アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「内なる天皇制」の衝撃・・・沖縄と天皇制③

2013年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Naminoueguu 天皇訪沖(2012年11月)を歓迎するため、仲井真知事を名誉顧問として結成された「天皇陛下奉迎沖縄実行委員会」は、なんといまも解散せずに存続しています。その事務局が置かれているのが波上宮神社(那覇市若狭=写真)です。
 話を2月10日の集会「沖縄教区は天皇制とどう取り組んできたか」に戻しましょう。案内のチラシにこうありました。「復帰以前は、1月1日に神社に初詣をする人はほんのわずかで、神社は閑散としていました。・・・『沖縄の祖先崇拝の源は、神社信仰と同じである』と復帰後に言われ始め、沖縄の人々の素朴な『信仰心』が利用され、かつて習慣がなかった七五三、冠婚葬祭や、受験や無病息災の祈願も今や浸透しています。そして、神道と結びついた天皇への違和感を薄めつつある」
 生活習慣によって無意識のうちに天皇制への親和感がつくられていく。講師の村椿嘉信さんはこれを「内なる天皇制」といい、その克服こそが天皇制とのたたかいだと強調しました。「内なる天皇制」・・・村椿さんはそれを説明するために岡本恵徳氏(琉大教授、故人)の言葉を引用しました。天皇および天皇制を問うことは、日本人の差別意識、日本の差別構造とたたかうこと。日本人は、差別することが悪いと誰でも言うし、感じているが、相手と面と向かわず、自分が差別していることを意識せずに、相手を切り捨てることによって差別する。切り捨てれば相手がみえなくなり、差別も見えなくなる。これは日本における構造的なものだ・・・。これを聞いて私は「無意識の植民地主義」という言葉が浮かんできました。
 村椿さんは「天皇制差別を支える小道具」として「日の丸、君が代、元号、祝日、表彰、叙勲、儀礼・儀式、神社、おみくじ、お守り、初詣、挨拶、敬語」などを列挙。「一人ひとり(他者)を尊重し、差別を解消することなしに、『みんなの和』はあり得ません。『みんなの考え』とは誰の考えなのか、『自分の考え』が強要されたものではないかを問いましょう」と話しました。
 目からウロコでした。天皇制を強く否定しているはずの私自身の中にも「内なる天皇制」が、生まれたときから培われてきたのではないか。そして今も。沖縄に来たのは自分の中にある沖縄への「無意識の差別」を見つめ、克服したいからでした。それは「内なる天皇制」と無関係ではない。天皇制問題の根源的な重要性をあらためて突き付けられた思いでした。
 「沖縄と天皇制」のテーマは今回でひとまず区切りをつけます。でもそれは終わりだからではありません。逆に、この「日記」を付け続ける限り、すべてに共通する問題として、これから考え続けていきたいからです。

<昨日の注目記事>「沖縄タイムス」(14日付)から

 きのうの「沖縄タイムス」1面常設コラム「大弦小弦」に、日ごろ思っていたことが小気味よく代弁されていたので、一部を紹介します。
 「人気女性アイドルグループAKB48のメンバー(20)が、丸刈りにして大粒の涙で謝罪する動画を見て、何とも言えぬ気分になった▼あまりにも痛々しい行動は、週刊誌が男性との交際を報じたことを受けたもので、本人の意思だとされている。・・・▼過剰な話題づくりと身近なアイドルという演出でファンを熱くさせ、グループ内には抑圧的な雰囲気をつくる。『AKB商法』の果てに丸刈り謝罪が起き、エンターテインメントからも逸脱した気がしてならない▼男目線で彼女たちを頑張らせて商品視する一方、人権に配慮し労働者として見る視点は無いに等しい。海外メディアが特異な日本文化に着目して論じたように、アイドル論では収まらない問題を秘めている。(与那嶺一枝)」
 AKB48を操る秋元康氏はかつて「おにゃん子クラブ」に「セーラー服を脱がせないで」という露骨な歌を歌わせました。こうした女性蔑視・差別がもてはやされる日本の芸能界。それに熱狂する多くのファン。ここにも「日本の構造的差別」を感じざるをえません。


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