ブログ 「ごまめの歯軋り」

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小林秀雄全集第一巻「様々なる意匠」より 「アシルと亀の子」

2006年10月08日 | 書評
               アシルと亀の子 Ⅰ~Ⅴ

「アシルと亀の子」とは「アキレスと亀」のことで逆説の典型である。もっともらしい屁理屈に見えてトリックが隠されている説である。あまりいい意味ではない。総合雑誌文藝春秋に文藝時評を書くことになった小林に対して、堀辰雄氏は「小林は日本の現代小説なんて一つも読んでいないからどうかくのだろうか」と心配した最初の文藝時評である。今までの時評調を一新した小林らしい清新な評論と評されたが、しかし読んだ人の大半には高飛車的で難解でどこまで分かったのだろうかと案じられた時評であったそうだ。アシルと亀の子Ⅰでは中河与一氏の「形式主義芸術論」と大宅壮一氏の「文芸的戦術論」の無内容・形式主義を非難し、アシルと亀の子Ⅱでは三木清氏の「振興美学に対する懐疑」について批評の社会性に難癖をつけ、アシルと亀の子Ⅲでは滝井孝作の文章を「名文に難解は付き物だ」といい、牧野信一氏の文章を理知的にいい文章だと珍しく誉めている。アシルと亀の子Ⅳでは自分の文章の晦渋性を弁解して「評論家のほうが小説家の百倍大変だ」と居直っている。アシルと亀の子Ⅴでは広津和郎氏の「文士の生活を嗤う」を引いて文士の甘さ加減を嘲笑して日本文壇の徹底なさを嘆いている。というようにアシルと亀の子はどうと言うテーマがなくて、小林秀雄の嘲笑罵倒の限りを尽くすやくざな態度が見え隠れして私には好感が持てない。これが若い作者を恫喝し煙に捲く小林氏一流の教祖的態度なのだが、誰も一矢を報いようしない文壇とは変な社会だ。


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