ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

鬼頭 宏 「人口から読む日本の歴史」 (講談社文庫)

2006年10月08日 | 書評
          成長の限界と日本の少子化問題
少子高齢化問題への正しい対処法・・・若者いじめ、年金問題の歪曲は許せない

 大国のGNPが大きいのは規模の問題であって、人口密度で相関を求めると優位な関係は無い。したがって人口が多ければ繁栄するというのは虚構である。GNPの大きい国では出生率、死亡率はともに低く、発展途上国では出生率が高く人口増加率も高いということである。発展途上国の人口増加率は人口転換の過渡現象でいずれ都市化による文明の恩恵(被害?)を受けて先進国なみに人口減退の波に入るはずだ。経済の人口維持力より人口爆発が大きければ経済発展の足を引っ張ることになる。つまり人口は経済発展のブレーキとなる側面がある。人口が多ければ総需要が増えるというのはあまりに浅はかな見方である。企業ではリストラと称して利益を維持したまま人口を減少させる動きが必死である。これは当面の利益を上げて分け前を増やそうとするする経営者の欲求から来ている。地球環境問題では成長の限界を前提として、あらたなソフトランディングを模索している。1999年の世界人口は60億人、2050年には89億人と予測している。21世紀末にはせ界人口も日本人口も停滞を余儀なくされる。

マルサスの人口論とは人口維持力は短期的に見て一定とした場合、一定の環境条件での生物個体数の変化を見るのと同じようにシグモイド曲線(ロジスチック曲線)として推移し平衡(飽和)を経て衰退に向かうという見方である。しかし平衡関係の緊張が長引くと人口圧力が高まりより高度な文明装置(経済社会システム)が開発されるといういわば自由主義経済の「神の手」に近い救いの手が出される。これをボズラップの理論というが、これにより人口は再び増加傾向に転じて、長期的(数百年のオーダでみると)には複数のシグモイド曲線が階段状に上ってゆく様子が予測される。未来永劫にエンドレスに停滞を伴った人口増加が繰り返されるかというとその見方も甘い。地球という有限の空間と有限の資源の枠がはまっている。これが今日の地球環境問題である。

そこで少子化の功罪を見てみよう。全体として経済的社会的なマイナス面のみが宣伝されている。たしかに少子化高齢化は購買力の減退、労働人口を減少させ、従属扶養人口を増加させるため社会負担を重くするなどマイナス面は多い。少子化を否定して何とか出生率を引き上げるべきだという論者がいるが、人口減少という大きな波動を小手先の出産補助金という官僚発想で何とかなると思っているのだろうか。笑止千万である。たしかに少子高齢化は我々にとって初めての経験であるが、じたばたするような問題ではない。まして人口停滞を豊かな時代の成熟しない若者の身勝手などと非難するほうが間違っている。歴史的に見れば今まで何度も人口停滞を経験している。人口停滞は文明システムの成熟化に必ず現れる現象だといえる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