ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 広河隆一著 「福島 原発と人々」 岩波新書

2011年09月10日 | 書評
福島第1原発事故はチェルノブイリ級、日本政府のいう事を信じてはいけない 第8回

2)事故の隠蔽と拡がる放射能被害 (1)

 福島第1原発事故の情報は徹底的に隠蔽された。最初は東電が政府に情報を出し渋っているという印象であったが、重大な情報が加工され保安院や官邸(枝野官房長官)から出されたり隠されたり、とんでもない被曝事故が発生してからも「想定外の事故」、「原子炉は管理下にある」、「ベントで出る放射線は微量である」、「直ちに健康に影響が出るレベルではない」、「万全を尽くしている」という誰が聞いても嘘とわかる言葉を流し続けた。この事故は戦争の情報管理に似ているという人がいる。都合のいいことしか言わない。都合の悪いことは隠し続けるという大本営発表である。「壊滅的敗北」を「戦略的転進」というたぐいである。この人たちは「言霊信仰」を持ち続けているらしい。言葉の言い換えで事態が好転する事を願っているかのようである。その間に何万人の人が死んでも意に介さないらしい。「この人たち」とは為政者とメディア関係である。巨大な記者クラブは一切現場で取材していない。東電本社と霞が関以外の情報を自分で取材することはなかった。いわゆる「記者クラブ」という大政翼賛会倶楽部である。「いたずらに不安を煽る」とか「不正確な情報に惑わされないように」とかいう禁句集も用意した。これで福島原発のメルトダウンの時期や影響も「不安をあおる」という情報管理が行なわれ、国民と福島の住民には知らされなかった。「権力の不合理を知らずに、安心して死ね」ということである。一体何を隠したのだろうか。

①境界地モニタリングデータ(5月28日に公開した)を秘匿した。ベントの影響や放射能漏れを知られたくなかったようだ。 
②事故当日の気候から北西に流れた放射性プルームの汚染計算結果を秘匿した。これによって20Km圏外の浪江町、葛尾村、南相馬市、飯館村、川俣町、伊達市、福島市の住民の多くが大量の被爆をしているはずである。福島市で病院のレントゲンフィルムが真っ白に感光していたといわれるほどの被爆である。どの程度の被爆かの予測は国のみが握っている。将来の裁判に備えて。
③原子炉の水位や温度,圧力データを秘匿した。計測器が故障したとしょうして公表していない。配管の損傷、圧力容器の破損、メルトダウンの原因と影響を原子炉の構造的欠陥として知られたくないのだろう。なんせ原子炉は安全設計といい続けてきたから、いまさら原子炉は地震に弱い構造でしたとは死んでも言えないのだろう。
(つづく)


環境書評 大島秀利著 「アスベストー広がる被害」 岩波新書

2011年09月10日 | 書評
中皮腫発症の40年のタイムラグが、アスベスト対策を甘く見た原因 第8回

3)拡がるアスベスト禍 (1)

 アスベストによる健康被害で労災認定された人は、1947年の労災保険法施行以来2005年3月末までに739人に過ぎなかったが、2011年2月末には通算で1万4000人に達した。国内有数のアスベスト産業地帯であった大阪泉南地区の患者達は、国が長年にわたってアスベスト規制を怠ったため深刻な被害にあったとして、2006年5月大阪地裁に国家賠償訴訟を起こした。泉南地区はアスベスト紡績工場が日露戦争後に建ち始めが、毛布用の特殊紡績業へ展開したため、在日朝鮮人らがアスベスト紡績機械を譲り受け石綿糸、石綿布、石綿布団を製作し、各種産業へ材料を提供した。岸和田労働基準監督署の資料には、1955年から1998年度まで、アスベスト紡績業で労災認定されたのは通算198人、死者は150人とされた。死因は石綿肺、呼吸不全が半数以上、肺がん・中皮腫は13%とされている。2010年5月大阪地裁は判決で、国がアスベストの危険性を知ったのは遅くとも中皮腫と肺がんについて1972年だったとして、国の責任を認め4億3500万円を賠償するように命じた。1971年の特定化学物質等障害予防規則「特化則」が危険性の認定をしたためである。それ以降実質的な予防策をとらなかった国の不作為の責任を認めた。大阪地裁は「特化則」の実効性を検証し、結果の報告と改善措置が義務付けられておらず「ザル法」だったと断罪した。そして1989年に工場敷地境界線のアスベスト濃度を規制した「改正大気汚染防止法」から、国には付近住民にたいする公害予防の責任が生じるとした。行政は人が死んでから動き始めるといわれるが、アスベスト被害に関しては何千人も死んでもなお動かなかった責任は重い。
(つづく)

読書ノート ニコラ・ブルバキ著 「数学史」上下  ちくま学芸文庫

2011年09月10日 | 書評
ユウクリッド「原論」からブルバキ「数学原論」にいたる構造主義的アプローチ 第7回

数学基礎論

 ブルバキは論理の形式化、数学における真理の概念、対象、モデル・構造、集合論、集合論の逆理と基礎の危機、超数学と論を進める。ギリシャの論証法から、ルネッサンスから近世を経て、非ユークリッド幾何学、ヒルベルトの「幾何学基礎論」に到る流れのなかで、数学的真理が経験に即しつつ形式化されてゆく過程を示している。数学構造論としては一番集合論が似合う。ブルバキは論理の無矛盾性よりは、より構造的な決定(選択)のほうに重点が置かれている。ブルバキはユークリッドの数学の特質を次の3つに整理している。①論理学の形式化を導いたのはいつも数学であった。②ギリシャ公理論は経験的起源を持つ。③ギリシャ数学の数学的存在の特質を作図可能性であると云う。この見解に対して訳者の村田全氏はサボーの見解を引いて、エレア学派の哲学が上位に立つと反論しているが、ここにはその詳細は議論できない。ユウクリッドの原論以来、自然数(正の整数)という段階的な対象に関する理論が論理と一番なじむが、連続的数は対象として論理となじまないようである。ブルバキは連続を避けているように思われる。数学の真理性とは何だろう。記号論ー形式論理なのだろうか。そしてそれは純粋に思惟的自律的なものだろうか。ブルバキはその形式的理論なるものをあくまで現実的実在に対する1個の理論モデルと考え、その理論モデルを全体として理解し、統一的な数学の存在を認めているようだ。訳者の村田全氏はこれを「形式論的経験主義」と呼んでいる。数学の真理性が認識の原理の中にあるのか、それとも自然の中に存在するのか、これは永遠の問いである。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「九月江村」

2011年09月10日 | 漢詩・自由詩
西郊朝夕更凄涼     西郊朝夕 更に凄涼

北隴金波新稲香     北隴金波 新稲香し

空外秋聲風捲碧     空外秋聲 風碧を捲き

桜陰枯葉雨翻黄     桜陰枯葉 雨黄を翻す

 
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(韻:七陽 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)