ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 「宇治拾遺物語・十訓抄」 小林保治ら[校訂・訳]  小学館

2008年06月30日 | 書評
日本の中世に生きた人間の多様な人生模様 人生色々・男も色々・女も色々 第9回

宇治拾遺物語

雀の報恩の事

 童話「舌切り雀」に似た話。庭に居た雀に子供らが石を投げて怪我をして動けない雀を烏が狙っていたので、老女は雀を隠して手厚く看護した。暫くして元気になった雀を空に返したところ、20日ほどたって表で雀が騒ぐので老女が見ると、雀は一粒の瓢の種を落としていった。庭に植えるとよく育ってたくさんの実がなったので皆で食べ、瓢箪を作って干しておいたところその中から米がいくらでも出てきた。こうして老女の家は大変な福者になった。これを聞いた隣の根性の悪い婆さんが、三羽の雀にわざと石をぶつけて怪我をさせ介抱して薬と食事を与え元気なってから空に戻した。すると雀は三粒の種を置いて帰った。これを隣の婆さんが庭に撒いて実った瓢を食べたところ皆が下痢嘔吐をした。さらに瓢箪を作った中からは、虻、蜂、蛇などが出てきて婆さんの家族を刺し殺したと云う話。童話にしては残酷な話である。人を妬んでまねをしてもよこしまな気持ちでは災いを招くということか。

小野篁の妙答の事

 嵯峨天皇の時(809-823)内裏に「無悪善」と書いた札を立てたものがいた。天皇は学者として名高い小野篁の仕業と睨んで、彼にこれを読めといわれた。小野篁は最初は拒んだが命令なので「さが(悪)なくて(無)よからん(善)」と読み下し、嵯峨天皇を呪う言葉だと答えた。そこで嵯峨天皇はネの仮名を12個連ねてさあ読めといわれたが、篁は慌てず「猫の子の子猫 獅子の子の子獅子」と呼んで天皇をぎゃふんと言わせた。中国文化の輸入に反対した篁と遣唐使を派遣しようとする嵯峨天皇との軋轢は小野篁の隠岐への流罪となった。そのようないきさつを踏まえてこの説話をよむと二人の緊張関係が伝わってくる。なお後日菅原道真の具申で遣唐使は中止され、以降宮廷貴族による日本文化の成熟期に入った。
このような政治や文化の深淵にかかわる最高レベルの人々の言動を宇治拾遺物語は面白い話として取り扱っている。敗者復活の希望もあるのだろうか。


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