アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「沖縄学の父」伊波普猷へのまなざし

2013年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Iha 「日琉同祖論研究の現状-入門編-」という大変興味深い講座(県立博物館、久場政彦学芸員)が16日ありました。この日はほかにも行きたい企画がいろいろあったのですが、これを選びました。期待通りの講座でした。
 「日琉同祖論とは日本人と沖縄人の民族的な起源が同じであり、これを学術的に立証することでその正当性を主張する理論のこと」と定義され、「沖縄学の父」といわれる伊波普猷(いはふゆう、1876~1947)の思想を中心にたどるものでした。伊波普猷については名前は知っていましたがまとまって学ぶのは初めてでした。1回の講座ではとても理解できるものではありませんが、文字通り「入門」者として、どこに刺激を受けたのかを書き留めておきます。
 ◎伊波の思想の基本=かつて琉球王国は独自のすぐれた文化を持っていたが(古琉球)、薩摩の侵攻(1609)によって奴隷状態におかれた(近世琉球)。それが明治政府の廃琉置県=琉球処分によって解放され近代化の道を歩むことができた(近代琉球)。つまり伊波は帝国日本への同化を積極的に提唱・推進した人物だった。
 ◎その一方、伊波はキリスト教を沖縄に普及した人物で、沖縄人には神の意思による「個性」があると、キリスト教にもとづく異化論を主張した。
 ◎伊波の最期の言葉=「地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を活かして、世界の文化に貢献することが出来る」。
 帝国日本への同化論と異化論の同居。帝国主義への同調と反帝国主義。伊波の思想の歩み(転向?)は実に複雑です。でも、その底流には、沖縄(沖縄の人々)への愛が一貫して流れていたような気がします。
 講座は開会まえから用意されていた資料がなくなり立ち見が出るほど、主催者も驚く超満員でした。伊波普猷、日琉同祖論が今も多くの沖縄の人々の関心の的であることが表れていました。私もこれからさらに勉強していきたいと思います。

<今日の注目記事>「沖縄タイムス」(18日付1面トップ)から(琉球新報にも同様記事)

 「高江の移植植物6割枯死 絶滅危惧種含む11株中7株 ヘリパッド建設で防衛局」
 「米軍北部訓練場に垂直離着陸輸送機オスプレイが使う離着陸帯(ヘリパッド)を造るため、沖縄防衛局が東村高江の建設予定地に生えている希少植物を別の場所に植え替えて保全しようとしたが、6割以上が枯れるなど事実上失敗していたことが17日、分かった。訓練場がある北部地域は、国の天然記念物ヤンバルクイナが住む森林地帯で、枯れた中にはモクセイ科の絶滅危惧種も含まれる。離着陸帯建設が自然を損なう結果となったことで、オスプレイ配備への反発が一層高まりそうだ」


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「戦跡めぐりガイド」の不安と決意

2013年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Gaido 以前からぜひ参加したいと思っていたのが「ガイドと歩く那覇まちま~い(街めぐり)」(那覇市観光協会主催)です。那覇市内の名所・旧跡をガイドさんとともに歩く(90分~120分)もので、2年前にスタート。コース数は36もあり、1人でも催行、申し込みは前日でOK、料金は1000円からという手ごろさです。旅行者はもちろん沖縄在住者の参加も多いといいます。ホテルやモノレールの駅などにパンフレットが置かれています。
 私が参加したかったのは今年1月末からスタートした新コース「命どぅ宝~首里の戦跡をたどる~」です。約60人のガイドさんから公募した企画案の中でグランプリを獲得した新企画です。ガイドをしてくださったのは企画提案者本人の石川さん。米軍が最初に上陸した慶良間諸島が見渡せる展望台(西のアザナ)から始まり、307名の生徒・職員が犠牲になった旧沖縄県立第一中学校の「一中健児の塔」まで、首里城周辺の7つの戦跡をめぐり、戦中・戦後直後の写真とも比較しながら、沖縄戦の傷跡をたどります。
 特に注目したのは「第32軍司令部壕説明版」です。昨年3月県当局が専門家委員会に無断で「慰安婦」「住民虐殺」を削除したことは以前この日記にも書きましたが、ガイドさんはそのことに触れるのだろうか。私の関心はそこにありました。石川さんは説明版の前で、体験者の告白が掲載された新聞記事を示しながら、それらが「消されていた」こと、「実相を伝えたいという体験者の思いは強く、いまも議論がある」ことをはっきり説明してくれました(写真)。
 私はうれしくて、終了後石川さんに尋ねました。「説明内容にチェックはかかりませんでしたか?」。石川さんは「チェックはありませんでしたが、いろいろな方が参加されるので、証言者の気持ちという形で客観的に説明しました」と、不安を抱えながら、説明の仕方を工夫したことを明かしてくれました。石川さんご自身、おじさんを沖縄戦で亡くされています。ガイドはなかばボランティア。説明内容は独学で作成。真剣なまなざしで、「多くの人に沖縄戦の実相を知っていただきたいです」。
 私はあらためて感動しながら、歴史の真実を語るのに、なんの不安もいらない社会にしなければ、との思いを強くしました。

