昨5月17日に那覇市で行われた「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」を、琉球新報の中継(録画)で見ました。
3万5000人の参加(主催者発表)でセルラースタジアムを埋め尽くした熱気は、辺野古に新基地を造らせない県内外の意思・決意を改めて強く示しました。
そのことの意味はたいへん大きく、安倍政権にとって痛打であることは間違いありません。
同時に、登壇者の多くが強調していたように、沖縄のたたかいはこれからますます重要な局面を迎えます。
今後のたたかいのために、大会の成果とともに、問題点をリアルに見る必要があります。
問題点の第1は、「大会決議」にも、12人の登壇者の発言の中にも、「高江のヘリパッド」「与那国・宮古・石垣への自衛隊配備増強」への言及、抗議が一言もなかったことです。
それは大会が「辺野古」に特化したものだからなのか、それとも「オール沖縄」の一致点になっていないからなのか。
いずれにしても、私は言及されるべきであったと思います。なぜなら、辺野古に新基地を造らせないたたかいと、高江、八重山のたたかいは切っても切れない、というより一体のものとして取り組む必要があると考えるからです。
第2の問題点は、「辺野古新基地反対」と「翁長知事支持・激励」が混然一体化していることです。
翁長氏を支持する人にとっては、それは一体でしょう。しかし、辺野古新基地には絶対反対だが、翁長氏を支持することはできない、という人もいるはずです。私もその1人です。そういう人たちの声・意見が、大歓声(大会会場だけではありません)の中でかき消されることは、辺野古のたたかいのみならず、今後の沖縄のたたかいに大きな禍根を残すことになります。
あらためて問題提起します。翁長氏は、沖縄から基地を撤去して平和を求める沖縄県民の代表として、はたしてふさわしい人物でしょうか。
私は、そうではない、という思いを昨日の大会でいっそう強くしました。主な理由を2つ挙げます。
①なぜ「埋め立て承認撤回」に一言も言及しないのか
翁長氏はあいさつでこう述べました。「県の有するあらゆる手法を用いて辺野古に新基地は造らせない。この公約実現に向けて全力で取り組んでいくことを改めて決意します」
知事選直後ならこれでいいでしょう。しかし、あれからもう半年たっているのです。その間安倍政権による工事強行策動は進み、現地では体を張ったたたかいが連日続けられています。
「あらゆる手法」という抽象的な言葉を繰り返すときではありません。安倍政権は「前知事が公約をひるがえし行った埋め立て承認を盾に」(大会決議)工事を強行しようとしているのです。翁長氏がいまやるべきことは、その埋め立て承認の撤回でなくてなんでしょうか。
翁長氏はこの大会を「訪米行動への弾み」(18日付琉球新報)にする意図だったといわれています。27日からのその「訪米」について、オリバー・ストーン監督のメッセージに尽力したと大会でも紹介された乗松聡子さん(「ジャパンフォーカス」エディター)は、先に訪米した玉城デニー衆院議員の経験を踏まえ、こう指摘しています。
「『民意』を伝えるだけでは足りない」「埋め立て承認撤回か取り消しをした上で訪米をしてこそ説得力を持つ」(16日付琉球新報)
同じ意見の人は少なくないのではないでしょうか。そして昨日の大会で翁長氏の口から「撤回」の言明がなされることを期待していた人もいたのではないでしょうか。
しかしその期待は見事に裏切られました。翁長氏は「取り消し」も「撤回」も一言も口にしなかったのです。
②日米安保・軍事同盟を支持、賛美して、基地撤去の先頭に立てるのか
第2の理由は、翁長氏が明確に日米安保条約・軍事同盟を支持・賛美していることです。それは翁長氏の持論ですが、その姿勢がますますはっきり表れてきています。昨日に大会あいさつから抜粋します。
「日本の安全保障は日本国民全体で負担する気構えがなければ・・・仮想敵国から日本の覚悟のほどが見透かされ、抑止力から言っても、私は、どうだろうかなと思っている」
「自国民に自由と人権、民主主義という価値観を保障できない国が、世界の国々とその価値観を共有できるでしょうか。日米安保体制、日米同盟というものは、私はもっと品格のある、世界に冠たる誇れるものであってほしいと思っています」
「自由と人権と民主主義の価値観を共有する国々との連帯を目指す日米同盟がそんなこと(普天間基地の放置)はできないと思っています」
「私たちは積極的平和主義の名の下に、中東まで視野に入れながら、これから日米同盟が動くことを考えると、沖縄はいつまで世界の情勢に自らを投げ捨てなければいけないのか」
「どうか日本の国が独立は神話だと言われないように、安倍首相、頑張ってください」
最後の言葉も、けっして皮肉ではないようです。
翁長氏は短いあいさつの中で「日米同盟」を3回、「日米安保体制」、「抑止力」「積極的平和主義」を各1回、いずれも肯定的に口にしました。要は、「品格のある日米同盟」のために、「日本の安全保障は日本国民全体で負担」すべきだというのが、翁長氏の考えの神髄です。
いったい「品格のある日米同盟」とはなんですか?日米同盟は言うまでもなく、戦争を想定した軍事同盟です。軍事同盟に「品格」なるものがあるのですか?
大会で紹介されたオリバー・ストーン監督のメッセージはこう述べています。
「『抑止力』の名の下に建つ巨大な基地は一つのうそだ。アメリカ帝国が世界中を支配する目標を進めるためのもう一つのうそだ。この怪物と闘ってくれ」
ストーン氏は、「抑止力」のうそにごまかされることなく、世界中を支配しようとしているアメリカ帝国と闘ってほしい、その闘いにおいて連帯しよう、と呼び掛けているのです。
「日米同盟」「抑止力」「積極的平和主義」を支持・賛美する翁長氏が、このメッセージに応えられるでしょうか。
辺野古新基地反対のたたかいに、日米同盟支持の人も加わることができるのはもちろんです。安倍政権を支持する人だって参加できます。すべきです。しかし、そうした市民の参加と、県知事の立場を同列に考えることはできません。日米軍事同盟を支持する県知事が、「沖縄の基地は私たちが撤去させる」(安次富浩ヘリ基地反対協共同代表)という県民のたたかいの先頭に立てるでしょうか。
稲嶺名護市長は壇上で、「われわれは知事を選んだ以上、知事を守る責任がある」と述べました。逆ではありませんか?守る責任があるのは翁長氏の方です。翁長氏は、「私が(知事選で)当選すれば、その民意で(埋め立て承認は)撤回できる」と言明していたのです。翁長氏はその公約を守る責任があります。
そして、翁長氏を知事に選んだ人たちには、翁長氏に公約を実行させる「責任」があるのではないでしょうか。
※次回は21日(木)に書きます。