アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

自衛隊(軍隊)配備への石嶺宮古島市議の正当な危惧・警鐘

2017年03月23日 | 沖縄と基地

        

 また沖縄の新聞を読まない「本土」の人間の多くは知らない重大な事態が、沖縄(宮古島)で発生しています。経過の概要はこうです。

 1月の補欠選挙で初当選した石嶺香織市議は3月9日のフェースブックに、アメリカの海兵隊基地で陸上自衛隊が実弾射撃訓練を行っていることを示したうえで、「海兵隊からこのような訓練を受けた陸自が宮古島に来たら、米軍が来なくても絶対に婦女暴行事件が起こる」と投稿。これに対し、「自衛隊への侮辱」などとネットが「炎上」。石嶺議員は12日、「『事実に基づかない表現でした。おわびして撤回いたします』などと謝罪」(14日付琉球新報)しました。

 にもかかわらず宮古島市議会は21日、「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別」だなどとして石嶺議員に対する「辞職勧告決議案」を、賛成多数(賛成20、反対3、欠席1)で可決(市議会史上初)。石嶺議員は「私は市民が選んでくれた議員であると自覚している」として辞職を否定。

 これに対し、翌22日の宮古島市議会で、石嶺議員の質問時に保守系市議15人が退席。定足数を割ったため流会し、石嶺議員は質問できないという事態が発生。
 
 宮古島市議会には「石嶺市議の家族に対して性的暴行を示唆するようなメール」(22日付琉球新報)も寄せられ、宮古地区自衛隊協力会など自衛隊関係3団体は22日、石嶺市議に対し「公開質問状」を手渡す。

 以上の経過で痛感するのは、事態の本質を見極めることの重要性です。

 石嶺議員が「絶対に婦女暴行事件が起こる」と断定したことは、たとえ娘をもつ母親としての切実な思いが背景にあるとしても、はやり適切ではありません。議員としての発言は重いものです。石嶺議員が謝罪し撤回したのはそれを自覚したためでしょう。
 
 しかし、石嶺議員の投稿(発言)の本質は、そこにあるのではありません。

 自衛隊配備によって「婦女暴行事件が起こる」可能性が(配備しない状況より)高まるのは誤りとは言えません。なぜなら、自衛隊はれっきとした軍隊であり、軍隊と「婦女暴行」は密接な関係にあるからです。

 「軍隊と婦女暴行(強姦)」の関係は、帝国日本の軍隊(皇軍)が中国はじめ東アジアでおこなった蛮行の歴史を振り返れば明白です。軍主導の「性奴隷(従軍慰安婦)」問題も不可分です。宮古島にも朝鮮人慰安婦などの「慰安所」がありました。

 「軍隊と婦女暴行」の関係はけっして過去の話ではありません。自衛隊が派遣されている南スーダンで、「政府軍」兵士らによって国連職員などの女性が被害に遭ったことは記憶に新しいところです。米軍内で性被害(セクハラ)が多発していることは広く報道されています。

 さらに、米軍基地があるがゆえに「婦女暴行事件」の被害を受け続けている沖縄の人びとにとっては、「軍隊と婦女暴行」の関係は身に染みている現実です。その米軍に陸自が訓練を受けていると指摘したうえで石嶺議員は「婦女暴行事件」について述べています。

 石嶺議員の投稿(発言)の本質が、こうした「軍隊と婦女暴行事件」の関係に対する危惧・警鐘であることは明白です。

 にもかかわらず、市議会が「辞職勧告決議」をあげ、さらに辞職しないからといって(「勧告決議」には法的拘束力はない)議員の最大の権利であり義務である議会質問を妨害するのは言語道断です。

 石嶺議員は補選で当選する前から一貫して自衛隊配備に反対してきました(写真左は昨年11月20日の「平和集会」で発言する石嶺さん)。保守系議員やネット上での石嶺議員や家族に対する過剰・筋違いの攻撃は、石嶺議員のミスに乗じて自衛隊配備反対運動に圧力をかかけようとするものとしか思えません。

 自衛隊員が災害救助に奮闘していることは事実ですが、それと戦場で武器を持つ隊員はまったく別人格です。歴代自民党政府は両者を意図的に混同する(あえて「災害救助専門組織」をつくらない)ことによって、自衛隊の軍隊としての本質を隠し、「親近感」をもたせようとしています。これこそ「災害救助」などで奮闘する隊員に対する「侮辱」ではないでしょうか。

 陸自を長年取材している三島正氏(カメラマン)は一緒に取材した杉山隆男氏の『兵士に聞け 最終章』(新潮社)を紹介する文章の中で、「本書には、私にも忘れられない言葉がある」として、ある上官が、「災害派遣になると、部隊が燃えるんです」と語ったことをあげ、「人は誰かの役に立っていることで、やりがいを感じ、自分に存在価値を見出す」と述べています(『波』3月号、新潮社)。これが多くの自衛隊員の本音でしょう。

 石嶺議員は軍隊ーその本質は人の殺傷と破壊であり、兵士の多くも精神異常をきたすーとしての自衛隊の配備に反対しているのです。それは「侮辱・差別」どころか、むしろ「人の役に立ちたい」と願う自衛隊員の思いに沿うものではないでしょうか。
 


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