ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 富永茂樹著 「トクヴィルー現代へのまなざし」 岩波新書

2011年09月30日 | 書評
フランス革命時の民主思想の憂鬱とは 第13回

2)アンシャンレジームとフランス革命 (3)

 トクヴィルの晩年の視点は絶対君主ではなく、この官僚組織を通して権力は中央から津法の細部に浸透したと考える。国内的には重農主義、国外的には重商主義によって中央集権を達成した近代国家は次第に帝国の形態をとり始めるのである。それは絶対君主制であれ、民主国家であれ同じ形態である。行政はすべてのフランス人を被後見状態に置いたとトクヴィルはいう。集権化した政府の後見下におかれ、なにごとにつけ世話を受けるようになり、国民は国家への依存度を深めてゆく。官僚組織は組織の上から下まで、公的な利益を理由に,民間の事業や生活に関与してゆく。行政にとって効率重視の点からも、政策徹底からも、国民の画一化が欠かせない。国民の顔を見るのではなく、数としてみるのである。「人口」や統計学が流行するのも18世紀からであった。啓蒙哲学の基礎となった合理主義は行政の中央集権制を支え、フランス社会に画一化をもたらした。これはアンシャンレジームから革命後も連続した流れであった。トクヴィルは利己主義と個人主義を区別する。トクヴィルによると利己主義は「自分自身に対する、行過ぎた激しい愛」と定義し、自己本位に自己利益を優先する考えであるとした。個人主義とは「自分中心の小さな社会に閉じこもり、自分の事しか見えな思考様式」とした。平等がゆきわたると、各階層の人々は自分らの殻に閉じこもり「一種奇妙な自由」で満足する。第3身分よりも先に革命を起こしたのは、国王権力に反抗する貴族層であり、僧侶・平民を巻き込んだ革命へ展開した。最も革命的であったのは絶対君主から圧迫を受け権利を剥奪された貴族階層だったとは、20世紀のロシア革命でも同じことであった。
(つづく)


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