ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 柳田国男著 「火の昔」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月12日 | 書評
火と照明、煮炊き、暖房の生活を振り返る。忘れてしまった昔が甦る 第7回

16) 火を大切にする人: 日本で最初に火の燃料となった木は何だろうということの結論は出ていないと前書きして、柳田氏の推論が行われた。沖縄ではオマツは火と同じ言葉だった。檜は火を作るときの摩擦用の木であり、まつは作られた火を維持する燃料であったと考えられます。鹿児島で台所で働く女をオマツと呼びました。おマツは少なくとも火の管理者であったろうと見てよい。大古には火を作るのは男、火を管理するのは女の役と考えられたようですが、火打石が常備されるようになって女性が火のすべてを管理することになりました。また向こう三軒両隣という言葉が近所を表したように、近所で火を融通し合う関係を「火貰い」、「火取隣」と呼びました。

17) 火を作る法: 世界の発火法の最も原始的なものとしては、まず木をこすって火を作るには三種の法があります。①火鋸、②ポンプ型、③火錐型です。日本では③の火錐型のみです。一人で手のひらを合わせて木の棒を廻し、木の板に穴をあける様に回すと摩擦熱で熱くなってくすぶり始めたら薄い木くず、藁などを被せて火をつける方法で、出雲神社の祭りでは今でもこの方法で発火させています。操作と労力が簡単な火打石の利用法が知られると一気に普及しました。古事記によると。日本武尊が姉からもらった火打石で窮地を脱出することが出来ました。鉄で石を打つと火花が出る現象を利用しました。そしてこの火は清い火とされ、邪悪を退ける意味で、銭形平次の出かける時、沙羅場に出るやくざの出入りの時、出征兵士の見送りに、頭の上で火を放ちました。

18) ほくちおよびたきつけ: 火打石で発生した火花に火をつける方法として、木をこすってできる子の粉が非常に燃えやすいことに着目し、これを集めて「ホクチ(火口)」としました。ホクチの材料には、山桜のような木の枯れてボロボロになったもの、桐を消し炭に焼いて粉にしたもの、豊北地方では猿の腰掛類のキノコを乾燥してくだいたもの、奉書という紙をほぐした繊維くずなどがあります。商品としてのホクチには薄の刈れ穂、かがみの綿、ガマの乾燥したもの、木炭の粉などです。関東地方ではかまどの焚きつけを、「フッタケル」と言います。それには火吹き竹の筒で空気を吹き送ります。吹いて焚きつけるという方法です。小さな炎が出来たら、焚きつけには油マツやカンナ屑、竹屑など付け木が必要です。

(つづく)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