ(11.93ミリ)シーベルト/hが測定された。午後9時40分4号機で再び火災が発生した。枝野長官は「10時22分3号機周辺で400ミリシーベルト/h、4号機周辺で100ミリシーベルト/hが測定された」と発表した。
(つづく)
1)福島第1原発事故発生、避難 (2)
住民の安全に関係する事項を整理する。3月11日午後3時14分政府に緊急災害対策本部は設置され、菅首相が「原子力緊急事態宣言」を出したのが午後7時3分であった。この時点で枝野官房長官は「放射能が現に漏れているとか漏れ湯ような状況にはなっていない」といった。午後8時50分福島県は第1原発から2Km以内の住民に避難指示を出した。午後9時23分政府は原発から3Km以内に避難指示を出し、10Km以内に屋内退避指示をだした。この時点及び午後10時50分で枝野官房長官は「念のための避難指示です。放射能は炉の外には漏れていません」といった。3月12日午前4時原発から放射能が漏れ出した。原発正門前で4.9マイクロシーベルトになった。政府派午前5時44分避難指示を10Km件に拡大した。午前10時17分格納器の圧力を逃がすため放射性蒸気のベント(放出)が行なわれた。午後3時36分1号機が水素爆発を起こして建屋が吹き飛んだ。午後6時25分避難区域は20Kmに拡大された。避難指示を受けた人は午後10時前には避難を終了した。放射線量計を持った取材班三人は郡山には入り宿泊所がないので隣の須賀川市のホテルに入った。3月13日午前5時10分3号機の冷却機能が停止しベントが放出された。取材班は双葉町の常磐線近くで6マイクロシーベルト/hを計測し、県立双葉高校で60マイクロシーベルト/hに跳ね上がった。通常の1000倍である。そしてこの事を連絡しなければと思い双葉町役場についたが無人であった。そこでは最大の計測幅1000マイクロシーベルト/hを振り切ってしまった。この1mSv/年の値は一般の人の年間許容量を1時間で超す値である。双葉構成病院にも誰もいなかった。川内村の避難所について副村長に会い測定結果を告げて、妊婦と子供をさらに遠くまで避難するようにと伝えた。川内村1200人は16日に郡山へ向けて避難したという。3月14日に南相馬市に向かった。午前11時3号機が水素爆破をした。午後1時25分には2号機の冷却機能が停止した。午後9時枝野官房長官は「炉心溶融は1,2,3号機との可能性は高い」と発言、原発正門前で3.13ミリシーベルト/hを観測し、プルームにのって放射性物質は北西へ拡散した。ここで東電は「全員退去したい」と告げたが、枝野長官と海江田経産相は認めず対応に当たるように指示した。3月15日午前0時2号機のベントを実施した。午前4時、40Km離れたいわき市でも23.7マイクロシーベルト/hを示した。事故対策本部を東電内に設け,菅首相は清水社長に「東電撤退は認めない」と申し入れた。午前6時4号機の使用済み核燃料プールで爆発が起り、屋根が吹き飛んだ。そして2号機のサプレッサープール付近で爆発が起きた。午前9時の正門付近では11930マイクロ(11.93ミリ)シーベルト/hが測定された。午後9時40分4号機で再び火災が発生した。枝野長官は「10時22分3号機周辺で400ミリシーベルト/h、4号機周辺で100ミリシーベルト/hが測定された」と発表した。
(つづく)