<今日の注目記事>「沖縄タイムス」(17日付)から

 「シマクトゥバで伝える島言葉 ハワイの実践例参考に 親子教室が本格化」
 「島言葉(シマクトゥバ)の復興とアイデンティティーの継承を目指し、乳幼児と親を対象にウチナーグチでウチナーグチを教えるユニークな『イマージョン教室』が活動を本格化させている。ハワイに留学経験を持つ子育て世代が、ハワイ語再生に取り組む現地住民の実践例を学び企画。子どもだけでなく、島言葉を話せない親たちも熱心に習っている」
 「イマージョン教室」とは教室でのすべてのやりとりを習得しようとする言語で行う教室。言葉は民族のアイデンティティの原点です。奪われたうちなーぐち、しまくとぅばを取り戻す、若い親子の新たな試みが広がっています。


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「うちなーぐち講座」の素敵な出会い

2013年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

Kouzaowari 「うちなーぐち(おきなわ語)講座」(週1、全6回)が、13日終了しました。わずかな期間でしたが、とても多くのことを学び、貴重な出会いを経験しました。
 この日は正月4日(旧暦)。比嘉光龍(ふぃじゃ・ばいろん)先生が自作の琉歌(8・8・8・6)を披露してくれました。「巳年なてぃ居むぬ 新年なたんでぃち 物事ゆ始み 実年なさな」(せっかくへび年になったのだから新年として物事を始め実りある年にしよう)。うちなーぐちでは「巳」「新」「実」はいずれも「み」と発音する韻を踏んでいます。巳年生まれの私には特にうれしい歌です。先生は三線を弾きながらこれを歌ってくれたのですが、「だれか踊ってくれませんか?」と言うと、なんと3人の女性が手を挙げ、歌にあわせて琉舞を披露してくれたのです(写真)。歌と踊りの素晴らしさとともに、みなさんの一体感、やさしさが胸に迫ってきました。
 比嘉先生はわずかな期間に実にたくさんの大切なことを教えてくれました。うちなーぐちは日本語と同じ一つの言語でありけっして「方言」ではないこと。「琉球処分」(1879)はじめ歴史を学ぶことがうちなーぐちの理解に欠かせないことなどが特に印象的でした。なによりも、「みなさんから質問していただくことは私の大切な勉強」だと言って毎回わたしたちの質問に丁寧に答えてくれる人柄が魅力的でした。「私は安易な『独立論』には賛成しません。日本の中で独自の文化、歴史教育を行いながら、沖縄が独自性を発揮する社会を目指したい」という最後の言葉は忘れません。
 約25名の聴講生はほとんどが中高年のうちなんちゅうでした、毎回興味深い質問が続出。うちなーぐちへの関心の高さが分かり、質問からも多くのことを学ばせていただきました。
 情熱的に語りかけ誠実に教える比嘉先生。真剣にそして楽しく学ぶ生徒の皆さん。その根っこは、うちなーぐちと沖縄への深い愛情でつながっているように感じました。
 みなさん、御拝(にふぇー)でーびる(=ありがとうございました)。

