ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 広河隆一著 「福島 原発と人々」 岩波新書

2011年09月13日 | 書評
福島第1原発事故はチェルノブイリ級、日本政府のいう事を信じてはいけない 第11回

2)事故の隠蔽と拡がる放射能被害 (4)

 原発事故は基本的に見えにくい被害である。林業は50-100年で考える産業で、福島第1原発から20km以内では人が立ち入れないために、森林の手入れが出来ない。山の表土が荒れると保水能力が失われ洪水の因となる。山林は日常的にメンテナンスしないとすぐに荒れるのである。ただ田畑と違って土を入れ替えることは出来ない。また新たに林業に従事する後継者もいないので、今回の原発事故で山林がどうなるか心配だという。福島の漁業は当面は操業自粛を決めた。急遽、魚介類に対する暫定基準値(放射性セシウム500ベクレル/Kg)と定められた。福島第1原発は事故直後汚染水を海洋に捨てた。恐ろしい東電の神経である。漁業者の漁業権を買い取ったつもりでいるのか、火事場泥棒式の捨て逃げは許されるものではない。公害法では操業停止になる行為である。それを平気でやってのけるというのは、国民として理解できない。20Km以内には立ち入り禁止なので、畜産農家は死活問題となり、国は5月家畜の殺処分を決めた。牛3500頭、豚3万頭が殺された。7月には肉牛の暫定基準(セシウム500ベクレル/Kg)を超える値が検出された。汚染を心配される牛の出荷数は2000頭を超えた。須賀川市で3月有機栽培農家の男性が自殺した。出荷制限を受けた翌日であっという。原発から30Km離れた飯館村のでは4月から計画的避難区域に指定され、1ヶ月以内に立ち退く事を要求された。飯館村の放射線量が高い事を知ったのはテレビを通じてである。それまではどのくらいか全く情報はなかった。3月25日には福島県放射線健康リスク管理アドバイザーの高村昇長崎大学教授が村で講演会を開き、「マスクや手洗いの注意事項を守れば健康に害なく村で生活できます」といっていたが、急に計画的避難地域に指定され住んではいけないと言われた。3月28日ごろ京都大学の今中哲治助教授が飯館村の放射線量を測定し、「この線量はありえないほど高い」といわれた。「いったい高村先生とは何物なのか」という声が聞かれた。飯館村の水道から暫定基準の3倍にあたる965ベクレル/kgという値が検出された。さらに6月30日になって伊達市の4地区を「特定避難勘奨地区」に指定し、7月21日には南相馬市4地区を指定した。地域を分断する指定でコミュニティはバラバラに引き裂かれた。コンパス指定から、点指定に変わって住民はいいようのない不安に怯えている。それも情報を与えることなく突然指定してくるから住民は振り回されるのである。
(つづく)

環境書評 大島秀利著 「アスベストー広がる被害」 岩波新書

2011年09月13日 | 書評
中皮腫発症の40年のタイムラグが、アスベスト対策を甘く見た原因 第11回 最終回

4)生活の中のアスベスト被害 (2)

 最大の問題は、建材等に使われ日々の生活に溶け込んでいるアスベストが飛散しそれらを吸引する危険性が高まるのは、建物の解体・改築時やアスベストの除去工事の際である。飛散防止のために規制する法令には、①石綿障害予防則、②大気汚染防止法、③廃棄物処理法、④建築基準法である。石綿障害予防則ではアスベスト除去作業計画を労働基準監督署に届け、作業者の健康を守るため「石綿作業主任者」の選任と管理を義務つけている。大気汚染防止法ではアスベスト吹き付け材を「特定建築材料」と定め、付近住民の健康を守るため除去工事は都道府県知事に届けなければならない。飛散防止策の手順が示されている。廃棄物処理法ではアスベスト廃棄物は「特別管理産業廃棄物」となり規制される。安定型処分場に分散しないよう埋め立てる。建築基準法では増改築の際原則アスベストの除去を義務づけている。除去しな医場合でも「封じ込め」、「囲い込み」措置の基準を定めている。行政当局に工事が適正に行なわれているかどうかの監視が必要である。ところが工事の最初にちょっと顔を出す程度では、あとの手抜きは一切分らない。行政は人がいないとか、信頼が前提とかいって、作業を完全には把握していないのが通例である。そこでNPOなどの専門家によるパトロール監視機構が必要になってくる。文部省は1987年度より教育委員会に学校を調査するよう指示した。2006年から2008年度の3年間にアスベスト関連がんと認定された教職員関係者は139人にのぼった。さらに大学や保育園なども心配である。
(完)

