ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 堀田善衛著 「時間」(岩波現代文庫 2015年11月)

2016年04月01日 | 書評
「殺、掠、姦」の南京虐殺事件の中、中国人知識人の立場になって人間存在の本質に迫る戦後文学 第3回 最終回

2) 「時間」に見る堀田善衛の思想の断片

上に書いた「時間」のあらすじが骨だとすれば、主人公陳英諦や他の人に言わせている言葉の中に、作者堀田善衛の思想が肉のようにまとわりついている。決してまとまった思想として語られてはいないが、おそらく堀田氏は登場人物を通じて言いたかったことはこのようなものだろうと思われることを、本の中の順に沿って箇条書きで書いて行く。重複があれば省略するが、言葉を変えていっていることも拾ってゆこう。
* 史前であり、史後であるこの過酷な自然の美を、我々(中国人)は城壁によって拒否し、城壁によって温かい血と柔らかい肉を持つ人間を守り、精神を守ってゆくのだ。これは中国人および西洋人の自然は征服する対象だとする文明観である。自然と一体化する日本の思想とは根本的に違う。彼らは城壁の意義を解さない。日本軍はいつかこの自然によって疎外され、中国から追い出されるであろう。日本が支配したと称する中国は誰もいない点と線だけだった。
* 我々中国の内部が、危機が迫って以来、実に様々な異物によって侵入されかき乱されている。
* 役所というものは、そして権力というものは、なんと抽象的なものだろう。政府も海軍部も漢口から重慶へ移動した。しかし敵はこの抽象的な機能をこそめがけて、これを征服しようと進撃してきたのである。敵の背後にあって、これを戦わしめるある抽象的な、幾百万人の生命をもものともしないエネルギー・・・
* 私の過去は明るくはない。裏切りの陰翳に満ちている。これと闘かわねばならない。つまりかっと眼を開いて見なければならない。精神の世界は事実の世界よりももっと血なまぐさいどろどろした領域のように思われる。
* いろいろな噂、デマ、憶測、流言は嘘であり、また一切が真実であると思う。何故なら籠城者は情報を遮断され、すでに期待のみで生きているのだから。最悪のものがやって来るという期待が、一切のものに現実性を付与しているのだ。希望は後方へ退去した。
* 支配者の交替(国民政府から日本軍への)は精神の気圧の激変を伴うものだ。異常事が生活の手段と化した時、人は裏切る。
* 命令を下すことになれてしまった人間は、おそらく判断力を失う。組織の頂点にはどんな化け物がいるのだろうか。特権の座に何の疑いもなく座り込み、そこから何千もの命令を下し、危険が迫ればさっと引き揚げる。それが権力である。首都脱出に際しても身分秩序を守ろうとする。
* 南京は中国の首都である。国民政府の所在地である。だから大都会であり、繁栄を極めたと都会であると敵は考えるのではないだろうか。実は南京の実態は、確かに歴史は古いが17万人からスタートした今では人口50万人の地方都市である。産業と言ったら緞子製造くらいしかない。田畑の方が多いのだ。日本軍はおそらく失望するであろう。そして首都を落としても戦争は止まないことを知って二重に失望するだろう。
* 悪夢に包囲された首都南京にも、世界共通の時間が存在する。しかし今はそれを気にしないことが一つの力になりうる。
* 非常に多くの人々と同じく、私も日本軍の占領くぉすでに予期し、その隷下で生きるための心の工夫をしている。奴隷の境遇にあって、いかに奴隷ならざる精神を立てて生きるか。私は愛国心を本能的に信用しない。それはほとんど悪である。その悪を利用するのが用兵学である。これがあるからこそ人間は国際紛争を戦争によって解決しようとするのだ。そして軍人と売春婦は、最古の職業の一つである。
* 現在のこの異常な状況を、極限的な、例外的な状況とみることは許されないのだ。むしろこの異常さこそが我々の時代の日常性というものかもしれない。
* 自然や動物は元に戻ることができるが、人間だけは不可逆なのだ。元の純白に戻ることはあり得ない。取り返しのつかないことをしでかすのは人間だけである。
* 今我々は、死を通して生を見ている。こういう状況に陥って初めて、美を、非常な美を認識する。戦争の圏内では、、実に様々なものがその蔽いを剥ぎ取られて生な実体を露出するのである。この絶望的な律法に従うときに美が見えてくる。この滅亡という美しくかつ絶望的な光に照らされた幸福な状態は、反面我々が陥っている病的な状態の証明でもあるのだ。
* これから死ぬのは何万人ではない。一人一人が死んだのだ。一人一人の死が何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異がある。
* 1937年12月13日の午後だった。城の内外とともに集団的戦闘が終止したのは。それから約3週間にわたる、殺、掠、姦・・・・・あの銃声は、場外で捕まった同胞4万人を機銃で殺した音であった。
* いまの生き方は戦争の語法、小説の技法で語ってはならぬ。鼎(3本足の入れ物)の語法で語れ。
* 日本兵の粗暴な所以は、彼らが兵としての正統な名誉心や勇気を正当に評価されず、四六時中組織的に侮辱されていることからくるように思われる。将校がもつ巧緻な兵卒侮辱術は軍事技術の中で最も基本的なものであった。
* 自然は敵にも味方にも、要するに人間に対して何の約束もいていない。人間はある約束、例えば敵とか味方とか・・・に基づいて人間を殺伐劫掠する。
