アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「加害」に言及しない明仁天皇は批判しないのか

2017年08月17日 | 天皇と戦争・戦争責任

     

 15日の政府主催「全国戦没者追悼式」を報じたテレビや新聞は、異口同音に、天皇明仁が「深い反省」を口にしたことを「変わることのない、平和への思い」(16日付朝日新聞1面トップ)などと絶賛する一方、安倍首相が「アジア諸国への加害責任には今年も触れなかった」(16日付中国新聞=共同配信)ことを批判的に報じました。

 安倍氏が加害責任に5年連続言及しなかったのは、加害責任など微塵も感じていない安倍氏の右翼的本質を表したもので、厳しく批判されるのは当然です。
 しかし、加害責任に触れていないのは安倍氏だけではありません。天皇も同じです。
 天皇はこう述べました。

 「ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対して、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」

 「深い反省」の文言が入ったのは2年前の2015年からです。その時は「さきの大戦に対する深い反省」となっていました。それが、翌16年から「さきの大戦に対する」が削除され、今年と同じ文言になりました。

 天皇の「深い反省」が何について言っているのか分かりません。「さきの大戦に対する」を削除したため(削除したこと自体きわめて政治的です)、一層分かりにくくなりましたが、削除しなくても「先の大戦」の何に「深い反省」を加するのか分かりません。

 文脈からすれば、「さきの大戦」で多くの日本人・日本兵(皇軍兵士)が「戦陣に散り戦禍に倒れた」ことを「反省」すると言っているように思われます。
 明確なことは、天皇がアジア諸国民に対する「加害責任」や「謝罪」については一言も触れていないことです。
 これは明仁天皇の歴史観と深くかかわっていると言わざるをえません。

 明人天皇は皇太子時代を含め、会見などでたびたび戦中戦後の歴史観を語っています。注目されるのは天皇裕仁(昭和天皇=実父)に対する評価です。

 43年前、皇太子当時の「誕生日会見」(1974年12月18日)でこう述べています。
 「陛下(昭和天皇)の中に一貫して流れているのは、憲法を守り、平和と国民の幸福を考える姿勢だったと思います。昭和の前半の二十年間はそれが生かされず、多くの人命を失い、日本の歴史の中でも悲劇的な時期でした」(保阪正康氏『明仁天皇と裕仁天皇』より)

 さらに、天皇に即位してからの24年前の「誕生日会見」(1993年12月20日)でもこう述べています。
 「昭和天皇のことに関しては、いつも様々に思い起こしております。その一つ一つを取り上げていうことは、難しいと思いますが、やはり、昭和の初めの平和を願いつつも、そのような方向に進まなかったことは、非常に深い痛みとして心に残っていることとお察ししております」(宮内庁HPより)

 ここに示されているのは、明仁天皇は裕仁天皇が一貫した平和主義者であり、むしろ戦争の犠牲者だったと考えていることです。天皇裕仁の戦争責任、アジア諸国侵略・侵攻の加害責任など毛頭念頭にありません。明仁天皇のこうした昭和天皇への評価、アジア太平洋戦争に対す見方と「追悼式」での言葉はけっして無関係ではないでしょう。

 安倍首相の加害責任回避が批判されてしかるべきであるように、明仁天皇が加害責任に言及しないことも当然批判されなければなりません。天皇なら批判されるべき言動も「賛美」に代わるという本末転倒の「天皇タブー」を許すことはできません。

 


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