アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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死刑廃止へ、必要な情報公開と市民の議論

2022年10月11日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 10月10日は「世界死刑廃止デー」でした。世界死刑廃止連盟(WCADP、本部=パリ)が2003年に定めました(写真左は同連盟の2020年のポスター、刑事弁護OASISのサイトより)。

 死刑廃止は世界の趨勢です。10年以上執行していない事実上の廃止国を含め144 カ国が廃止しており、存置国は55カ国。いわゆる「先進国」といわれるOECD加盟国38カ国の中で死刑制度を残しているのは、米国、韓国、そして日本の3ヵ国だけです。

 米国は23州で廃止し、3州が執行停止を宣言。韓国は20年以上執行していない事実上の廃止国です。(以上、第二東京弁護士会の2021年10月10日の声明より)

 日本は世界の趨勢からも歴史の進歩からも立ち遅れた異常な死刑執行国です。ほぼ毎年執行されており、今年も7月、秋葉原事件の加藤智大死刑囚に対する執行がありました。

 なぜ日本は“死刑後進国”なのか。

 その理由の1つは、死刑に関する情報が閉ざされており、その実態が知らされていないことです。たとえば、次のような事実がどれほど知られているでしょうか。

< 日本の死刑は法務大臣の命令によって、全国7カ所の拘置所で執行される。執行方法は刑法で絞首刑とされ、1873年の太政官布告で決まってから変わっていない

 死刑囚は目隠しされて首に縄をかけられ、足元の踏み板が開いて下の部屋に落ちる。3人の刑務官が一斉に3つのボタンを押すと、どれか1つが作動して踏み板が開く。

 かつて国は、執行の事実すら公表していなかった。情報公開の要請が強まるなかで1998年から執行した人数、2007年から氏名や犯罪事実、執行した場所も公表するようになった。

 ただ、死刑囚の生活状況や執行対象がどのように選ばれたのか(確定死刑囚は今年7月時点で106人)、実際の執行に問題がなかったかなど、具体的な運用は明かしていない。>(9月23日付朝日新聞デジタル)

 日本の死刑執行が同じ存置国アメリカと比べても大きく違うのは、死刑囚に執行が宣告されてから執行されるまでの時間の短さなど、死刑囚の人権が尊重されていないことです。

< 日本では死刑が確定すると、面会や文通など、外部との接触が非常に厳しく制限されます。執行が知らされるのは当日の朝。監房を出てから執行までは約1時間だと言われます。

 当日の朝に執行が知らされるというのは、権力に対する防御権、異議を申し立てる権利が保障されていないのではないかという問題をはらんでいて、裁判にもなっています。

 米国ではいつ死刑になるか、本人も弁護士もメディアも市民も、わかっている。取材など、さまざまな防御がとれる。多くの市民が意見を表明できる。制度としてみんなが考えられる状態になっているのです。

 日本では、死刑のことは知らなくていい、究極の権力行使は僕たちがこっそりやる、という姿勢です。同じ死刑存置国でも、プロセスにこんなに格差があるのです。>(佐藤大介・共同通信編集委員、「アムネスティ・ニュースレター」2022・9・10月号。写真右地図の黄色は2021年に死刑を執行した18カ国、同ニュースレターより)

 絞首刑という方法が約150年前の明治天皇制政府の太政官布告から変わっていないことに象徴されるように、死刑制度は国家権力の「寄らしむべし、知らしむべからず」という人民支配の典型といえるでしょう。それが死刑囚だけの問題でないことは明らかです。

 まず死刑の実態を知ること。そのために情報を公開させること。執行宣告から執行までの時間を見直すこと。そして市民が死刑の存否を自分事として考え議論すること。死刑廃止は国家権力の人権抑圧・専制支配を許さない喫緊の課題です。
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