福島第1原発事故はチェルノブイリ級、日本政府のいう事を信じてはいけない 第8回
2)事故の隠蔽と拡がる放射能被害 (1)
福島第1原発事故の情報は徹底的に隠蔽された。最初は東電が政府に情報を出し渋っているという印象であったが、重大な情報が加工され保安院や官邸(枝野官房長官)から出されたり隠されたり、とんでもない被曝事故が発生してからも「想定外の事故」、「原子炉は管理下にある」、「ベントで出る放射線は微量である」、「直ちに健康に影響が出るレベルではない」、「万全を尽くしている」という誰が聞いても嘘とわかる言葉を流し続けた。この事故は戦争の情報管理に似ているという人がいる。都合のいいことしか言わない。都合の悪いことは隠し続けるという大本営発表である。「壊滅的敗北」を「戦略的転進」というたぐいである。この人たちは「言霊信仰」を持ち続けているらしい。言葉の言い換えで事態が好転する事を願っているかのようである。その間に何万人の人が死んでも意に介さないらしい。「この人たち」とは為政者とメディア関係である。巨大な記者クラブは一切現場で取材していない。東電本社と霞が関以外の情報を自分で取材することはなかった。いわゆる「記者クラブ」という大政翼賛会倶楽部である。「いたずらに不安を煽る」とか「不正確な情報に惑わされないように」とかいう禁句集も用意した。これで福島原発のメルトダウンの時期や影響も「不安をあおる」という情報管理が行なわれ、国民と福島の住民には知らされなかった。「権力の不合理を知らずに、安心して死ね」ということである。一体何を隠したのだろうか。
①境界地モニタリングデータ(5月28日に公開した)を秘匿した。ベントの影響や放射能漏れを知られたくなかったようだ。
②事故当日の気候から北西に流れた放射性プルームの汚染計算結果を秘匿した。これによって20Km圏外の浪江町、葛尾村、南相馬市、飯館村、川俣町、伊達市、福島市の住民の多くが大量の被爆をしているはずである。福島市で病院のレントゲンフィルムが真っ白に感光していたといわれるほどの被爆である。どの程度の被爆かの予測は国のみが握っている。将来の裁判に備えて。
③原子炉の水位や温度,圧力データを秘匿した。計測器が故障したとしょうして公表していない。配管の損傷、圧力容器の破損、メルトダウンの原因と影響を原子炉の構造的欠陥として知られたくないのだろう。なんせ原子炉は安全設計といい続けてきたから、いまさら原子炉は地震に弱い構造でしたとは死んでも言えないのだろう。
(つづく)
2)事故の隠蔽と拡がる放射能被害 (1)
福島第1原発事故の情報は徹底的に隠蔽された。最初は東電が政府に情報を出し渋っているという印象であったが、重大な情報が加工され保安院や官邸(枝野官房長官)から出されたり隠されたり、とんでもない被曝事故が発生してからも「想定外の事故」、「原子炉は管理下にある」、「ベントで出る放射線は微量である」、「直ちに健康に影響が出るレベルではない」、「万全を尽くしている」という誰が聞いても嘘とわかる言葉を流し続けた。この事故は戦争の情報管理に似ているという人がいる。都合のいいことしか言わない。都合の悪いことは隠し続けるという大本営発表である。「壊滅的敗北」を「戦略的転進」というたぐいである。この人たちは「言霊信仰」を持ち続けているらしい。言葉の言い換えで事態が好転する事を願っているかのようである。その間に何万人の人が死んでも意に介さないらしい。「この人たち」とは為政者とメディア関係である。巨大な記者クラブは一切現場で取材していない。東電本社と霞が関以外の情報を自分で取材することはなかった。いわゆる「記者クラブ」という大政翼賛会倶楽部である。「いたずらに不安を煽る」とか「不正確な情報に惑わされないように」とかいう禁句集も用意した。これで福島原発のメルトダウンの時期や影響も「不安をあおる」という情報管理が行なわれ、国民と福島の住民には知らされなかった。「権力の不合理を知らずに、安心して死ね」ということである。一体何を隠したのだろうか。
①境界地モニタリングデータ(5月28日に公開した)を秘匿した。ベントの影響や放射能漏れを知られたくなかったようだ。
②事故当日の気候から北西に流れた放射性プルームの汚染計算結果を秘匿した。これによって20Km圏外の浪江町、葛尾村、南相馬市、飯館村、川俣町、伊達市、福島市の住民の多くが大量の被爆をしているはずである。福島市で病院のレントゲンフィルムが真っ白に感光していたといわれるほどの被爆である。どの程度の被爆かの予測は国のみが握っている。将来の裁判に備えて。
③原子炉の水位や温度,圧力データを秘匿した。計測器が故障したとしょうして公表していない。配管の損傷、圧力容器の破損、メルトダウンの原因と影響を原子炉の構造的欠陥として知られたくないのだろう。なんせ原子炉は安全設計といい続けてきたから、いまさら原子炉は地震に弱い構造でしたとは死んでも言えないのだろう。
(つづく)