ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月06日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る。 第1回



今の方がはるかに暮らしよくなっていることは確かであるが、子供たちに、火については昔の人は苦労したということを忘れてしまわないように本書を書いたと著者は言っている。文化とか分明とか、エネルギー資源とかいう小難しい言葉は極力使わないようにして、火について考えてみるきっかけになることを念願している。しかし今のままでは(昭和18年頃)、長くはいられないという思いが本書を書かせたようである。この書物ができたのは何と昭和18年のことで、太平洋戦争の敗色が明らかになり、東京では敵機の襲来に備えて灯火管制が次第に厳しくなる頃でした。町の灯は消え、燃料は乏しく、輸入が途絶えて石油や鉄は枯渇した時期です。食べるものもなくなり世の中が暗くなって、鬼畜米英というような狂信的な歴史の逆戻りが行われた時代でした。こういう時期こそ子供たちに火の問題を考える機会をつくることが大切と感じられたようでした。柳田氏は一生を通じて最も政治の問題から離れた立場に身を置いて、離れているからこそ、無力ではあるが自由にものを考えることができた人でした。執筆された時期から20年近くなって(昭和38年、1963年柳田氏の死の翌年)本書の改版がなされた。あの戦争末期の不自由さはウソのように日本は高度経済成長期になっていました。「火の昔」という題のもとで、柳田氏は、電気、ガスを全く知らなかった時代の我々の祖先が、どのような火をどのように使ってきたのか、その移り替わりを述べています。火の管理と発火法について縄文時代から説き起こし、いつでも安定して火を作り、安全に便利に管理する方法の変遷を述べています。燃料としての火の使い方、作法、家族の中心としての囲炉裏といった文化・社会学にまで論が及んでいます。多くの実例を丹念に集めて、これによって日本人の火を中心とした生活の歴史にアプローチしています。一つの時代において、古いものと新しい者が場所や機会を違えて同時に存在する様を示します。文化の中心から離れた村には都会ではとっくに忘れた風習が残っているものです。又年中行事や祭りには古くからの行事が繰り返して行われています。こういう古い習慣を集めて、今までの人々の生活、考え方の変遷を探るのが民俗学なのです。日本は明治大正の文化・技術移入や産業の革新によって、世界のトップに近づくところまで来ましたが、昭和の恐慌と農村の疲弊によって日本の古い構造(天皇制軍国主義)が一気に噴き出しました。明治大正の進歩主義から昭和初期の太古への復古主義といった歴史の逆戻りにより民衆の生活は昔に戻った感があります。この異様な歴史の揺り戻し現象によって、光・熱・装置の問題がいやおうなしにクローズアップしました。「油断」という堺屋太一著の本が生まれた1970年代の石油ショック時を考えるべきです。このショックによって低燃費車の開発、省エネルギー機器の開発、公害防止技術の開発が進み、日本の産業技術は世界のトップレベルになりました。そのためには人の考え方が自由でなければなりません。狂信的復古主義は国を誤った方向へ陥れます。神風は決して吹きません。火の問題は地球上の生物の中で人間だけに与えられた(プロメテウスの火)課題です。3・17東電原発事故の教訓は子孫・世界に伝えなければなりません。そういった意味で本書は読む価値があります。懐かしいノスタルジーという文脈だけで読むと価値の少ないものになります。本書は平成25年(2013年)に新版が出ました。

(つづく)


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