アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

桑田佳祐と紫綬褒章と天皇制と琉球

2015年02月10日 | 天皇・天皇制

         

 中東の事態で書くタイミングを逸しましたが、はやり書いておくべきだと思うので書きます。

 サザンオールスター・桑田佳祐の年末ライブとNHK紅白歌合戦でのパフォーマンスに対し、ネット上などで「批判・抗議」が殺到しました。問題とされたのは、次のような点です。
 ①ライブで紫綬褒章の授与式での天皇の言葉をまねた。
 ②紫綬褒章をポケットから出して見せ、オークションにかけるまねをした。
 ③紅白歌合戦で「ちょびヒゲ」をつけて登場したことがヒトラーを連想させた。
 ④紅白歌合戦で歌った「ピースとハイライト」が政権批判ととられる内容だった。

 「批判・抗議」に対し、桑田氏は「天皇陛下を心から尊敬申し上げております」と「釈明」するとともに、所属会社アミューズと連名で、「紫綬褒章の取り扱いに不備があった」などとし、「深く反省し謹んでお詫び申し上げます」とするコメントを発表しました(1月15日)。

 これは、文化・芸術活動の自由、表現の自由にかかわる重大な問題です。桑田氏はネトウヨなどの不当な圧力に屈して、「謝罪」すべきではありませんでした。
 多くの問題がある中で、ここでは紫綬褒章について考えます。

 紫綬褒章(写真右。全国官報販売協同組合発行『勲章と褒章』より。写真左も)は、6つある褒章(綬の色により他に紅綬、緑綬、黄綬、藍綬、紺綬)の1つで、「学術、芸術に関して事績の著しい者」に与えられるとされています。

 褒章は勲章制度の一環です。勲章と褒章の違いは、「勲章はその人の生涯を通じての功績を総合的に判断して授与されるのに対し、褒章は特定の表彰されるべき事績があれば、その都度表彰される」(前掲書)ということです。

 近代勲章制度の始まりは、1875(明治8)年の明治天皇の詔勅と、それを受けた同年の太政官布告(第54号)です。「勲章はその創設期から、国家にとって功績のあった人間を国家が選び、天皇が与えるもの、いいかえれば『大日本帝国』の統治者、天皇を守る人々をつくるためのものであった」(栗原俊雄『勲章―知られざる素顔』)のです。

 問題は、天皇主権の「大日本帝国憲法」下の勲章制度が、敗戦後、主権在民の「日本国憲法」の下でも引き継がれたことです。
 今日の勲章制度は、憲法7条「天皇の国事行為」10項目の1つ、「栄典を授与すること」に基づいて行われているのです。
 これは第1条からの「象徴天皇制」の大きな問題の1つです。

 戦前の勲章制度と戦後のそれがまったく同じだとは言いません。しかし、戦後(今日)の勲章制度が、「象徴天皇制」を支える役割を果たしていることは確かです。それは政府が勲章制度を、「天皇と国民を結ぶ役割を果たしている」(2001年「栄典制度の在り方に関する懇談会報告書」)と誇示していることからも明らかです。

 したがって、これまでに叙勲を辞退した文化人は少なくありません。
 例えば、大江健三郎氏は1994年、文化勲章(1937年創設)を辞退しました。その理由を大江氏は米「ニューヨークタイムズ」紙で、「私が文化勲章の受賞を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観を認めないからだ。これはきわめて単純だが、非常に重要なことだ」と語っています(前掲『勲章』)。

 また作家の城山三郎(故人)は大江氏の文化勲章辞退について、当時、「スジを通して立派なことだと思う」とし、次のようなコメントを寄せています。
 「言論、表現の仕事に携わるものは、いつも権力に対して距離を置くべきだ。権力からアメをもらっていては、権力にモノを言えるわけがないから」(朝日新聞1994年10月15日付夕刊)
 そして城山自身、紫綬褒章を辞退し、夫人に「自分が死んでも決して受け取らないように」と念を押したといいます。

 桑田佳祐氏に、大江氏や城山三郎のように、「紫綬褒章を辞退すべきだった」と言うのはないものねだりでしょう。しかし、少なくとも自分のパフォーマンスに自信と矜持を持ち、不当な攻撃には毅然とした態度で臨んでほしかったと思います。

 ところで、調べているうちに、日本の勲章の発祥は、明治維新の前年、1867年の「パリ万博」に、薩摩藩が持参した「薩摩琉球国勲章」(写真左)であることが分かりました。「薩摩藩は日本が幕府の統治の下にまとまっているのではなく、分割統治された藩の集合体であるという印象を与えるために」(前掲『勲章と褒章』)この勲章をナポレオン3世らに贈ったのです。これがその後、明治政府作製の勲章のモデルになり、今日に継承されているのです。

 薩摩藩は1609年、武力で琉球国を侵略・併合しました。「琉球国」の名を冠した勲章を作製することによって、幕府に並ぶ「権力」を誇示したのです。
 勲章は制度発足の前から権力誇示の道具であり、しかも琉球(沖縄)の侵略(植民地化)とかかわりがあったわけです。なんという歴史の偶然、いや、必然でしょうか。

 安倍政権が「天皇元首化」の「憲法改定」を計画し、「象徴天皇制」の下で新たな「天皇の政治利用」が進行し、そして「表現の自由」が脅かされている今日、「勲章制度」が持つ意味を軽視することはできません。


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