<今日の注目記事>「琉球新報}(16日付)から

 「ハーグ条約法案 『沖縄でも裁判を』 県内関係者 国際結婚多く、修正要望」
 「国際結婚が破綻した夫婦間の子どもの奪い合いが起きた際のルールを定めたハーグ条約について、国は早期加盟に向けて動きだした。3月中旬に国会に法案提出、5月にも衆参両院本会議で採決される見通しだ。米軍人との国際結婚が他県よりも多い沖縄は、離婚に伴うトラブルも少なくない。県内の関係者は『法案は管轄する家庭裁判所が東京と大阪に限られている。沖縄も含めるべきで、地方に住む人が不利益にならないような仕組みが必要』と要望している」
 沖縄で国際結婚・離婚のトラブルが多いのは、いうまでもなく米軍基地のせい。沖縄家庭裁判所でも裁判できるようにするのは、最低限の配慮でしょう。


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「内なる天皇制」の衝撃・・・沖縄と天皇制③

2013年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Naminoueguu 天皇訪沖(2012年11月)を歓迎するため、仲井真知事を名誉顧問として結成された「天皇陛下奉迎沖縄実行委員会」は、なんといまも解散せずに存続しています。その事務局が置かれているのが波上宮神社(那覇市若狭=写真)です。
 話を2月10日の集会「沖縄教区は天皇制とどう取り組んできたか」に戻しましょう。案内のチラシにこうありました。「復帰以前は、1月1日に神社に初詣をする人はほんのわずかで、神社は閑散としていました。・・・『沖縄の祖先崇拝の源は、神社信仰と同じである』と復帰後に言われ始め、沖縄の人々の素朴な『信仰心』が利用され、かつて習慣がなかった七五三、冠婚葬祭や、受験や無病息災の祈願も今や浸透しています。そして、神道と結びついた天皇への違和感を薄めつつある」
 生活習慣によって無意識のうちに天皇制への親和感がつくられていく。講師の村椿嘉信さんはこれを「内なる天皇制」といい、その克服こそが天皇制とのたたかいだと強調しました。「内なる天皇制」・・・村椿さんはそれを説明するために岡本恵徳氏(琉大教授、故人)の言葉を引用しました。天皇および天皇制を問うことは、日本人の差別意識、日本の差別構造とたたかうこと。日本人は、差別することが悪いと誰でも言うし、感じているが、相手と面と向かわず、自分が差別していることを意識せずに、相手を切り捨てることによって差別する。切り捨てれば相手がみえなくなり、差別も見えなくなる。これは日本における構造的なものだ・・・。これを聞いて私は「無意識の植民地主義」という言葉が浮かんできました。
 村椿さんは「天皇制差別を支える小道具」として「日の丸、君が代、元号、祝日、表彰、叙勲、儀礼・儀式、神社、おみくじ、お守り、初詣、挨拶、敬語」などを列挙。「一人ひとり(他者)を尊重し、差別を解消することなしに、『みんなの和』はあり得ません。『みんなの考え』とは誰の考えなのか、『自分の考え』が強要されたものではないかを問いましょう」と話しました。
 目からウロコでした。天皇制を強く否定しているはずの私自身の中にも「内なる天皇制」が、生まれたときから培われてきたのではないか。そして今も。沖縄に来たのは自分の中にある沖縄への「無意識の差別」を見つめ、克服したいからでした。それは「内なる天皇制」と無関係ではない。天皇制問題の根源的な重要性をあらためて突き付けられた思いでした。
 「沖縄と天皇制」のテーマは今回でひとまず区切りをつけます。でもそれは終わりだからではありません。逆に、この「日記」を付け続ける限り、すべてに共通する問題として、これから考え続けていきたいからです。

<昨日の注目記事>「沖縄タイムス」(14日付)から

 きのうの「沖縄タイムス」1面常設コラム「大弦小弦」に、日ごろ思っていたことが小気味よく代弁されていたので、一部を紹介します。
 「人気女性アイドルグループAKB48のメンバー(20)が、丸刈りにして大粒の涙で謝罪する動画を見て、何とも言えぬ気分になった▼あまりにも痛々しい行動は、週刊誌が男性との交際を報じたことを受けたもので、本人の意思だとされている。・・・▼過剰な話題づくりと身近なアイドルという演出でファンを熱くさせ、グループ内には抑圧的な雰囲気をつくる。『AKB商法』の果てに丸刈り謝罪が起き、エンターテインメントからも逸脱した気がしてならない▼男目線で彼女たちを頑張らせて商品視する一方、人権に配慮し労働者として見る視点は無いに等しい。海外メディアが特異な日本文化に着目して論じたように、アイドル論では収まらない問題を秘めている。(与那嶺一枝)」
 AKB48を操る秋元康氏はかつて「おにゃん子クラブ」に「セーラー服を脱がせないで」という露骨な歌を歌わせました。こうした女性蔑視・差別がもてはやされる日本の芸能界。それに熱狂する多くのファン。ここにも「日本の構造的差別」を感じざるをえません。


