つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

見る将棋

2024年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
将棋の中継を見るようになったのは、去年の2月ごろからです。
思えば佐橋の不調に伴い、私も寝込んでしまうことがこのころには多くありました。

たまたまネットで流れていた中継を見ていると、将棋のルールを全く知らない私でも画面上に映るAIの評価値で今どちらの棋士が優勢であるかがすぐにわかり楽しめました。また話題の藤井聡太さんは愛知県瀬戸市のご出身という事も興味深いことでした。三英傑は勿論、この地域は戦士の気質を育てる土壌のようなものがあるように思えます。


一年以上経った今も私は全く将棋のルールを知りません。詳しくなったのは棋士のお名前とお顔、そして専門用語です。

長いと2日間、先日の名人戦では24時間以上を正座か胡座で座り、将棋盤を挟んで2人の棋士が頭を突き合わせて考え続ける。

朝、対局開始の姿を見て、熱にうなされひと眠りして目覚めても、朝の様子と全く同じ画面で2人が考え続けている。
全てが嘘のように速いスピードで流れていってしまう現代においてこの光景は一種異様であり、私にとってはとても新鮮でした。
日本人の人生観や美意識が随所に見られるように思います。



囲碁の中継も時々は見ますが、やはり将棋の方が駒の美しさからでしょうか?少し湿り気というか情が感じられて好きです。

藤井聡太さんの将棋の強さについては、プロ同士であってもその理由さえ分からない状態だと思うので何もお伝えできませんが、
AIが99%負けと判断する将棋から、ひとたび相手の隙を感じると、一挙に盤上の駒全てをイキイキと操り勝利を得る。
誰が見ていてもハラハラドキドキ、そして水戸黄門ように必ず勝つ!藤井さんの登場とAIの進化のおかげでこの感動が将棋を知らない「見る将」の層を育てているのだと思います。

さて、年に8つ催されるタイトル戦は日本中のホテル、旅館、時には寺院や能楽堂、空港などでも行われます。この将棋ブームによって全国からタイトル戦の誘致、また協賛が増えているようです。

そこで私の興味はやはり、棋士たちのお着物と施設の設えに向きます。












こちらはつい2週間前に行われた棋戦の会場、名古屋のか茂免さん。
私共の店から歩いて直ぐの所にある老舗料亭です。
お庭、床間、棋士のお着物。全てに目が向きます。





こちらは東京椿山荘さん。
名人戦の第一局はいつもこちらから始まるそうです。








今まで1年間、全国の施設の床の間に掛けていらっしゃる掛け軸を見させていただきましたが残念ながら「あ、玉堂だ!」とか「あ、芋銭だ‼」とかそういう感激を余り味わったことはありません。もちろん、私の知らない名作が登場しているのかもしれませんが、ときどき見かける印刷物?には少しがっかりしてしまいます。

現代最も日本らしい佇まいの中にあっても近代日本画に出会う事のできない現実があります。まして、個々のご家庭でいまどれほど掛け軸が飾られているでしょうか。


ブログの記事を書くのに、例えばこの将棋のことは確か一年近くどのように書いたらよいかをあたたためて来たように思います。それほどかけてこの程度か・と自分でも嫌になりますが、この一年はこうして頭の中をブログのことでいっぱいしながら~頭がいっぱいだとドヂがおおくなり、さきほどもお醤油の瓶を思いっきり倒しましたが~何とかここまでを生きながられたきたように思います。つらい、さびしい、泣いてばかりの一年でしたが、決して不幸ではなく、「感謝」という幸せをみなさまにいただいて参りました。

座布団一枚に座りこみ、何も持たずただその才能と努力だけを頼りに戦い続ける個性派ぞろいの棋士たちは皆それぞれのリズムを持っていることに気づかされます。

リズムは各画家の筆遣いにも表れ、それが一つの名作を作り上げています。
そうした作品をみなさまに多くご覧いただけるよう、私も見失ってしまった私のリズムを少しづつ取り戻して参りたいと思っています。それにはまず不要なものを認識すること。「肉を切らせて骨を断つ」いわゆる藤井戦法は案外現代に最も有効な「処世術」であるように今は感じられています。











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