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「トルコがテロの脅威下にあることを認める」米国務長官

2019年01月11日 | 国際
1月12日 トランプ大統領の全米軍をシリアから撤退させる決断は“非常に明瞭だ”と、1月9日、マイク・ポンペオ米国務長官は言い、トルコはテロリストの脅威にさらされていることをアメリカは認めると付言しました。

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ポンペオ国務長官は、イラク・エルビルのアメリカ領事館で記者団に語りました。アメリカは撤退に対して条件をつけるかという質問に応えて、ポンペオ長官は、トルコに、米軍が安全に撤退できるようPYD/YPGを攻撃しないという約束を求めました。トルコはPYD/YPGをPKKのシリア分派と考えています。PKKはトルコもアメリカもテロリスト組織と認定しています。

ポンペオ国務長官は、アメリカ軍を安全に撤退させる方法を、PYD/YPGとトルコに話すと確約しました。「アメリカはIS(イスラム国)を最後まで撃滅する使命を完遂してから、軍を撤退させる」と、国務長官はISに言及しました。

昨12月、トランプ大統領は、全米軍をシリアから撤退させる計画を発表しました。トルコは「テロ集団と戦うために、他のテロ集団を利用するのはナンセンスだ」と言って、シリアのISと戦うために、PYD/YPGと共闘するアメリカを批判してきました。

ポンペオ国務長官は「アメリカは、トルコがテロリストの脅威に曝されていることを認め、トルコの立場を支持する」と言いました。


アメリカで区長になったトルコ出身共和党員は、やる気満々

タイフン・セレン氏が、アメリカで初のトルコ出身の区長になりました。彼は1月4日、ニュージャージー州チャタム郡区の区長に立候補しました。「私の当選は保守系アメリカ人には歓迎されていません」と、共和党員のセレン氏はヒュリエト紙に言いました。

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セレン氏は一移民から政界入りまでの22年間の長い旅路を語りました。「私はイスタンブル工科大学の建築科を卒業し、1996年、アメリカに移住しました。お金もなく、ちゃんとした英語も話せませんでした。私はドンキホーテのようにアメリカに来たのです。私はガソリンスタンドで8か月働き、その後、ある建築事務所でなんとか職を得て、キャリアを積んでいきました」

セレン氏はやがて、ニュージャージー州のモントクレア州立大学に職を得ました。大学で行なわれた、ある上院議員の協議会に出席したのが、彼が政治に関心を持つきっかけになったそうです。「連邦議員の話を聞いているうちに、私は政治に興味を持ちはじめていました」

2013年、セレン氏は、チャタム郡区の委員会に申請し、委員に任命されました。彼はアメリカ市民の共和党員として、郡区の行政に参加しました。彼は5人の委員の中の3人に支持され、区長になりました。チャタムでは、郡区民が委員を選び、委員会が区長を選ぶことが、法によって定められています。

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「トルコ人にとって重要なメッセージ」
セレン氏は選挙キャンペーン中、タフにがんばりました。「チャタムは保守的な土地で、移民に好意的ではありません。私の選挙活動は、キリスト教徒の、白いアメリカ人にそっぽを向かれました。しかし、私は努力と公約で人々を信じていました」と、セレン氏は言いました。

セレン氏は未来の計画として、アメリカの政治に大きな抱負を抱いています。「私は国会に出馬することも考えています」と彼は言っています。


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