アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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広島市長の「教育勅語」賛美と「はだしのゲン」排除

2024年03月29日 | 天皇制と日本の政治・...
   

 広島市の松井一実市長(自民・公明推薦)が、市職員研修で「教育勅語」を教材に使い賛美していたことが問題になり批判を浴びましたが(2023年12月)、松井氏は27日の定例会見で、「新年度以降もちゃんと説明しながら使いたい」と述べ、職員研修で使い続ける意向を示しました(27日付朝日新聞デジタル、写真左)。

 松井氏は1月18日の定例会見では、この問題を質問する記者に対し、「あなたの質問にはお答えしません」などと答弁拒否さえしています(1月19日付京都新聞=共同)。

 「教育勅語」は「大日本帝国憲法」施行1カ月前の1890年10月30日、天皇睦仁(明治天皇)が山県有朋首相に下賜し、翌日文部省訓令という形で発布されたもので、侵略戦争・植民地支配を推進する強力な武器となりました。

 敗戦後、衆参両院でその「排除・失効」が決議されました(1948年6月19日)。決議は「(勅語の)根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、且つ国際信義に対して疑念を残すものなる」と明記しています。

 「教育勅語」は現憲法の主権在民、平和主義、基本的人権尊重に真っ向から反するものです。だから国会は「排除・失効」を決議したのです。それを職員研修で「生きていく上での心の持ち方」の教材として使うのは、公務員の憲法尊重・擁護義務を明記した憲法(第99条)に明らかに反しています。

 27日の会見で注目されたのは、松井氏が「政府が17年に教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」との答弁書を閣議決定したことに言及」(27日付朝日新聞デジタル)して自身の正当化を図ったことです。

 この答弁書は、当時「森友学園」問題で安倍晋三首相や稲田朋美防衛相の「教育勅語」賛美が問題になった際に安倍政権が閣議決定したものです。上述のように、「教育勅語」と「憲法・教育基本法」は二律背反であり、安倍政権の答弁書自体が荒唐無稽な弁明書です。松井氏がそれを言い訳に使ったことは、「教育勅語」使用・賛美が安倍元首相の歴史修正主義と軌を一にするものであることを自ら示したものと言えます。

 さらに想起すべきは、松井市政の教育委員会が昨年、市立小中高校で使う教材に掲載していた「はだしのゲン」(作・中沢啓治)を削除(排除)したことです(23年2月18日のブログ参照)

 「教育勅語」賛美と「はだしのゲン」排除。一見無関係のようですが、実は極めて密接に結びついています。なぜなら、「はだしのゲン」は侵略戦争・植民地支配を強行した天皇(制)に対する痛烈な批判文学だからです。

 たとえばゲンは、中学の卒業式で「君が代斉唱」が始まろうとする時、立ち上がってこう言います。
「なんで君が代を歌うんじゃ。わしゃ歌わんぞ。君が代の君は天皇のことじゃ。わしゃ天皇はきらいじゃっ。なんできらいな天皇をほめたたえる歌を歌わんといけんのじゃ。天皇は戦争犯罪者じゃ」(第10巻)

 もちろん広島市がもともと教材に使っていた「はだしのゲン」に天皇(制)批判があったわけではありません。しかし、日本会議など右翼勢力が「はだしのゲン」を目の敵にしている大きな理由はその天皇(制)批判にあります。

 松井氏の「教育勅語」賛美と「はだしのゲン」排除に通底しているのは、天皇の侵略戦争・植民地支配の隠ぺいであり、天皇制の擁護です。

 山本一太群馬県知事の朝鮮人追悼碑撤去(破壊)とともに、松井広島市長の「教育勅語」賛美・「はだしのゲン」排除は、安倍政権の歴史修正主義の流れをくみ、地方から侵略戦争・植民地支配の歴史を棚上げして戦争国家化を進める動きとして軽視できません。
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