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賛美報道で隠された重大問題・・・沖縄と天皇制②

2013年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Tennouhoudou 琉球新報と沖縄タイムスが天皇明仁の訪沖(昨年11月)を無批判に賛美する報道(写真)を行ったことは、たんに天皇制へのイメージアップに加担しただけではありません。特に今回の訪沖では賛美報道によって2つの重大な問題が隠されてしまいました。
 一つは、久米島訪問の意味です。天皇・皇后は11月20日初めて久米島を訪れ、県海洋深層水研究所を見学しました。町は公費十数万円を使って5000本の「日の丸の小旗」を用意し、町民に振らせました。久米島とはどんな島でしょうか。先の沖縄戦で、21人の島民(7人の幼児を含む)が虐殺されました。なんと「天皇の軍隊」である日本兵によって。「スパイ」「非国民」よばわりされて。しかも戦闘が終結したにもかかわらず天皇を守る「国体護持」のために終戦引き延ばして以降のことです。戦後地元の具志川村では張本人の元日本軍隊長に謝罪を要求し、国の責任を問う決議が上がっています。天皇の初の久米島訪問は、こうした血塗られた戦争の歴史を、日の丸の小旗で打ち消すものだったのです。
 もう一つは、「全国豊かな海づくり大会」出席の意味です。これは国体や植樹祭への出席と同様、憲法に定められた国事行為ではない「公的行為」といわれるものです。明仁天皇の代になってその数が急増しています。とくにこの大会は重要です。今回(昨年)沖縄の糸満市で開催されたのは尖閣諸島問題やオスプレイ問題と無関係ではないでしょう。一昨年は竹島と目と鼻の先の鳥取県で行われました。今年の開催地はどこでしょうか。熊本県の水俣市です。水俣病患者の認定を打ち切り、「水俣病終結」を図ろうとしているさなかの開催です。一昨年の東北大震災直後のビデオメッセージや被災地訪問同様、露骨な天皇の政治利用です。
 天皇の無批判な賛美報道はこうした危険な天皇制の実体をおおい隠すものにほかなりません。
 でも、その責任は、もちろん報道にだけあるのではありません。(つづく)

<今日の注目記事>「琉球新報」(14日付)から

 「沖縄の『戦後』問いたい 映画監督・藤本さん 県内で新作撮影 基地通し人間像描く」
 「米軍普天間飛行場移設問題に端を発する新基地建設に反対する人々を追ったドキュメンタリー映画『ラブ@辺野古・高江・普天間』を16日から那覇市の桜坂劇場で公開する。藤本幸久監督は、次回作『OKINAWA戦世(いくさゆ)』を県内で撮影している。今年中の完成を予定する。・・・藤本監督は『沖縄戦を生き延び、戦後を生き抜く姿は「基地がなくてもイモとはだしの時代にはならない」ことを体現している。沖縄戦を原点に、問題は今につながっている。沖縄に戦後は本当に来ているのか、問いたい』と語る。映画の公開に向け製作協力金を募っている。問い合わせは影山事務所?011(206)4570。」