* 私はあの熊にも似た黒い鼎のようにありたい。内面的には鼎に油の沸くが如きものでありたい。すべて汝の手に堪ゆることは力を尽くしてこれを為せ、其は汝の往かんととする陰府には工作も計謀も知識も智恵もあることなければなり。
* 私ー被征服者、被占領地や植民地、または被抑圧階級の人々は、どうやらほっておくと、必然的に分裂的性格を持たざるを得ないようだ。深夜地下室に降りて無電機のまえにたった一人座るとき、その時だけ私は「わたし」である。技術者として熟練工としての自分を認識する。
* 性と死と生は、なんと接近していることか。死を思うとき私は、いまはいない莫愁を激しく求める。
* 青年の堕落・腐敗を鞭打つ声が上がり始めたら、若者よ、大人たちは戦争の準備を始めているのだと思って間違いはない。
* 他国の軍事支配と暗い政治気候の下に生きることが、いかに自然と人を分裂させ堕落させるかということ。すべては人間の問題なのだから、そして人間の問題を純粋に考えるためにこそ、他国の軍事支配と暗い政治気候は打破しなければならない。
* 情熱はかくも受動的なものなのだ。情熱と相対立することの確実な、自由な思想の保持者でなければならない。情熱や愛憎や、本能的な愛国心などという不正確なものでは、長く長く敵と戦うことはできない。私は家族をすべて殺された孤独者なのだ。その孤独の底を割ろうとする自分自身の意識に対する変革者にならなければならない。皆がそうなのだから、その方が正しく思われるからといった受け身のあり方は、機械計算機の様だ。自ら必然性を創造できぬ自由は、自由ではないだろう。
* ある人、ある国の歴史が、その全面的滅亡の前に全くあたらしい価値を生まなかったなら、滅亡に何の意味があろうか。我中国の歴史は、特に近代の歴史はめつぼうのれきしである。その時々に新しい価値が生まれた。
* 中国人は南京虐殺を決して忘れないだろう。日本人が広島・長崎の被爆体験を忘れないように。
* 星、月、大気、季節、生、死。秩序はそこにある。朝目覚めるとは、もう一度この秩序を信じることである。極限で人を行動に衝きやる意欲の源泉に、幻視・幻聴的な錯乱が忍び入ったものとすれば、これは強く警戒しなければならない。
* 音のない世界と沈黙とは違う。沈黙とは一つの言葉なのだ。それは何かを意味する。黙ることは語る事なのだ。唖者は黙っているのではない。
* 事実を認めろと平和主義者は迫る。敵の戦力に頼った発言である。私も事実を認めるにはやぶさかでhない。しかし既成事実を一層固めるではなく、その事実を変えようとする意志することである。恐怖戦慄意識が市内に蔓延している。
* 思想は、意志と技術、製作力が思想自体を遥かに超えていない限り、実現されない。貧弱な思想では口実を探すためにしか歴史を学ばない。後ろ向きの姿勢で歴史を予言するだけだ。
* この南京城はひとつの堂宇である。6億の民のただ中を流れ、存在している。我らの受難をして、復讐と建設の音楽たらしめよ。
* 人間認識と社会認識の間には画然たる裂け目がある。前者は何らの信仰、神の方向へ向き、後者は組織の方向へ向く。統一された主体者たりたいと願う渇望を別とすれば、それが普通のことであり、人間の条件なのだ。
* 我々はあまりに死の近くに来て生きているので、働くこと、労働を離れるや否や、すぐに人間観が歪んでくる。私が日記に記しているのは、人間が極悪な経験にどのくらい耐えられるか、人間はどんなものかということを、痛苦のさらぬ内に確認しておきたいがためである。毎日毎分私は黒いニヒリズムと無限定な希望との間を往復している。希望はニヒリズムと同じほど、担うに重い荷物である。我々は死ぬまでこの荷物を担ってゆく義務がある。労働の日々があるだけだと信頼できなかったら、自殺する以外に方法はない。
* ある種の政府官僚というものは、どんな職業の人よりも驚くほどに無政府主義的なものである。国民政府は遠からず汚職と内部抗争のために分裂解体するだろう。
* 日本では愛国的であるという理由で、すべての腐敗(中国でのアヘン取り扱い)が許される。それは現人神(天皇)への奉仕が道徳問題のけじめを排除するらしい。天皇が道徳を崩壊させたのである。(政府権力者と軍部は天皇という便利なものを独占した)
* 日本軍による南京虐殺事件を、人間の、あるいは戦争による残虐性一般のなかに解消されてはたまったものではない。
* 楊(従妹)はレイプされ妊娠させられ、麻薬ずけになった恐ろしい経験を、無関心と言っていいほどの静けさで語る。何度も自殺しようとしたけど、体力がなくて自殺もできないの。生きるってことは、濡らす事、死ぬってことは乾くってこと、信じて。
* 自分自身と闘うことの中からしア?、敵との戦いの厳しい必然性は見いだされない。これが抵抗の原理原則である。南京で数万のの人間を虐殺した日本軍には、彼ら自身との戦いとその意志を悉く放棄した人間たちであった。軍隊の指揮者の多くは、責任を負いたがらない、無政府主義的な官僚である。
* 人生は、この時間は、生から死へ向かうだけのものではなくて、死の方からもひたひたとやって来ている。そして現在という瞬間は、いつも二つの時間が潮騒のように波立ち、鼎の油のように沸きたっているという。
* 田舎へ帰ることは、いいことだ。中国ではいかなる思想も、それが田舎においても妥当であるかどうか、農耕労働と符合するものであるかどうかで試験され、かちを決定される。都会は自立できない、思想もそうだ。

〈完)



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