フランス革命時の民主思想の憂鬱とは 第3回
その「トクヴィルの憂鬱」の講座の内容を富永氏はつぎのように解説している。「アレクシス・ド・トクヴィルは16歳のとき父の図書室で18世紀の啓蒙哲学の書物を読んで、それまでもっていた世界観が崩れるような衝撃を受け、「もっとも暗い憂鬱」を経験する。彼はこの憂鬱を生涯いだきつづけた。同じ憂鬱をとおして叔父である作家のシャトーブリアンに示す親近感は、トクヴィルを北米大陸へといざなうが、彼がこの地で発見したのは、叔父の描いた大自然のなかでの憂鬱に加えて、平等が進行する社会のただなかに生きる人間の憂鬱であった。『アメリカにおけるデモクラシー』のなかで「奇妙な」という形容詞を付されるこの憂鬱は、後に『自殺論』のデュルケームが『アノミー』と呼ぶ社会状態を先取りするものであった。アメリカから帰国後の七月王政から二月革命にかけてフランスもまた、人間が焦燥感に駆られ、しかし他方で進展のないまま停滞のつづく状態にあった。この停滞を前にして、トクヴィルの憂鬱はますます深まるばかりである…… こうした憂鬱に注目することで、18世紀から19世紀にかけての思想史における連続と切断、平等が支配する近代社会の特質、この社会に向けられる社会学的思考の生成など、知識社会学における多方面での主題の考察が可能になるはずである。」
(つづく)
その「トクヴィルの憂鬱」の講座の内容を富永氏はつぎのように解説している。「アレクシス・ド・トクヴィルは16歳のとき父の図書室で18世紀の啓蒙哲学の書物を読んで、それまでもっていた世界観が崩れるような衝撃を受け、「もっとも暗い憂鬱」を経験する。彼はこの憂鬱を生涯いだきつづけた。同じ憂鬱をとおして叔父である作家のシャトーブリアンに示す親近感は、トクヴィルを北米大陸へといざなうが、彼がこの地で発見したのは、叔父の描いた大自然のなかでの憂鬱に加えて、平等が進行する社会のただなかに生きる人間の憂鬱であった。『アメリカにおけるデモクラシー』のなかで「奇妙な」という形容詞を付されるこの憂鬱は、後に『自殺論』のデュルケームが『アノミー』と呼ぶ社会状態を先取りするものであった。アメリカから帰国後の七月王政から二月革命にかけてフランスもまた、人間が焦燥感に駆られ、しかし他方で進展のないまま停滞のつづく状態にあった。この停滞を前にして、トクヴィルの憂鬱はますます深まるばかりである…… こうした憂鬱に注目することで、18世紀から19世紀にかけての思想史における連続と切断、平等が支配する近代社会の特質、この社会に向けられる社会学的思考の生成など、知識社会学における多方面での主題の考察が可能になるはずである。」
(つづく)