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一番気になること・・・沖縄と天皇制①

2013年02月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Tennouparedo_2 「建国記念の日」の前日(10日)、「(日本キリスト教団)沖縄教区は天皇制とどう取り組んできたか」という講演会がありました。私はキリスト教徒ではありませんが、ずっと待っていた講演会でした。なぜなら、3カ月前に沖縄に来て以来、一貫して最も気になっているテーマだからです。「沖縄ではいま、天皇制はどう受け止められているのだろうか」。
 気になったのには理由があります。私が沖縄に移って2週間後の11月17日、天皇明仁が「全国豊かな海づくり大会」に出席するために来沖しました。その天皇を歓迎する「提灯大パレード」を行うというチラシ(写真)や横断幕(宜野湾市役所など)を各所で目にしたからです。「かつて皇太子時代(1975)に火炎ビンを投げられた天皇は、いまでは提灯行列で歓迎されるのか?」。この疑問は17日夜さらに大きくなりました。「提灯パレード」は5000人にのぼり、国際通りを埋め尽くしたのです。
 でも疑問を決定づけたのは別のものでした。琉球新報と沖縄タイムスです。
 両県紙が基地問題などでいかに重要な役割を果たしているか、本土の全国紙と違っていかに優れているか、さんざん書いてきました。ところが、「天皇問題」は別です。両紙ともどこにも批判らしき記事は見当たらないのです。あらためて調べてみました。天皇来沖翌日(11月18日)の紙面では、両紙とも1面に写真と3段記事で、「両陛下が来県」(新報)、「両陛下、8年ぶり来県」(タイムス)。その後天皇が20日に帰京するまで、両紙ともまるで申し合わせたような扱いで、天皇夫妻の動向を追い、天皇がいかに沖縄県民と親しく交わり、歓迎されたかを逐一報じました。たとえば琉球新報は最後の記事(21日付)でこう念押ししています。「両陛下の4日間の滞在を終え、仲井真知事は『(滞在中)沿道には子どもからお年寄りまでたくさんの県民が集まり、両陛下の訪問を喜んでくれた。大きな満足感がある』と話した」。これがしめくくりの記事なのです。批判どころか、まるで「天皇歓迎」のお先棒かつぎです。
 これは何なんだ。天皇制こそ過去・現在の沖縄の苦悩の根源、構造的差別の元凶ではないのか。あれほど「沖縄差別」を批判している、これが両県紙の姿なのか。大きな疑問と失望を禁じえません。(つづく)

<今日の注目記事>「沖縄タイムス」(13日付)から

 「オスプレイ一般公開 在沖海兵隊 来月 家族を対象」
 「在沖米海兵隊が、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの一般向け見学会を、3月3日に普天間飛行場で開くことが12日までに分かった。オスプレイ配備に反対する県民大会実行委の翁長雄志共同代表は『一方的な説明で理解が進むとは思えない』と批判している。・・・海兵隊の広報担当者は本紙取材に対し、県民の反発については言及を避けつつ、『関心のある家族連れに歓迎されるイベントになるよう期待する』とコメントした」
 参加希望者を公募・選別し、喜ぶであろう子どもづれ家族をターゲットに反対世論の懐柔を図る。いかにも古臭いやり方です。これでオスプレイ配備反対にくさびが打てると思っているなら、沖縄県民もみくびられたものです。


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「建国記念の日」反対集会での二つの危機感

2013年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

Kenkoku 毎年「建国記念の日」には各地で反対集会が開かれます。沖縄でも「2・11沖縄県集会」が開かれました。テーマは「安倍政権下での憲法と教育」。参加して、二つの危機感を持ちました。
 一つはあらためて、安倍政権の怖さです。配られた資料に「第2次安倍晋三内閣の超タカ派の大臣たち」という一覧表がありました(俵義文氏作成)。安倍首相、麻生副首相、菅官房長官、下村文科相はじめ19人の全閣僚がなんらかの改憲・タカ派団体グループに所属しています。しかも複数で。加藤裕さん(憲法普及協議会事務局長)、山口剛史さん(歴教協事務局長)の報告で、改憲も教育「改革」も第1次安倍内閣ですでに土台が作られており、第2次安倍内閣はそれを実行に移す、「土台」から「実行」の段階だという指摘が胸に落ちました。沖縄ではオスプレイ配備や石垣市での教科書採用問題などすでに「実行」が先取り的に進行しています。
 もう一つの危機感は、にもかかわらずそれに抗う人たちの活動はけっして十分ではない、いいえむしろ停滞しているのではないかということです。この日の集会は7団体の共催で、おそらく「反対集会」としては沖縄県で唯一のものでしょう。ところがその参加者は私が見るところ100人に満ちていませんでした。そもそも会場は集会というより学習会というほどの規模で、主催者の構えを疑います。しかも参加者のほとんどは中高年者です。青年の姿があまり見られないのはこの日に限ったことではありません。沖縄における平和・民主主義活動の世代継承はうまくいっていないのではないかというのが悲しい印象です。
 政治・社会の迫りくる危機と、それとたたかう側の危機的状況。”ダブル危機”の突破口は、今の私にはまだ見えていません。

