アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記302・沖縄の実相を識るのは難しい

2024年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム
  <修学旅行 進む「沖縄離れ」>―沖縄へ行く2日前の京都新聞(11日付)の見出しだ。修学旅行先を沖縄にする京都市立中学が今年度は半減しそうだという、主な理由は「航空料金や宿泊費の値上がり」だそうだ。

 心配したが、国際通りや糸数アブチラガマを見る限り、修学旅行生は結構いた。全体の状況は分からないが、沖縄への修学旅行が減らないことを祈る。

 だが同時に、修学旅行の難しさも思う。生徒たちは沖縄で何を観て何を思うのだろうか。

 糸数アブチラガマを見学した生徒たちは、案内センター横の「日の丸」の群れに囲まれて説明を受け、帝国陸軍の兵器の前を通ってガマの入口に向かう(15日のブログ)。

 対馬丸記念館でも修学旅行生たちと一緒になった。生徒たちは15日に撤去されるまで「天皇・皇后写真」を入口で見なければならなかった(16日のブログ)。

 同記念館は修学旅行生に館と関係がある「小桜の塔」へも行くよう薦めるが、すぐ隣の「海なりの像」(民間の遭難船犠牲者の碑)については推奨も言及もしない(平良次子館長によって見直されることを期待したい)。

 難しいのは修学旅行だけではない。

 いまNHKは「ちゅらさん」(2001年の朝ドラ)を再放送している。沖縄では再放送にちなんで主演の国仲涼子らによるイベントがあった。たしかに面白いドラマで、当時夢中で見た。しかし、あのドラマは見事に沖縄戦や基地問題を回避している。

 7日付の琉球新報に興味深い記事があった。「ちゅらさん」の冒頭、タイトルと共に映し出される島(写真左)。あれは「入砂島」といって「那覇市の北西約60㌔に位置し、島全体が米軍の射爆場」となっているそうだ。

 記者はそこになんらかのメッセージを込めたのかと当時の製作スタッフを取材した。制作責任者は、その意図は全くなくただ映像効果を考えた選択だったと述懐している。

 「不屈館」(故・瀬長亀次郎氏の資料館)も久しぶりに訪れた。受付には瀬長氏のポスターとともに、島田叡を賛美した映画「生きろ」(佐古忠彦監督=TBS)のポスターが掲示してあった(写真右)。DVDも販売されている。佐古氏が以前、瀬長氏のドキュメントを制作して以来、同館とは親交がある。

 「不屈館」を訪れる「平和・民主勢力」は少なくない。その人々が、島田叡の本質、その美化の危険な政治的意味をどれだけ認識できるだろうか。

 ものごとはすべて多面的で、その中から本質を見抜くことは難しいが、沖縄はとくにそうだ。それだけ沖縄の歴史と現実は複雑だ。
 だからこそ、沖縄の歴史と現実を正確に理解すること(理解しようと努めること)はとりわけ重要だと再認識した。

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