五稜郭公園裏門の橋の下のスイレン
五稜郭公園を彩るサクラの後のフジとツツジも終わり、今は堀の水面にヒツジグサ(未草)ともスイレン(睡蓮)とも言われる花が咲いている。
子供のころからこの手の花をスイレンと呼んでいたが、ヒツジグサの別名があることを知ったのは10年ほど前である。今では同じもののように言われているが、この2つの呼び名は同じものなのか、違うものなのか、気になっていろいろ調べてみた。
結論から先に書くと、どちらもスイレン科スイレン属に属するが、今日目にする多くは明治以降観賞用として入ってきた外来種がほとんどで、日本原産はヒツジグサ(未草)という1種類のみだったとのこと。日本古来ヒツジグサは、白い花のみで直径3~4cmほどで花弁数も少なく、世界最小のスイレンだそうだ。尾瀬に咲くヒツジグサは直径が500円玉くらいの大きさしかないとかか。
外来種はいろいろな色を呈し、日本本来のヒツジグサよりは花も大きく花弁数も多い。こうしてみると、五稜郭公園のものは白い花もあるがすべて外来種のようである。
五稜郭のピンク色のスイレン
五稜郭公園の赤いスイレン
日本古来のヒツジグサ(他サイトより借用)
日本古来のヒツジグサは、今では外来種に追いやられて、見ることができる場所も限られるそうだ。登山中に湿原の池沼で目にしたものはそれなのかもかも知れない。
◎ヒツジグサとスイレンの名前の由来
ヒツジグサ(未草)は、「未の刻(午後2時ごろ)から咲き出す」ことが由来のようだ。しかし、実際は朝から夕方まで咲いている。
おもしろいことに、『大和本草』(1709年)に、「京都の方言で呼ばれているもので、未の時から花が閉じることから」と説かれていて、『和漢三才図絵』(1712年) 、『本草図譜』(1828年)では正反対に「未の時に花が開く」と紹介しているとのこと。実際は夕方には花を閉じ始めるので、『大和本草』の説の方が生態が合っているように思われる。
牧野富太郎博士は、このどちらの説が正しいのか実際に確かめるために、京都の巨椋池で早朝から夕方まで観察を続け、花は正午から午後3時頃までに咲き、夕方5~6時頃に閉じることを確かめたというエピソードが残っている。
自分も実際に日本古来のヒツジグサを観察したことはないが、五稜郭公園の花は朝から咲いていて、夕方の4時~5時ごろに行くと閉じていることが多い。日本古来のヒツジグサは、咲き始めるのがもっと遅いのかも知れない。
スイレン(睡蓮)も和名だが、ヒツジグサは夜には花を閉じて水中に隠れ、昼はまた水面に浮かぶことから睡る(ねむる)蓮、睡蓮の漢名があてられていることが『大和本草』に書かれているという。
『大和本草』の刊行された江戸時代、まだ日本にはヒツジグサしか存在しないので、睡蓮と言えばヒツジグサを指したようだ。
こうしてみると、ヒツジグサをスイレンと呼ぶのは間違いではないが、今日の外来種や園芸品種の睡蓮とヒツジグサは、異なるものということになる。
ややこしい話だが、睡蓮とは広義にはスイレン科スイレン属の植物の総称であり、狭義にはヒツジグサの異称でもあるけれど、外来種や園芸品種の睡蓮を指してヒツジグサとは言えないことになる。
北海道には、エゾヒツジグサや雨竜沼湿原にはエゾベニバナヒツジグサなどというものも存在するようだ。いつか機会があったら、ぜひ確認してみたいものだ。
エゾヒツジグサ(他サイトから借用)
雨竜沼湿原に咲くエゾベニバナヒツジグサ(他サイトから借用)~雄しべの葯と、雌しべの柱頭盤の両方が紅紫色
外来種のスイレンは、北斗市の八郎沼でも見られる。また、標高が高いので8月ごろになると横津岳の雲井の沼にも赤いスイレンを見ることができる。横津岳のスイレンは、昔はなかったので、誰かが持ち込んだものだと言われている。
北斗市八郎沼のスイレン~赤とピンクの花が見られる(2018年7月3日撮影)
横津岳雲井の沼のスイレン(2018年9月18日撮影)
晩秋の五稜郭公園で見られる紅葉したスイレン(2018年11月30日撮影)
◎8回目の練習ラン(備忘録)
あとひと月後の函館マラソンに向けて7回目の練習ランに位置付けた「千歳マラソン」から4日目経過し、足の張りもなくなったので走ってみた。
函館新道入口までの往復の10km走に挑戦。これまでの練習ランより少しスピードを上げて走った。4kmまでは6分/kmちょっとで走れたが、往路の最後の1kmは斜度がきついこともあるがへろへろだった。
①6'14 ②6'00 ③6'00 ④6'05 ⑤7'00
折り返し地点で5分ほど休んだ。復路は緩い下りなので6分/kmを切って走りたかったが、7kmで苦しくなって8kmまでは歩いた。そして、最後の2kmをまた6分を切って走った。
⑥5'47 ⑦6'00 ⑧(歩き)10'14 ⑨5'56 ⑩5'36
本番は6分イーブンを少し切って走ることが目標である。練習の10kmならもっと楽に6分を切って走れなくてはならない。今日は6分ってこんなに速かったろうかと思うくらい、懸命に走らなくてはならなかった。まだ千歳の疲れもあるのかもしれない。今後の練習に期待したい。