<最近の注目記事>「沖縄タイムス」(11日付)から

 「基地優先 住民後回し  復帰前の水道 米軍が管理・運営 琉球公社、給水権限なし」
 「沖縄タイムス」には「基地で働く-軍作業員の戦後」という長期連載があります。今回は米軍水道局で働いていた安里賢美さん(76)が振り返ります。
 「現在、市町村にある浄水場は海抜0㍍のところが多い。土地代は安いが、塩害で維持管理が大変だ。何よりも津波が来れば壊滅する。その点、米軍は大半を高台に造った。やっぱり彼らは賢かった。米軍が整備した水道水は、余った分を近隣に分けるだけだった。58年に琉球水道公社(現県企画局)ができ、米軍から水を買って市町村に供給するようになったんだ。・・・沖縄の人たちが日本復帰後も渇水に苦しめられたのは、水を米軍に委ねたひずみだと思う。民間の需要に合った水源開発を、27年間もできなかった影響は大きいよ。復帰の時、日本政府が米軍のすべてのダムと水道施設を買い上げ、県に譲渡した。政府は何の交渉もせず、米側の言い値で買わされたんだ。米国は相当もうけたはずだよ」


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坂本龍馬と水中考古学と沖縄のロマン

2013年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Irohamaru 「坂本龍馬と水中考古学」。興味深い講演会が9日県立博物館でありました。講師はNPO法人水中考古学研究所理事長の吉崎伸さんです。
 24年前、広島県福山市沖の瀬戸内海から一隻の沈没船が発見されました。足かけ16年4回にわたる吉崎さんたちの調査で、それは紀州藩の蒸気船と衝突して沈没した龍馬・海援隊の「いろは丸」と判明しました。その水中探査・発掘・潜水技術などが水中考古学です。
 高校生の時から司馬遼太郎の『竜馬がゆく』に心酔し、生まれが広島県、福山には今母が住んでいる私は興味津々。期待にたがわぬ内容でした。たとえば龍馬は「万国公法」を駆使して紀州藩と交渉した結果、沈んだミニエール銃400丁分7200両(いろは丸全体では3万両)を賠償させたといわれていますが、「実はいろは丸にミニエール銃を積んでいた痕跡は全くありません。龍馬のしたたかさが表れています」。(「英雄・龍馬」は司馬が作り上げたフィクションの性格が強く、実際は植民地主義者だったとの指摘があります)
 とくに興味深かったのは、「いろは丸と沖縄は無縁ではなかった」という話です。引き上げられた積み荷の中から木箱の破片を発見。それには朱色の顔料(水銀朱)が塗られていました(写真)。調べた結果、中国福建省周辺で作られた高級品で、琉球を経由して輸入されたものらしいというのです。
 それで興味がさらに広がり、質問しました。海に囲まれた沖縄は水中考古学の可能性も高いのではないか。吉崎さんと県学芸員・片桐さんの話では、沖縄周辺にも洋式帆船が1隻沈んでいる可能性が大きいとか。海に沈んだ積み荷の中では陶磁器が良好な状態で発見されることが多いそうですが、その点でも中国との貿易が盛んだった沖縄周辺海域は貴重で興味深いとか。さらに、透明度が高い沖縄の海では沈没船自体が魅力的な観光資源になりうるとか。
 水中考古学が沖縄の新たな歴史発掘、観光開発の可能性を開くかもしれません。ロマンあふれる話です。

<今日の注目記事>「沖縄タイムス」(11日付)から

 「浦添市長に松本氏 政党イメージ逆風」
 「任期満了に伴う浦添市長選は10日投開票され、無所属新人で前NPO法人代表の松本哲治氏(45)が1万9717票を獲得し、次点に2720票差で初当選した。現職の儀間光男氏(65)=無所属、新人で前市教育長の西原廣美氏(65)=無所属、自民、社民、社大、民主推薦=は及ばなかった。・・・松本市は県内主要選挙では見られなかった、いわゆる都市型選挙を展開して当選。敗れた政党などに与える衝撃は大きく、今後の政党間の候補者選定の枠組みなどにも影響を与えそうだ」
 有力と見られていた「保革相乗り」の西原陣営に対しては市民から「野合」との批判が強く、陣営内の足並みの乱れも表面化しました。「保革が争う時代ではない」(翁長那覇市長など)という主張に一石が投じられたといえるでしょう。


