ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 「梅棹忠夫著 「文明の生態史観」」 中公クラシックス

2008年12月31日 | 書評
京都学派文化人を代表する文化人類学者 第8回

東南アジアの旅からー文明の生態史観つづき

1958年8月「中央公論」に発表。1957年11月大阪市立大学の東南アジア学術調査隊に出かけた著者のタイ、カンボジア、ベトナム、ラオスの旅行記である。5ヶ月間で4カ国をジープで回ったそうだが、兼高かおるの旅行記や世界中を回るビジネスマンに較べて、このような学術調査にどのような意味があるのだろうか。冒頭に述べられていることは「文明の生態史観」の繰り返しになるので省く。世界を第1地域と第2地域に分けて、東南アジアは第2地域に属して中国とインドの中間の周辺地域にある。高度資本主義国は一つも無い。中国は漢民族であるが、東南アジアは小国の集合で優勢な民族というものは存在しない。言語、文字、宗教もモザイク模様である。民族は激しい移動をして国家の交代も頻繁であった。気候は湿潤地帯、亜熱帯地帯である。原始森林に覆われている。東南アジアと東ヨーロッパは気候はまったく違うが、小国の集団で三つの世界に囲まれた中間地帯という点はにている。第1次世界大戦後に東ヨーロッパ諸国が出来たが、東南アジアは第二次世界大戦後にフランス、イギリス、オランダ、日本から独立した。著者は東南アジアに同質感をもつという。

アラブ民族の命運
1958年8月「週刊朝日」に中東動乱の危機に応じて書いた短文である。アラブ人は東洋とは言わない。それは地中海・詩スラム世界である。イランはアラブ人ではない。アラブ語を話すアラブ民族とはイランより西へ地中海の北アフリカまでのイスラム圏の民族である。著者はアラブ民族の共産化を心配しているところがユニークであるが、特筆するところはない。




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