アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「琉球・沖縄史を県民の共有財産に」-新城講演に共感

2013年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_3Photo_4 「沖縄はどのようにして日本になったのか」、と題した新城俊昭さん(沖縄歴史教育研究会・沖縄大客員教授)の講演会が25日、西原町図書館でありました(ニシバル歴史の会主催)。「琉球処分」(1879)前後の近世史を中心に、初めて聞くことも多く、大変興味深い話でした。要点をいくつか紹介します。
 ☆1871年、明治政府は中国を宗主国としていた琉球を日本に併合するため、本土で廃藩置県を行いながら、琉球はいったん日本の藩にした後で解体するという巧妙な手段をとった。
 ☆1875年、松田道之を処分官として派遣し「廃琉置県」を通告。「明治元号」の使用とともに鎮台分営(軍事施設)の設置を提示するが琉球は拒否(今の与那国島を想起させます)。
 ☆1880年、琉球の帰属をめぐる中国(清)との交渉の中で日本は宮古・八重山の割譲を提案。その目的は日清修好条規の有利な改正。それが日米修好条約など不平等条約改正のはずみにもなると考えた(分島・増約案)。中国がロシアとの国境問題を抱えていた足元を見たもの。この日本案を中国ものみ、10日後には調印という段階まで至ったが、幸地朝常らの中国への請願、林世功の自決による抗議で食い止めた。
 ☆1881年、中国との再交渉で日本は再び「宮古・八重山に王国復活」を提案。元国王・尚泰を中国に引き渡してもいいとさえ表明。中国は宮古・八重山に首里を加えることを要求。琉球はあくまでも日本からの「全面返還」を要求し、決裂。その真意は宮古・八重山に都落ちするより「琉球処分」を受け入れ士族の身分と生活の保障を手にした方が得策との打算あり。
 一貫しているのは、日本が琉球(沖縄)を「国益」のための手段としか見ていなかったこと。「捨て石」です。そして琉球の「抵抗」の裏にも、庶民の生活を顧みない士族の保身がありました。新城さんは琉球側の根本問題は、当時の指導者らに日本からの全面返還(独立)後の「琉球の将来像を描く具体的なビジョンが欠けていたこと」だと指摘。翻って今日の基地返還運動はどうかと問題提起しました。新城さんは今日「琉球独立」論が注目されていることには必然性があるとしながら、自身は「独立」ではなく、日本の中での「自立」を目指したいと、そのイメージ(写真右)を示しました。たいへん共感できました。
 永年高校教師を勤めた新城さんは、アンケート調査などで沖縄の高校生が琉球・沖縄の歴史を知らない実態を示し、重大な問題だと指摘しました。新城さんらは今年3月、県議会に高校で沖縄史教育を必修化するよう陳情しました。全会一致で採択されましたが、その後なんの措置もとられていません。「高校生は沖縄の歴史を学びたがっている。しかし教えられていない。このギャップを埋めるのは大人の役割です。琉球・沖縄の歴史を県民の共有財産にしたい」と力を込めました。
 明治政府が琉球を日本に同化させ統治するために、最大課題としたのが「教育現場から琉球・沖縄の歴史を削除することだった」と新城さん。自国の歴史を学ぶこと、その改ざんを許さないことが国民・民族にとっていかに重要なことか、改めて胸に迫ってきました。

 <今日の注目記事>(26日付沖縄タイムス1面)※琉球新報も2面

 ☆<集団的自衛権 反対47% 共同通信世論調査>
 「共同通信が24、25両日に実施した全国電話世論調査によると、憲法解釈で行使が禁じられている集団的自衛権については『行使できないままでよい』が47・4%で最多。憲法を改正して行使を容認すべきだとする回答が24・1%で、憲法解釈の変更で行使を容認すべきだとの回答は20・0%だった。行使容認に向け憲法解釈の見直しを進める安倍政権の方針にも50・0%が反対し、賛成は39・4%だった」
 ※久しぶりに気分が軽くなるニュースです。でも世論(世論調査)はうつろいやすいもの。学習と議論を広げなければ、安倍改憲内閣には対抗できません。


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