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沖縄の三つの「正月」-それぞれの思い

2013年02月10日 | 日記・エッセイ・コラム

Gajyoudesu 明けましておめでとうございます。
 そうなんです。今日2月10日は旧暦の元日なのです。沖縄では1947年本土に先駆けて新暦の元日を休日にするなど新暦普及政策がとられ、72年の「復帰」後は新暦が一般化しましたが、糸満では今でも旧正月を祝う家が多いとか。それは太陰暦と関係が深い漁業従事者が多いからではないかと、先日のシンポで金城実さん(彫刻家)が言っていました。
 おととい真栄里泰山さん(沖縄大常務理事)からうれしいメール年賀状をいただきました(写真)。真栄里さんとは啄木碑を通じて知己を得ることができました。これは中国の正月記念切手で、宝の玉をくわえた巳がデザインされており、「宝珠をくわえて恩返しする」という意味だそうです。体には春桃、夏蓮、秋菊、冬梅が描かれており、尾は霊芝(マンネンタケ)に変化。体の赤とともにすべて吉祥と健康を象徴しているのだそうです。
 「うちなーぐち講座」の比嘉光龍先生によれば、「うちなーぐち(おきなわ語)には『おめでとうございます』に相当する言葉はない」とか。語彙が少ないのではありません。その逆で、同じ「おめでとう」でも場面や相手との上下関係で細かく分かれるのです。「明けましておめでとうございます」は「良正月(ゐーそーぐゎち)でーびる」でいいとか。比嘉さんは新暦の正月には「良大和正月でーびる」とあいさつし「うちなー正月」と区別しています。「新正月は日本から押し付けられている太陽暦に沿った西洋式の正月なのであり、うちなーとは関係のない正月だ」という信念からです。
 沖縄にはもう一つ正月があります。旧暦の1月16日(今年は2月25日)で、「十六日(じゅーるくにち)」といいます。後生(ぐしょー)つまり「死者の世界」の正月です。『沖縄の祭りと行事』(比嘉政夫著1993年)によれば、「この日は一族そろって、重箱に餅や豆腐などを入れた供え物をもって墓に出かけ、歓談をし、三味線をひいて祖先の霊をなぐさめる。・・・この行事は強い祖先崇拝の思想にささえられて盛大でほぼ沖縄全域に分布する」といいます。今はどうかわかりませんが、祖先崇拝が根強いのは確かなようです。
 「三つの正月」には、沖縄の歴史、アイデンティティ、精神世界など、さまざまな思いが投影していて、あらためて沖縄の深さを感じます。

<今日のほのぼの記事>「沖縄タイムス」(10日付)から

 「戦の悲惨さ歌い継ぐ 中部商 でいご娘・島袋さん講演」
 「『沖縄の人はつらいことも悲しいことも、全部歌にしてきた』-。(宜野湾市)北谷町栄口自治会の会長で、沖縄民謡グループ『でいご娘』のリーダー、島袋艶子さん(65)は7日、中部商業高校で『「艦砲ぬ喰ぇーぬくさー」を歌い継ぐ決意』と題した講演会を行った。3月に卒業する3年生約200人が参加。艶子さんの、『父が残した歌』への思いに耳を傾けた」
 「でいご娘」についてはこの「日記」にも書きました(12月26日)。「艦砲ぬ-」は島袋さんのお父さん・故比嘉恒敏さんの遺作。比嘉さんは戦時中「対馬丸」で父親と長男を失い、疎開先の大阪空襲で妻と二男を失い、「復帰」の翌年米兵の飲酒運転で自らの命を奪われました。
 「艶子さんは高校生に『私も皆さんも、戦争を知らない世代。知るためには伝えていくしかない』と強調。『オスプレイに反対し、普天間飛行場のゲート前で頑張っている年配の人たちを見ると、父の姿とダブってしまう。私ができることは、父の無念さが込められた「艦砲ぬ-」を歌い継ぐこと』と語った。生徒の前で『艦砲ぬ-』を披露した艶子さんは『みんなの中には、県外に行く人もいると思う。この歌も忘れないで』と話し、全員で『安里屋ユンタ』を歌った」


