アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

国賠償裁判「子どもを戦争孤児にしたくなかった」

2013年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 大城勲さん(70、左写真中央)は、沖縄戦で両親、祖父母、弟を亡くしました。戦争孤児となった大城さんは21歳上の義兄に引き取られ、朝5時から畑仕事。夕方小・中学校から帰ってまた畑仕事。寝るのは夜11時ごろ。そんな生活が約13年続きました。「両親がいないで幼いころを過ごすのは本当に辛いです。クツもカバンもなく、参観日は特にみじめでした」。
 19歳でやっと自動車整備工場に住み込みで働きはじめ、以後職を転々。「30歳で結婚しましたが、ベトナム戦争のころで、これからまた戦争が始まり巻き込まれるかもしれないと思いました。もしも自分と妻が死んで子どもだけが生き残ったら、自分が経験した孤児としての辛い生活を子どもにも送らせてしまうかもしれない。それで妻と話し合って、子どもはつくらないと決めました。だから妻が他界したあと、私は一人暮らしです。もしも私が戦争孤児になっていなければ、いまごろは子どもや孫に囲まれていたかもしれません」
 大城さんが悲痛な体験を語ったのは、3日の那覇地方裁判所。沖縄戦での一般住民の被害に対し国に謝罪と損害賠償を求める訴訟(原告は野里千恵子さん=写真右ら63名)の原告陳述です。現在の援護法の下で二重の差別を受け、なんの補償もされていない約11万7000人の住民の声を代表した裁判です。大城さんが思い出すのも辛い体験を語らねばならなかったのは、国の「国家無答責論」「戦争被害受忍論」を打ち破るため、沖縄戦の「残虐非道性」を立証する必要があるからです。
 公判後、大城さん、野里さんらと記者会見した瑞慶山茂弁護団長は、「戦争被害者は年々少なくなっている。今やらないと日本の戦争責任を追及する場がなくなってしまう。論文や語り継ぎも大事だが、実際に損害を回復する措置を今国にとらせなければならない。沖縄戦はまだ終わっていない」。野里さんは、「戦争は人間の生き方を変えてしまいます。自分の人生が一生自分の意のままにならない。それをぜひ報道してください」。
 多くの人の68年間はけっして「戦後」ではない。それが沖縄です。

 <今日の注目記事>(4日付から)

 ☆<普天間飛行場 「県外・国外」「返還」70% 「辺野古」は21% 本紙調べ>(沖縄タイムス1面)
 参院選公示にあたり沖縄タイムスが本島5カ所、211人に聞き取り調査した結果、「国外移設」29%、「県外移設」23%、「無条件返還」18%、「辺野古移設」21%、「このまま」5%。
 「国外」と「無条件」合わせると47%が日本のどこにも移してはいけないと考えています。ただ、年代別では、20代が「国外」と「辺野古」が同数だったのが注目されます。

 ☆<ヘリパッド工事再開 高江で2月以来 2日から測量>(琉球新報1面)
 「沖縄防衛局が2日、東村高江にある米軍北部訓練場内でヘリパッド建設工事を再開したことが3日、分かった。ヘリパッド建設に反対する住民らが2日午前10時半ごろ、建設予定地のN4地区の一部で、作業員が測量をする姿を確認した。防衛局は、琉球新報の取材に対し『7月2日、「N-4-2地区」の着陸帯に係る現地作業に着手した』と回答し、工事再開を公表した」

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