読書ノート 竹内 啓著 「偶然とは何かーその積極的意味」 岩波新書

2011年09月13日 | 書評
生物進化や人間の歴史のおける偶然の積極的意味とは 第2回

 偶然現象をつきつめて拘っていても得ることは無い。主体的に(前向きに)どう対処するかに関るかが本当の主題である。したがって数理統計学に配慮しつつ、人間の知恵を重視するのが本書の立場である。「偶然とは何か」と同様にその反語である「必然とは何か」も定義できない。この「偶然と必然」という対語は、フランスの微生物学者・遺伝学者であるジャック・モノーの著「偶然と必然」の問題を引き摺っている。この書は生物進化のメカニズムを扱ったのであって、生物進化には偶然という変異が発生し選択されることが必要であると云う命題を述べたものである。これはダーウインの「種の起源」を分子生物学的遺伝子の文脈で表現したものである。著者は自然科学的世界観をニュートン力学の「機械的決定論」において、ラプラ-スの言葉を引いて「偶然とは単に無知の結果であるにすぎない」という。ニュートン力学世界観をこんなノー天気な楽観的万能論で表現されると、それは違うと言いたくなる。科学の発展はいつも先行する理論や学問体系を修復し、改良し、覆すものであって、太古の昔から学問体系が不変であるとは誰も考えない。相対性理論や量子力学はたえずニュートン力学に異議申し立てをしている。人間の理解が及ばない領域は無数にある。理解できないことを全部「偶然」とは思わない。学問体系は絶えず変更を受けるが、科学の論理はいまのところ変わらない。世界を人間の知性で理解しうるものとして発展するのだ。それを「人間の無知が残る領域」にどう対処するか、「本質的偶然」といってすますか、科学の進歩を待つか、はたまた人間の行動原理として前向きにこれを楽しむか、それが問題である。科学の進歩としてはまだ萌芽状態にある、非線形科学、複雑系の科学などが面白い前線である。

 人は物事に秩序が存在するという意味で必然性を理解している、それがなくては生きてゆけないとという。偶然はかく乱要因と見なしているようだ。hんらい必然的な因果関係に支配されながら、偶然現象を発生させるメカニズムには昔から科学的には次の3つのケースが考えられてきた。ひとつは初期条件の僅かな違いが結果に大きな明確な違いをもたらす場合である。ルーレットやさいころのケースが相当するようだ。2つには2つ或いはそれ以上も無関係な因果関係が同時に働くことによって予測が出来ない場合である。これにはポアソン分布がよく似合う。離散的故障解析になくてはならない理論である。3つに微細な多数の原因の結果として生じる連続的変動である。これには正規分布がよく似合う。多数の偶然変動が加法的に累積されることである。本書の構成を述べておこう。大きくは二分され、前半は確率論や統計論が示す世界、後半は偶然に対処する人間の世界を描く。前半の数理統計学については数式は一切用いないで簡単にレビューしよう。そして本書の目的である後半の人間行動原理についてしっかり見て行きたい。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「早秋稲稔」

2011年09月13日 | 漢詩・自由詩
天高隴圃稲雲黄     天高く隴圃 稲雲黄に
 
颯颯吹来梧影涼     颯颯と吹き来り 梧影涼し

昼日暑残渾夏意     昼日暑残り 渾て夏意

江邨野色又秋光     江邨野色 又秋光


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(韻:七陽 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)