ブログ 「ごまめの歯軋り」

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千葉 聡 著 「歌うカタツムリー進化とらせんの物語」 岩波科学ライブラリー

2019年04月03日 | 書評
筑西市母子島遊水地の筑波山

カタツムリの生態学と進化論の論争の歴史 第2回

 ここで「進化論」や「生態学」に対する長年抱いてきた私の不満を述べさせていただきます。進化論や生態学は一つのドグマであり、推論の極致です。ダーウインの洞察力には参ったと言わざるを得ないですが、矛盾しない確実な証拠の積み重ねがありません。数学や物理の定理のような積み重ねがあってだれでもその上に立って次に進めるような基盤を作れません。一つのことを主張すれば直ちに数倍の反論や反証が出て来ます。そして本書でも明らかなように、何回も形を変えた同じ議論が繰り返されます。物理では仮説が出て反証が出ればそれで終わりです。仮説も新たな段階で乗り越えられます。新陳代謝の激しい学問なのです。そういう意味で進化論は確たる証拠の上に立つ議論ではないか、証拠とする事実に反する事実がいくらでもあるような、あやふやな科学の基盤に立っています。だから進化論は科学の進歩によって抹殺されることもなく、百年以上も変わらずに信奉されているのです。これは理系科学ではなく社会科学なのです。進化論や生態学はいつまでやっても結論が出ない牧歌的なロマンチックな分野で、まともな理科系研究者がやるべき仕事ではないようです。古生物学年代は同位元素年代測定で確定されます。形質関連遺伝子構造は遺伝子解析技術で確定できます。系統樹解析で親子関係や親戚関係、分化の順序もきちっと出ます。正しい結果なら誰がやっても同じ結果です。こういった学問分野の累積の上で進化論は遺伝学から理解すべきでしょう。ランダムな遺伝子変異が環境という境界値問題でどういう制約がかかるかという数値モデルのシュミレーションについては、スチュアート・カウフマン著 米沢富貴子訳 「自己組織化と進化の論理ー複雑系の法則」(ちくま学芸文庫 2008年)という本があります。本書は「複雑系の法則」を生物進化に応用した画期的な本といえる。ダーウインの始めた進化論はいまや袋小路に入っている。怪しげな社会的ダーウイニズムは優生学となってユダヤ人排撃に利用されたし、いまでも「勝ち組」の新自由主義的市場経済学で脈々と生きている。もちろんこれはダーウインの知るところではない。そもそもダーウインの時代には遺伝子という概念はなかったので、何が変異しているのか分らなかった。今や変異している実体は遺伝子である事は確実である。しかし遺伝子の変異が病気の原因であると云うマイナスイメージはあっても、優秀な個体を生む要因であると云うことを遺伝的に実証することは、優秀という定義が不能であるため不可能である。我々は様々な要素が驚くほど複雑に絡み合った生物学的複雑系の世界で生きている。とはいえダーウインがいうような突然変異の積み重ねでは、あまりに出発点がお粗末なもので、今のような人類に到達するには気が遠くなるような時間を要しても可能という実感をもてない。ダーウインのいう「種の分岐」という概念では不完全である。もっとダイナミックな「自己組織化」という基本原理によって秩序が自己発生的に生まれたと著者はいうのである。過去3世紀にわたって科学を支配してきた基本的思想は「還元主義」であり、複雑なシステムはより単純なシステムへ、要素へ分解できるという信念で進められ驚くような科学・技術の発展をもたらした。この論理には部分の情報をどのように組み合わせれば全体の理論が生まれるのかという問いには解がない。複雑系の理論は、分子のスープから生命が生まれ、今日のような生物圏へ進化してきたかを辿る。分子の共同作業により細胞が出来、生物間での物質のやり取りのために生態系が作られた。この過程を支配する法則が複雑系の法則であると云う。

(完)


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