アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

宮古島自衛隊基地反対闘争から学ぶもの

2024年05月20日 | 沖縄と日米安保・米軍・自衛隊
      

 陸上自衛隊宮古島駐屯地(野原地区)から車で20分ほどの保良(ぼら)地区に、弾薬庫・射撃訓練場があります(写真1)。

 ゲート前で5年間抗議の座り込みを続けている下地博盛さん(ミサイル・弾薬庫配備反対!住民の会共同代表)と妻・薫さんの姿が今日(17日)もありました(写真5。右から下地博盛さん、薫さん、共にたたかっている砂川さん)

 弾薬庫はすでに第1棟、第2棟が完成し(写真2の左が第1、第2棟)、現在第3棟を建設中(写真3)。緑の防風林がそれに接し、その向こうはもう民家です(写真4)。下地さんの自宅は「自衛隊基地のフェンスから100歩の所」(薫さん)。まさに陸自弾薬庫は民家の目と鼻の先にあるのです。

 そんな重大な基地建設にもかかわらず、政府・防衛省が行った住民説明会は2019年の1回だけ。予備情報も乏しく、防衛省の一方的な「説明」でした。その後はいくら説明を求めても、追及しても、まともに答えることはありません。

 そんな防衛省・自衛隊を相手に、下地さんたちは1つひとつ自分たちで調べ、知識を広げてきました。薫さんの説明には専門用語がいくつも出てきます。知識はたたかいの“武器”、人はたたかいの中で鍛えられ成長するものと痛感します(写真6は、資材を搬入するトラックの特徴をメモする薫さん)。

「でも、(調査が)間に合わないんです。(基地建設をめぐる)動きが速くて」(薫さん)

 もう1つ、下地さんたちには大きな“強み“があります。それは「私らはここに住んでいる住民だ」ということです。

 高圧的な自衛隊も下地さんたち住民を無視することはできません。だからこそ事実を隠そうとし、地域のイベントに参加して融和を図ろうとするのです。

 この日、下地さんたちの座り込みの場にはカセットから音楽が流れていました。下地さんは「ゲート前でなにがしか楽しめるものを」と呼び掛けています。「ここは私たちが楽しんでいい私たちの生活の場だ」ということを示すためです。

 「ここは私らが住んでいる土地。その土地を守る」―そんな生活者・主権者としての権利意識が、宮古島の基地反対闘争を支えている強い思想です。

 逃げ場のない島に基地が集中しているという先島(沖縄)の特殊な(差別的な)要素もあります。しかし、生活の場に軍隊(米軍・自衛隊)の基地が入り込んでくる(きている)のは「本土」も同じです。「本土」に住む私たちに、どれほど「生活者・主権者」としての権利意識があるでしょうか。

 ベールに包む防衛省・自衛隊に対し、自分たちで1から調べ、知識を広げていくことは確かに素晴らしいことです。しかし、それは本来、メディアや学者・研究者・識者がすべきことです。彼らがその責任を果たしていないから、住民が調べなければならないのです。それではどうしても「間に合わない」ということになります。

 たたかう宮古島(先島)の人びとから「本土」の私たちが学ぶべきものはたくさんあります。学んで自分の生き方に生かさなければなりません。先島の、沖縄のたたかう人びとを孤立させてはいけない、と痛感します。
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