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ゼレンスキー大統領の来日・G7 広島サミットへの対面参加をめぐる経過には、重大な問題があると先に書きました(22日のブログ)。その後、23日の朝日新聞デジタルがその背景を報じました。記事の概要はこうです。
< 3月21日に岸田首相がウクライナを訪問した際、オンラインによる参加を要請し、了承を得ていた。
4月下旬、対面参加の希望が外交ルートを通じて伝えられた。首相は「詰めるべき論点はたくさんあるな」と漏らしたが、来ないでくれとは言えない、との思いから調整を始めるよう指示した。
19日、外国メディアが「訪日」を報じたが、政府関係者は取材に「オンラインで変わりない」と口をそろえた。首相自身も19日夜、ウクライナ政府がオンライン参加だと発表していると説明。
サミットの成果を埋もれさせないため、通常、最終日に公表される首脳声明を1日前倒しで公表。準備が追いつかず日本語訳は1日遅れとなった。>
以上の記事が事実とすれば新たに分かったのは次の点です。
①岸田首相とゼレンスキー氏の間ではもともと「オンライン参加」での合意(3月21日=写真左)があり、「対面参加」はウクライナ側がそれを覆して要求したもの。岸田氏は「来ないでくれとは言えない」心境だった。
②「対面参加」の希望は4月下旬に伝えられたが、実際に決まったのは来日直前で、突然の決定に日本政府は「声明」の日本語訳も準備が追いつかないほどだった。
一方、さらに疑問が深まったことがあります。それは、岸田首相が「来日決定」を正式に知ったのはいつかということです。
19日には知っていた(ウクライナ政府から公式連絡があった)のなら、それでも同日夜記者団に「オンライン参加」だと言ったのは、すでに「秘匿」の意味もない、きわめて不可解なウソの繰り返しだったことになります。
もしも19日夜の段階で公式な連絡がなかったのなら、ウクライナ政府は自国では発表していながら日本政府には伝えていなかったことになり、極めて重大な外交上の汚点と言わねばなりません。
この点は明確にされる必要があります。なぜなら、これは戦時体制に急接近している日本(国家権力)とメディアの報道の自由=市民の知る権利との緊張関係を示す象徴的な問題だからです。
戦争で真っ先に犠牲にされるのは真実である、という言葉の通り、ロシアでもウクライナでも政府による厳しい報道統制が行われています。日本はいま、「軍拡(安保)3文書」による大軍拡とウクライナ戦争に対するアメリカ追随によってその入口に立っています。
こういう時だからこそ、メディアは国家権力を監視する本来の機能を果たさなければなりません。国家権力との対峙、報道の自由、知る権利の擁護のために、ゼレンスキー氏の来日を巡る経過、とりわけ5月19日夜の岸田首相発言の真相を、メディアは徹底究明し自己検証しなければなりません。
※27日から3日間、韓国へ行きます。その間、ネット環境によってブログが書けない可能性があります。その際はご了承ください。6月1日からは通常通り書きます。