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沖縄への思いあふれる学者魂

2013年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Kobayasisan 「沖縄・憲法・自治」。ありふれたタイトルのシンポジウム(8日、沖縄国際大学)でしたが、思わぬ”発見・出会い”がありました。講師の小林武さん(沖国大法学部教授・沖縄法政研究所所員)自身です。
 憲法学から自治を論じてほしいと講演依頼を受けた小林さんは、一般市民も参加すると聞いて急きょ、「当面する具体的な課題を通して沖縄の自治の将来、沖縄にとっての憲法の意義をみんなで考えたい」と内容を変更しました。そして、先日のオール沖縄東京行動で使われた「直訴」「建白書」という言葉に表れた沖縄の自治感覚、昨年11月の九州市長会でオスプレイ配備反対決議が否決されたとき口実にされた「国の専管事項」論の誤り、地元紙の1面で県部長人事が大きく報道される沖縄自治の特徴、米軍基地問題での住民投票、条例による基地公害規制の可能性、過疎地の学校統廃合、沖縄の自治会の特異性など、身近な問題から自治・憲法の神髄に迫りました。これらはすべて小林さん自身が沖縄で実感してきたことばかりです。
 小林さんは京都出身。2年前、愛知大学退官後「念願の沖縄移住」を果たしました。初めて沖縄の現実に衝撃を受けたのは宮森小米軍ジェット機墜落事件(1959)。憲法学を学び始めた20歳の時から「将来は沖縄でものを考えたい。沖縄が強いられている不条理を憲法の観点から考えたい」と決意。それから50年。「青春時代からの念願が叶ってほんとうにうれしい」と小林さん。沖縄の複数の大学で教鞭をとりながら「職業を超えたやりがいを感じている」といいます。そしてヤマトンチューの学者ならではの新鮮な驚き、怒りを新たな対象にして研究を続け、沖縄の人々とともに歩み、たたかおうとしています。
 これこそ本当の学者ではないでしょうか。小林さんの学者魂に感動し、共感し、限りなく親近感をもち、「小林さん、一緒に”沖縄”を考えていきましょう」と、勝手に心の中でつぶやきました。

<今日の大変気になる記事>「沖縄タイムス」(9日付)(おそらく共同電)

 「講演タイトル『平和ボッパツのお祭りさ!』 『極端な平和運動』と変更要求 広島の図書館 主催者は反発」
 「広島市の児童文学関係者らが、米国出身で同市在住の詩人アーサー・ビナード氏(45)の講演会を企画し、広島市こども図書館に後援を申し込んだところ、図書館側が『極端な平和運動のイメージを持たれる恐れがある』としてタイトルの変更を要求していたことが、8日、分かった。・・・元のタイトルは『平和ボッパツのお祭りさ!』。主催者側はいったん変更を受け入れたが、『タイトルだけで偏った政治活動とみなされるのは納得いかない』と反発しており、後援依頼を取り消す構え。・・・タイトルはビナード氏が邦訳したイタリアの絵本『キンコンカンせんそう』の一節から取った。・・・図書館の野口雅子館長は取材に『タイトルが独り歩きする恐れがある』と指摘。さらに憲法9条を守ろうと呼び掛ける作家らでつくる市民団体「九条の会」の集会で、ビナード氏が同じタイトルで講演したことも問題視し、『九条の会の活動内容は憲法改正阻止。主催者には話し合いの中で「政治的に中立な図書館としてこのままでは後援できない」と伝え、納得してもらったと思っている』と説明した」
 あきれてものが言えないとはこのことです。①元のタイトルのどこが「偏っている」のか。なんとかいいがかりをつけて講演を妨害しようとしているとしか思えない②講演タイトルはいうまでもなく言論・表現の一部。詩人ならなおさら。それを妨害・排除するのは憲法が保障する「言論・表現の自由」の侵害以外の何物でもない③「九条の会」の「憲法改正阻止」が「政治的中立」を欠くとはとんでもない。この人は公務員に憲法遵守の義務があることを知らないのか④こうした憲法違反の暴論暴挙が言論活動の拠点の一つであるべき図書館の館長によって、さらには広島市において行われたことに怒りを通り越し、あきれ、悲しい。これは一地方都市の、一公務員の問題として看過することはできません。日本に確実に近づいているファシズムの足音が聞こえます。


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